乱闘。介入
「隆司!」
背後からかけられた声に、隆司は驚きの声を上げた。
「裕樹!?」
裕樹の腕には、先ほど昏倒させた男から奪い取った木刀が握られている。
「下がってろ、隆司」
「でも」
「他の皆さんも、ここから引いて下さい。隆司、お前からもみんなに下がるように言え」
向かい合う二つのグループのその真ん中に、木刀を右手にぶら下げたまま無造作に踏み出して来た少年に、両陣営の視線が釘付けになる。
「なんだ? てめぇは?」
真剣を握っているリーダーの脇に控えていた男が、思い切りすごんだ声をぶつけてくる。斜に構え、わざと怖い顔を作って、裕樹の全身をねぶるように睨みつける。これ見よがしに、ポケットから取り出したバタフライナイフをちらつかせている。その男の隣には、鎖をジャラジャラと床に叩き付けている、今時流行らないダボダボなパンツスタイルの男。発想が貧困なのか、伝統を踏襲するのが流儀なのか、目の前で威勢を張る男達の集団に、裕樹は食傷気味だ。
「ちょっと、きみはいったい…」
「部長…」
裕樹の左斜め後方で、隆司が声の主に呼びかけた。
「あなたが部長さんですか?」
敵を目の前にしていながら、裕樹は平然と後ろを振り返る。
演武後半の寸劇用に仮装をしていたのだろう。渦中の柳沢部長はちょんまげのカツラ姿だった。その姿を見ても笑い出さなかったのは、彼の豪気な雰囲気のおかげだ。
(さすがは恨みを買うような部長だ)
裕樹の呟きは褒め言葉だ。裕樹は、隆司から話を聞く前から柳沢の名前は知っていた。全国でも十指に入る実力者だ。県大会レベルでは、中学生の頃から負け無しだ。
「きみは、川原の知り合いか? これは、俺が売られた喧嘩だ。きみが、関わる必要はない」
彼も状況の逼迫は感じているはずだ。この緊張感の中、逃げもせず、更に受けて立とうとしている正義感は大したものだ。実力に裏打ちされた自信。それ以上に、柳沢という男は男気に溢れた正義の人のようだ。
「普通なら放っておくんですが、真剣を持ち込んでくるような相手です。こんな無法者の相手をあなたがする必要はありませんよ。怪我をしたらバカバカしいでしょう?」
裕樹の声は先ほどから少しも変わらず落ち着いている。客席周辺では、雅哉が相変わらず向かってくる男達を淡々と伸しているのか、背後の男達の間に動揺が広がっているのが気配だけで分かった。
「しかし、きみは部外者だろ?」
「部外者だからですよ。馬鹿な喧嘩の相手をして、剣道部が取り潰されたりしたら一大事ですよ。だから今すぐに、ここから引いて下さい」
部長の後ろに残っていた数人の部員が、お互いに顔を見合わせて後ずさり始める。
「馬鹿の相手を、まともにする必要はありません」
「誰が馬鹿だと!」
「てめぇ、舐めやがって!!」
いつまでも背中を向けたままの相手に堪忍袋の緒が切れたのか、右端の男が、手に持つ鉄バイプでいきなり殴り掛かって来た。
「危ない!!」
叫んだのは隆司か、それ以外の部員か。
部員達が大きく息を飲んで、まだそれを吐き出す暇もないうちに、殴り掛かって来た男は、ステージ脇の椅子の間へと頭から吹っ飛ばされていた。裕樹の回し蹴りが見事にヒットしたのだ。打ち所が良くなかったのか、男は椅子に不格好に片足をかけた状態のまま、白目を剥いて意識を失っている。男の手から同時に弾き飛ばされた鉄パイプは、ちょうど、雅哉が蹴り飛ばしたばかりの男の背中を直撃し、そちらの男の意識まで刈り取っていた。
「ナイス裕樹♪」
緊張感に満たされた空間に、とかく不釣り合いな楽しげな声で雅哉が手を挙げている。裕樹はそれに片手を上げて応える。どちらも計算尽くされた余裕の動きだ。
「て、てめぇ!!!」
この状況を理解するのに時間がかかったのか、数秒の間を空けて、ようやく侵入者達から声が上がった。
「馬鹿ってのはお前らのことだよ」
