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あやかし家政夫  作者: 琴花
第一章
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火の元注意

 鶴の恩返しという昔話がある。

 罠にかかった鶴を助けたおじいさんのもとに、道に迷ったという美しい娘が現れ一晩泊めることになった。

 娘はお礼として布を織るが、その場面は決して見ないようにと忠告する。

 しかし、好奇心に勝てず覗いたおじいさんが見たものは、鶴が自らの羽毛で機を織っているところだった。

 娘は自分が助けてもらった鶴だと告白し、正体を見られたので去らねばならないと空へ帰っていった。


 だいたいこんな話だ。

 しかしあえて言わせてもらおう。


 見るなと言われたら見たくなるに決まっている。


 人間は好奇心の塊なのだから、何も言わずに深夜に機を織り、翌朝何食わぬ顔で渡せばいいのだ。

 なぜわざわざ、お礼として機を織るだの、その間は決して覗くなだの言うのだ。

 見るなと言われたら余計に見たくなってしまう人間の心理を鶴はまったく理解していない。


 昔話は突っ込みどころ満載のものが多いけれど、これもそのひとつだ。




   ☆   ☆   ☆




 そんな、すっかり冷めた人間として成長してしまった私の前に、一人の青年が現れた。


「先日は危ないところを助けていただいてありがとうございました。亀の万十郎です」


 そういって彼は深々と頭を下げる。開け放たれたドアから風が通り抜け、柔らかそうな茶色の髪がふわりと揺れた。


 かめのまんじゅうろう……亀野万十郎?


 二十歳を少し超えたくらいだろうか。見た目は私と変わらない年代だけと、なんだか、近代史にモノクロ写真付きで載っていそうな名前だ。


「……はい?」


 沈黙すること数十秒。すっとぼけた声を出した私に、青年はゆっくりと(おもて)を上げる。

 そして、髪よりやや深い色の瞳が穏やかな光を宿して私を見た。


「お礼伺いが遅くなって申し訳ありません」


 いや、そうじゃなくて。

 改めて青年を見る。


 形のいい眉にまっすぐ通った鼻梁。少し薄い唇に若干面長な輪郭。

 全体的に整った顔立ちをしているが、少し垂れた目尻が柔和な雰囲気を醸し出している。


 それはいい。多少見目は良いが、まあありふれた若者だ。

 しかし、着ているものが違った。


 薄灰色の着物に金茶色の帯を締め、青みを帯びた緑の羽織りを纏っている。先ほど、深々と頭を下げたとき、背中に紋様が見えた。

 羽織紐は翡翠を連ねたもので、光の加減で濃淡が変わり美しい。

 右手に木製のトランクを、左の腕には紙袋をぶら下げてている。


 首から上はありふれた若者、下は正月の寺か神社くらいでしか見ない和服。もしくは、テレビの中の伝統芸能の役者が着るような装いだ。


 不釣り合いに感じそうなものだが、なぜかしっくり似合っている。 

 着慣れているように見えるからだろうか。


 私は眉間に皺を刻んだ。

 本当にその系統のひとだろうか。

 どう対処しよう。

 

 ……いや、そもそも私には関係ないわけで。


 気を取り直して青年と向きあう。


「えっと、部屋を間違えてませんか?」


 ここはアパートの一室。他にも入居者はいるので番号を間違えたのだろう。

 そう思ったが、青年は首を振った。


「いえ、確かにあなたです。間違えるはずがありません」


 優し気な雰囲気だが、はっきりと言い切られ、私は眉を寄せた。

 わざわざ家にお礼に来られるほどの大層な人助けをした覚えはないし、そもそも初対面だ。


「人違いです」

「いいえ、あなたです」

「違います」

「違いません」


 同じような文言を何度か繰り返して私は口を閉ざした。


 ……これって、もしかして犯罪か何か?


