展示室の異界
「御鏡君、この後どうする? 私、新体操部の演舞が十三時半からだから、十二時半に更衣室に集合なの。だから、十二時前にお昼にしようと思っているんだけど、一緒に食べない?」
「俺らは新体操部の後、十四時半からだから、俺も食事は一緒にできるぜ」
「何言ってるのよ? あんたはチョコバナナ作ってなさいよ。委員長なんだからあんたがいないと困るんでしょ?」
「へぇ。隆司、学級委員長なのか?」
「そーなのよ。全く、こんな頼りないやつを委員長にするなんて、G組の気が知れないわ」
「なんだよ、それ。ったくうるせーな」
「おい、裕樹。こんなやつ置いといて、一緒に食事しようぜ」
「私が先に誘ったのよ、川原のくせに横取りする気?」
「なんだと」
「いい加減にしろよ、二人とも」
大きな溜め息をつきながら、呆れたように裕樹が会話に割って入る。
クスクスクスと、梓乃が後ろで小さく笑っている。
「俺たちは、四人で一緒に昼飯の予定だから、二人が一緒に来るって言うなら止めないよ」
どちらの誘いにも乗らない。合流したければしてもいい。この一言で、選択の権利は彼ら二人に移っていた。大人の対応だ。
「わ、分かった。俺はご一緒させてもらう」
「私もよ!」
「よし。そうと決まれば六人で一緒に食べよう。でもさすがに、まだ早いだろう? 確か食堂は、十一時半からって書いてあったぞ」
時計はまだ十一時前だ。
「じゃぁ、もう少しどこか見る? 遠山君、勝負好きなら弓道興味ない?」
「弓道?」
「午前中は弓道部が演武していて、ちょうどこの時間から、一般参加者エントリー方式の四半的射的大会やってるはずだよ。大会って言っても、五本の矢を的に当てて点数によって景品が出るって言う類いのものだけど」
「へぇ。面白そうじゃん。でもそれは、俺なんかより梓乃ちゃんの方がお得意だけどな」
雅哉が腕組みをしながら梓乃を見る。
「猫森さんが?」
「梓乃ちゃんは弓道経験者だからさ」
「そうなんだ? それならぜひ出たらいいよ。なかなかいい景品だったからさ」
梓乃が迷いで溢れた目で裕樹と蒼雲を交互に見た。興味はある。というか、やりたい気持ちが迸り出ている。その気持ちを、理性で押しとどめているのがわかる。
「行って来いよ。梓乃。梓乃が出るのは反則に近いけどな」
すかさず蒼雲が彼女の背中を押す。
「よし! 蒼雲。また勝負だ。次こそ負けない」
雅哉はリベンジに拳を握る。
「俺はやめとく。ちょっと展示の方も見てみたいしな」
「え? そうなんですか?」
「だから、梓乃と雅哉は弓道場に行って来いよ。食堂で待ち合わせでいいだろう?」
戸惑う梓乃の背中をもう一度押して、伺いを立てた相手は裕樹。そして東高の二人の生徒。
「あ、あぁ。じゃぁ、俺が弓道場に案内するよ」
「わかった。頼むよ。隆司」
隆司が雅哉と梓乃を伴って弓道場の方へと歩き始める。隆司は梓乃の隣に並んで、しきりに何か話しかけている。彼の足取りが軽やかなのは偶然ではないだろう。
「展示の方には私が案内してあげる!」
「おい。いいのか? 美知香。金魚ガールズなんだろう? お前も」
裕樹の懸念に、美知香は大仰に首を振った。
「いいのいいの。金魚ガールズの役目は客引きなんだから。この衣装でこの襷かけて歩き回ることで宣伝になるし、大事な仕事のひとつよ」
美知香が斜めにかけている襷には、1年C組のイベントの紹介と場所がきっちり書かれている。金魚ガールズの美知香は、いわゆる歩く広告塔というわけだ。
「それに、御鏡君達を引っ張って来たおかげであの盛況ぶりよ。私は十分ノルマを果たしたと思うわ」
彼女が肩越しに視線を送ったテントでは、先ほど取り囲んでいたギャラリー達が、こぞって金魚すくいへの参加を申し込んでいた。四人のパフォーマンスは、宣伝効果絶大だったわけだ。
「なんなら、ずーっと金魚掬っていてくれてもいいんだけどなー」
