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あやかし家政夫  作者: 琴花
第二章
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立っている者は先輩でも使え

 夕暮れさす下校途中、背後から声がかけられた。


「ちとせー」

「小町先輩」


 華やかな声音に振り向くと、小町先輩が手を振って私を追いかけてきた。


「今帰りですか?」

「そう。ちとせもお疲れ」


 目的地が同じ下宿先なので自然と歩幅が合わさる。

 

「呼び捨てでいいっていったのに」

「先輩なので」

「相変わらずお堅い。分厚い本抱えて、図書館行ってたの?」


 小町先輩は私の左腕に抱えた本を見て言った。

 私は右肩にトートバッグをさげ、腕に空のランチバッグを吊るし、左手には図書館で借りた本を抱えていた。

 先輩は左手に持った本をひょいと取り上げた。


「あ」

「持つわ」

「大丈夫です」

「両手塞いだら危ないわよ。お昼も転んでたでしょ」

 

 昼食時の去り際のことだろうか。それは小町先輩が変なことを言ったからだ。

 けれど、反論すればさらにからかわれる想像が容易につく。

 納得しないながらも、両手を塞いだ事実は確かなので好意に甘えた。

 小町先輩は華奢な腕から想像もつかないほど軽々と持つ。


「ありがとうございます」

「このくらい軽いわよ。……『人体絵本』に『色彩豊かな解剖図』。相変わらず、すごいインパクトな題名ね」

「知ってるんですか」

「勿論。基礎医学にはもってこいの参考書だから。もう一冊の分厚い本は直球の『基礎医学』……。内容はまったく基礎じゃない本ね。田村教授の講義を取ってるの?」

 

 私は目を(しばた)かせた。

 大学では学生が自分で時間割をつくるため、組み込みやすいよう同じ内容の講義が複数あり、教鞭をとる教授もそれだけいる。

 なぜ田村教授だと分かったのだろう。


「この本は、田村教授著書だからね」

「なるほど。本人が著作した本のほうが教授も教えやすいですよね」


 小町先輩は苦笑した。


「まあ、それもあるわね」

「え?」

「いえ、なんでも。こんな高価な本を教科書として買わせないだけマシだと思っただけ」


 教科書が無料で配られる義務教育とは違い、自費になる大学の教材は確かに高価だ。

 入学に合わせて指定の教科書は購入したが、資料となる参考書はこうして図書館で借りている。

 余談だが、購入した後になって教材を多く取り扱う古書店の存在を知り、次年度からはそこで買おうと決めた。

 他にも、先輩が後輩に使わなくなった教科書を譲るという話も聞いたが、教鞭とる教授が違えば指定する教科書も変わってくるし、同郷もおらず帰宅部の身としては、こうして良くしてくれる数少ない先輩を煩わせるわけにもいかない。

 (くだん)の先輩は分厚い本を手首で軽く回した。私なら地面に落とす器用さだ。


「このなんちゃって基礎医学本は活字ばかりで内容がイメージしづらいから、この二冊を図解として活用すればいいわ。それなら理解しやすくなる」

「なるほど……」

「そもそも一回生の基礎医学は高校の生物の延長みたいなものだから、そこまで深刻にとらえなくていいのよ」

「けど……」


 単位を落としかけた身としては深刻にもなる。

 表情をこわばらせた私の頭にこつんと本が当たる。


「そんな顔しない。前期危なかったんだっけ。この基礎医学?」

「――はい」

「これはレポートやら論文の得点が大きいから、書き方も勉強したほうがいいわよ。論文の作成の仕方についての本を今度探してみるといいわ」

 

 私は少し目を見開いた。計算といった答えのある解を求めるのは得意だが、文章を書くのは苦手だ。前期試験は説明問題が多くて、真白い用紙を前に頭を抱えたのは記憶に新しい。