裕樹にしては珍しく、派手に相手を挑発する。男達の視線が、一斉に裕樹に集まっている。
「貴様!」
「ふざけるな!」
「お前達、やっちまえ!!!」
腹に力を入れて大声を出すことは、金縛りを解くのに有効な方法だ。一人が上げた大声で、全員の呪縛が解ける。
男達が次々に裕樹に襲いかかって来た。しかし、その大半は、お互いがお互いを殴り合うという悲惨な状況に陥っていた。裕樹は巧みに体をかわして、敵同士の相打ちのタイミングに誘導している。力ではなく、気功による攻撃。それから、戦意を消失させるような一撃を加えるのを忘れない。
「うわっ!」
「てめぇ! なにすんだ!」
最短の軌道で下から切り上げた木刀が男の腕から鉄パイプを落下させる。男の手首は、あり得ない方向に曲がっている。裕樹の動きは止まらない。すかさず足を払い、崩れた体勢の背中に一撃をお見舞いし、踵で蹴り飛ばす。
「てめっ…」
男は、自らの身に起きた悲劇に怒りの言葉を上げる間もなく、崩れ落ちる。
次の男の無防備な上段蹴りを左腕で絡めとり、バランスを崩した男の脛を思い切り木刀で殴りつける。
ある者は鎖骨を折られ、ある者は脛を折られ、そしてある者は意識を失って床に倒れ込む。致死性のある武器を握って向かって来ている以上、そのくらいの怪我を負うのは当然だ。広かったステージも、あっという間に人間カーペットで埋め尽くされ、それに蹴つまずいて自滅する者も多くなって来た。
剣道部員達は、ただただ目の前の状況に圧倒されたまま、呆然と成り行きを見守っている。
「はい。わかりました。ではよろしくお願いします」
SICSに電話をし終えた梓乃は、左手に携帯電話を握ったままで可憐な上段回し蹴りを決めたところだった。彼女の蹴りは、彼女よりも十センチほど背の高い男の首を真横から少し上向きに薙ぎ、卒倒させていた。花柄のフレアーワンピースが、牡丹の花弁のように軽やかに揺れる。
近接格闘が得意ではない梓乃だが、それでもだいぶ鍛えられて来ていた。殊に、森の一族の秘術、一撃必殺の「森の牙」の修練は、相手の間合いに踏み込む恐怖心を克服するのに役立っていた。女だからと甘い見積もりで突っかかってくるような軟派な相手に、負けるようなことは無い。まさに、きれいな花には何とやら、だ。
「ヒュ〜。やるね、梓乃ちゃん」
床に散乱している刃物類を回収していた雅哉が、暢気に顔を上げる。
「茶化さないで下さい」
梓乃は不満げに口を尖らせる。
「それより雅哉さん。弥生班長が、手加減するようにって」
「今さらだな」
「確かに、今さら、なんですけどね」
意識を失っている者が大半で、意識がある者も、足や腕を怪我して呻いている。梓乃は、ヒヨコとウサギが覗くリュックサックを胸に抱えて、手近な椅子に腰を下ろした。
講堂の騒動は、ステージ上のメインイベントを除いて、ほぼ終結しつつあった。
「舐めんじゃねぇ! 貴様!」
イライラのピークに達したのか、さすがに負けが確実になったことに焦ったのか、リーダー格の男がついに日本刀を抜いた。馴れない武器なのだろう。握りしめている手に思い切り力が入っているのが遠く離れた梓乃にさえ見えた。
ステージとなっている講堂中央のエリアに無傷で立っているのは、わずかに二人となっていた。その中央にいるのがリーダーだ。その手には、抜き身の刃が握られている。光が当たってキラリと光る。
「そんな物、どこで手に入れて来たんだ? 銃刀法違反だけじゃなくて傷害罪だぞ」
そのきらめきを見ても、裕樹の声質は変わらなかった。彼にとっては見慣れた道具に過ぎない。
「まぁその方が、正当防衛を主張しやすいから助かるけどな」
裕樹は、木刀を両手で握り込んで青眼に構えた。
絶対の自信を持って乗り込んで来たそのリーダーが、講堂の冷たい床と同化するまでには、ほんの数十秒しかかからなかった。