「俺たちは客寄せパンダかよ」
「いいじゃんいいじゃん。御鏡君も猫風君もイケメンだから、クラスメイトも大喜びだし」
金魚ガールズに限らず、集まっている女子生徒達が控えめに、でも熱心にこちらを見ているのは偶然ではないようだ。
「展示を見たいからやめておくよ」
蒼雲は、苦笑いを浮かべながら小さく首を振った。
「じゃぁ、どこか行きたい所あります?」
美知香の方も、何となく上機嫌だ。
「あぁ。とりあえず、歴史文化研究部に行きたい」
「了解!」
(蒼雲と一緒にいられて張り切ってるな)
と裕樹は思ったが、彼の思考からは、彼女が自分に会うことを熱望していたという事実が抜け落ちていた。長年の片思い男と、ついさっき一目惚れしてしまった男。しかも、今この場の女子学生達の目を釘付けしているこの二人のイケメン男子と一緒に行動出来ることに、美知香の足は隆司以上に弾んでいた。
「ねぇ。二人は同じクラスなの?」
展示教室に向けて歩きながら、美知香はどちらにともなく質問を投げた。
「あぁそうだよ。四人とも同じクラスだ」
答えたのは裕樹だ。正確には「四人だけで」同じクラスな訳だが、当然、そんなことを説明するつもりはなかった。
「そうなんだ。仲良し四人組みってわけね」
「まぁ…そうかな」
女子高生らしい言葉に思わず顔を見合わせてから同意の相槌を返す。
「美知香は学校生活楽しんでいるみたいだな」
「部活は楽しいんだけどねー。勉強は結構大変。付いていくだけでいっぱいいっぱいってとこかな。中学の時は、それでもあんまり苦労しなかったのに、やっぱり東高は大変」
「それはそうだろう。東高はこの辺りでも指折りの進学校なんだからさ」
「中学では御鏡君に結構助けてもらったからなー」
裕樹と美知香は同じクラスで、試験前は結構な頻度でいろいろな質問をされた。当時は、学年委員長をやっていたり、生徒会長をやらされたり、勉強に(帰宅部同然ではあったけれど)部活に忙しくて、学校なんか無くてもいいと思っていたけど、思い出せば楽しいことばかりだ。美知香の声を聞きながら、裕樹は、平和に学生をやっていられた中学校時代を懐かしんでいた。学校の勉強に加えて、剣術や呪術の修行をこなす日々は相当に過酷だと思っていたが、今の生活と比べれば天国みたいなものだった。
(過ぎた時間は戻らないけどな)
妙に哲学的な気分になって行く自分を、なんとか押しとどめる。
「!」
裕樹の自嘲は、唐突に寸断された。その気配は、階段を上りきったと同時に襲って来た。軽やかな足取りで階段を上っていく美知香は気がついていないようだ。隣を歩く蒼雲と目が合う。蒼雲はだいぶ前から気がついていたという顔をしている。裕樹が何も言わないうちから、小さく頷いた。
階段を上りきってしまうと、明らかにその違和感は強くなった。体にべっとりとまとわりつくような気配。探査するまでもなく、ひとつの部屋から漂い出ていることが分かった。蒼雲の最初の読み通り、歴史文化研究部だった。
「あれ? 瀧島さん。もう準備?」
この校舎の三階が、イベントステージで演舞を披露する女子生徒達の更衣室になっているというのは、階段を上りながら美知香に聞いていた。
「違う違う。中学時代の同級生とその友達を案内して来たんだ。ここの展示に興味あるって」
「そうなんだ」
歴史文化研究部の受付に座っているのは、どうやら美知香の同級生らしい。こちらを覗いて頭を下げてくれる。
「でどう? 金魚の方は盛況?」
「それがねー。彼が200匹超えの凄技を披露してくれたから大盛況で!」
「えー、すっごい! 200匹!?」
彼女達が話に夢中になっている間に、蒼雲に体を寄せて小声で話しかける。裕樹が指差すまでもなく、展示のタイトルが目に飛び込んでくる。
【歴史の闇、呪いの世界】