 参考書を睨むより、他者が理解しやすいよう文章を作り上げる能力を鍛えることが重要か。

 することが増えたけど、少し先が見えてほっとした。


「分かりました。ありがとうございます」

「うん。来年度の教養の教科書は被ったらあげるから」

「え」

「どうせ、私の手を煩わせたくないとか思って遠慮してるんでしょ。私が持ってなくても空也が持ってるかもしれないし。まあ、あの子も持ってなかったら古書店に行く必要があるけど」


 図星すぎてぐうの音も出ない。

 私はしどろもどろに口を開いた。


「ありがたいですが、そこまでしてもらうわけには」

「先輩が後輩に普通にしていることよ。別に私たちだけが特別じゃないわ」

「けど、どうして空也先輩も」

「双子だからと全部同じ講義を取ってるわけじゃないからね。二人合わさると使わない本も結構増えるわよ」

「いえ、そうではなくて」


 隣人である小町先輩が私を気遣ってくれるのは分かる。けれど、弟の空也先輩は大学の敷地に一番近い高層マンションで暮らしている。小町先輩を通じてしかつながりがないのに、そこまで便宜を図ってもらういわれがない。

 思いながら説明できないのは、やはり文章力が低いからだろう。

 けれど、小町先輩は分かってるというふうに微笑んだ。


「図書館で空也と会ったでしょ。いつも私が訂正させてるのに、さっきは最初から名前呼びしたからね」

「ああ……。無意識でした」

「無意識で名前で呼んだってことは、いつもは意識して苗字で呼んでるの? なら、今度からは普通に呼んでほしいわ。これは割と真剣なお願い。……あまり望月の名を聞きたくないから」

「先輩……」


 どこか懇願するように黒い瞳が私を見る。

 望月という名は彼女にとって相当重たいものなのだろうか。

 当事者でない私には分からないけど、広大な敷地を有し、学校と病院を経営している名家となれば、いずれ継ぐべき片割れである彼女の双肩にかかる重圧はいかほどか察するに余りある。

 本当は雲の上の存在なのだ。だからこそ、一般庶民の私に壁を作らず接してくれる彼女の存在がまばゆい。


「わかりました。じゃあ、小町先輩と呼びますね」

「先輩も敬語もいらないのに」

「それは別です」


 名前で呼び捨てしてため口をきく姿を見られたら、姉弟を神聖視する他の学生からの風当たりは確実に強くなる。

 私は平穏な学生生活を送りたい。……とあるあやかしの存在で、すでに遠ざかりかけているとしても。


「まあ、いいか。半年にしてやっと名前呼びをもぎ取れたわけだし。それで、空也の話ね。あの子はちとせに少しは気を許しているみたいだから」

「そうですか?」

「言葉足らずの無表情だから分かりにくいけど、なんとなくね」


 図書館の一件を思い返す。

 きつく押し込められた本を取ってくれたり、カウンターで頑張ってと声をかけてくれたり。

 確かに、気遣ってくれたとは思うが、親切なひとであれば見知らぬ誰かにもしてそうな行為だ。

 首を傾げる私に、小町先輩は笑った。


「弟は親切なひとなんかじゃないわよ。目障りな相手には目もくれないし、どうでもいい相手にもいないものとして扱う。だから、最初にお互い自己紹介したとき、おやっと思ったの」


 私が三回目に目にしたときだっけ。けど、あれは。


「小町先輩に引っ張られてしぶしぶじゃないですか……」

「違うわよ。本当に嫌なら私の手を振り払ってでもどこかいってしまうわ。けど、面と向かって挨拶したんだもの。姉の私もびっくりしたわ」

「はあ……」


 小町先輩は楽し気に微笑んだ。


「はたしてどうなるか、高みの見物とさせてもらうわ。もちろん私は弟の味方だから、ちとせの気持ちが向いたら遠慮なく蹴とばすわよ。――ねえ、家政夫さん」

「え」


 いつの間にかアパートまでたどり着いていて、振り返った先にはあやかしの青年がいた。




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