 銀行に行くと大きくポスターに張り出されている振り込め詐欺は、お年寄りがターゲットといわれているけど、詐欺の被害者はなにも高齢者だけではない。


 私が通う大学は少し名の知れた学校とあってか、経済的に裕福な学生が多く、彼らを顧客に周囲には立派なマンションが立ち並んでいる。

 もちろん、私を含む一般家庭で生まれ育ったの学生もいるので、普通のアパートもあるが、割合は少ない。


 そういえば、一人暮らしの学生を狙った、犯罪に対する注意喚起のポスターが校内に張られているのを見たことがある。

 私の下宿先のアパートは、築年数が古い昔ながらの木造建築だ。防犯設備はドアの鍵とチェーンくらい。

 詐欺にしろ、別の犯罪にしろ、セキュリティ万全の高級マンションと、呼び鈴を鳴らせばすぐ人が出てくる安アパートのどちらが狙われるかといえば、答えなど言うべくもない。 


 再度、目の前の青年を見やる。

 それなりに整った顔立ちだが近寄りがたさはなく、むしろ少し垂れた瞳と柔和な表情は初対面であっても簡単に気を許してしまいそうだ。

 穏やかな雰囲気も相まって、警戒心を保ち続けるのは難しい。


 ――そのような人物こそ、最も警戒しなければならないのだとしても。


 携帯電話は奥のリビングにあるので、取りに行く間に踏み込まれてはいけない。

 青年は見た目こそ穏やかだが、内面もそうとは言い切れない。


 そういえば、女の子の一人暮らしは色々と危険だから気を付けてと大家さんに言われたっけ。

 数日前に実家から荷物を送ると連絡があったので、呼び鈴が宅配業者だと思い、確認もせずにドアを開けてしまった数分前の私を叱咤したい。

 ここは強い口調でどうにか追い返さないと。ええと、さっき名乗ったはず。


「えっと、亀野さん? 私には覚えがないので、やっぱり人違いです。道に迷ったならこの先に交番があるのでそちらに行ってください」


 日中は電話一本置かれただけの無人の交番だけど、交番には違いない。

 追い出したらしっかり施錠して、それでも付近に居座るようなら今度こそ110番だ。 

 そう強く言い切ったのに、青年はちょっと困ったなという風に首を傾げている。


「そうではなく……。うぅん、なんだか上手く話が伝わりませんね」


 それはこちらの台詞だ。

 一方的な睨み合いによる微妙な沈黙を破ったのは青年だった。


「ああ、この姿では初めてでした」


 ぽんと手を打ち破顔一笑、改めてといった感じで私に向き合い、綺麗にお辞儀する。


「本日よりあなたの身の回りのお世話をさせていただきます、亀のあやかし、名を万十郎と申します。どうぞよろしくお願いします」 

 

 ……詐欺にしてももうちょっと上手い文句があると思うよ。


 むしろ警戒心を解くには奇天烈がらありかもしれない。


「……はい?」


 思わず口を半開きにして瞬きを忘れる。

 このとおり、すっかり拍子抜けしてしまった。


「あやかしが受けた恩はこの身をもって返すが努め。どうぞ、今日から何事も遠慮なくお申し付けください」

 

 言うことはいちいち大袈裟だけど、柔和な表情とそれを強調する垂れ気味の大きな瞳で言われても全く威厳を感じない。

 どうにか我に返ってため息混じりにつげる。


「冗談でも面白くないです。どうぞお引き取りを」

「冗談ではなく本当のことです。もちろん人違いでもありません。――そうですよね? 百長(ももなが)ちとせさん」

「なんで私の名前を――」


 表札には苗字しか書いていない。

 一気に警戒度が増した私に青年は続ける。


「助けていただいたときに、周囲にいた子供があなたをそう呼んでいたので。それから、後でお礼に伺えるようにつけた(しるし)が視えます。間違いなく僕の霊力です」


 私は思わず、青年の視線を辿って左手の甲を見る。

 長年見慣れたそこには、痣もホクロも、勿論怪しげな印なんてない。


 人違いどころか、ホラ吹きのストーカーだ。

 アパートの一室の玄関先だろうが構わず大声出そうとしたとき、甲高い音がした。


 瞬間、腕が引っ張られたかと思うと、私の視界には緑色が広がっていた。

 それが青年の羽織りの色だと認識する間に、彼は私を背に緊張した声を出した。


「なんの音ですか?」

 

 考える間もなく、至近距離で問われる言葉に私は目を見開いたまま呆然と呟いた。


「やかんの笛の音。そうだ、火にかけたままだった――」


 目を見開いた青年は、一瞬の後、荷物を置き草履を脱ぎ捨ててキッチンのある奥に走っていった。

 和装とは思えない素早さだった。


 我に返った私が慌てて後を追いかけると、青年がコンロの火を消していた。

 そして、私に向かい眉根を寄せる。


「火をつけたまま出てきたんですか? 駄目ですよ。危ない」


 確かに彼の言うとおりだ。宅配でも来たのかなとちょっと目を離したつもりが、予想を遥かに超える来客にすっかり忘れていた。


 ……いや、私からすれば客ではない。むしろ不法侵入だ。

 しかし(くだん)の不法侵入者は両手を腰に当ててお怒りモードだ。


「火から目を離したら駄目です。ちょっとの間という過信が大惨事を起こすこともあるんです。本当に危険ですから」


 しかしながら、こればかりは言い訳できない。

 むしろ、「でも……」と言おうものなら更なる追撃が待ち受けることが容易に想像できる。

 

「……ごめんなさい。以後気を付けます」


 素直に謝ると、青年は安堵した表情を浮かべた。

 なんだろう。実は見た目通りの性格?


「あなたが無事でよかった。お礼もできず命の恩人を不幸にするところでした。これからは僕がいるので大丈夫です」


 前言撤回。やっぱり思考回路は不明だ。

 その前に、思い切り胸を張られて言われたが本当に居座るつもり?

 思いっきり据わった目で問いかけるも、大きく頷かれた。


「当たり前です。命を救ってもらったお礼に今後の身の回りのお世話はお任せください」


 ……お礼は、今コンロの火を消してくれたことで十分です。


「どうぞ僕のことは万十郎か、ただ亀とでもお呼びください」


 さて、どこから突っ込もう。

 思わずというか当然の成り行きというか遠い目をした私に、突然青年は小さく叫び声を上げて踵を返した。


 よかった。やっと人違いに気付きましたか。

 謝罪は結構です。どうぞそのままお帰りください。


 若干現実逃避に走りながら見送りに行くと、青年はまさに玄関にいた。


 ――玄関先で脱ぎ捨てられた草履を綺麗に並べなおしていた。



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