そしてその下に、「特別展示・本物の呪いの人形」の文字。スーパーの特売のチラシのように蛍光色の紙で強調されたその文字に、二人は期せずに同時に溜め息をついた。
「藁人形でも拾って来たか?」
「とりあえず、簡易的に結界を張って影響が及ばないようにしないとまずいだろう。これだと、外からのいらないものを無秩序に呼び集めるぞ」
「那由他」
裕樹は答える代わりに式神を呼び出した。
「ここを頼む」
「あいわかった」
短い指示で意思疎通を終えて、藤の精霊が壁を通過して室内に消えた。それと同時に、先ほどまで廊下を満たしていたどす黒い気配が消え去っている。
美知香の同級生に軽い挨拶を交わして、二人は室内に入った。目的のものはすぐに分かった。部屋の一番奥に、特別にスペースを区切ったところに展示されていたのだ。
五寸釘がぎっちりと打ち込まれた藁人形が二体。
一体はただの遺物に過ぎなかったが、もう一体は違った。素人が趣味で作った類いのものではなく、どこかの術者が手を貸したと思われる本物だ。藁人形が展示されているすぐ脇に、那由他が座っている。裕樹の指示を受けて、彼女がこの周辺に結界を張っているのだ。
「まずいねー、あれ。右の奴、間違いなく本物だろ? 何とか出来ない?」
いったんその場を離れた二人は、掲示されているポスターを読むふりをしながら、会話を継続する。
「するのは簡単だが、それなりに時間がかかる。この人の入りでは無理だろう」
蒼雲が指摘した通り、【本物の呪いの人形】の人気は高く、狭い個室形式の展示室にはひっきりなしに人が出入りしている。
「かといって、勝手に持ち出すわけにもいかねぇし」
恐る恐る入っていく親子連れの背中を見送りながら、蒼雲は思考を巡らしていた。
「放っておいてよい物ではない。かといって、お祭り騒ぎの雰囲気の中で好奇の眼にさらされているだけなら、特に害を成す物でもない。念のため、俺も部屋の中に結界を準備して、しばらくはこのまま静観するか」
「じゃぁ、どうする?」
「仕方が無い。無難に、譲ってもらうしか無いだろう」
「は?」
「俺に考えがある」
「無難に」という言葉通り、蒼雲のとった方法は正攻法だった。
①部長を呼び出し、「あれは間違いなく本物で、あれをこのまま校内で保管するのはよろしくない」と脅す。
②その上で、「自分の家は神社で、父があの手の物の供養を得意にしており、供養すれば、拾って来た人も展示した人も見学した人も祟られたりはしない」と安心させる。
③そして最後は、「今日展示が終わったら、自分が責任を持って預かりましょう」と持ちかけたのだ。
彼らとしても、今日の客寄せの役を果たせば、そんな危険がある怪しいものを部室に保管しておく必要は無いのだ。「本物」「ちゃんと供養しないと祟られる」という言葉は、高校生の男女を怖がらせるには十分な単語だった。
「では、交渉成立ってことで」
蒼雲は、浅川と名乗った部長に丁寧に頭を下げた。
「十六時半には引き渡せると思います」
「わかりました。ではその時間にもう一度伺います」
閉門は十七時だ。閉門前に展示を閉めて、人形を引き渡してくれるという約束が交わされた。前後の雑談も含めて交渉には思いのほか時間がかかったが、裕樹がその間、美知香を連れて斜め向かいの二年E組のお化け屋敷に行っていたおかげで、美知香の機嫌もすこぶるいい。
「ヤダァ。もう、ほんとあれ、怖かったよぉ」
裕樹の腕に自分の腕を絡めて出て来た美知香の表情を見ると、ドサクサというよりも確信犯的行動だろう。
「そろそろ時間だから、食堂に行こうか」
時刻は程なく十一時半だ。弓道場のイベントは十一時四十五分までだからまだ終わっていないと思うが、先に行って席取りをしておく必要はあるだろう。
「そうね。こっちよ」
来る時より遥かに軽やかな足取りで、美知香が食堂へと先導していく。
裕樹と蒼雲も、彼女の後に続いた。