金魚ガールズ
一年C組の屋台は生き物を扱うということで、屋根がついている渡り廊下にあった。校舎とメイン体育館を繋ぐ通路で、C組の金魚すくいの他には、三年D組が出しているザリガニ釣りの屋台があり、朝早いというのにどちらもにぎわっていた。
「美知…」
隆司が呼びかけるより早く、瀧島美知香はブースから駆け出していた。
「御鏡君!」
若さが弾け飛ぶような爽やかな、それでいて何とも艶やかな声。ヒラヒラの衣装は、金魚を模したコスプレだろう。満面の笑みの横でツインテールがウサギの耳のように可愛らしく跳ねる。梓乃が清楚で可憐な白百合だとすると、美知香は真夏に咲く向日葵だ。棘を隠し持っている点において、梓乃は白薔薇にたとえられるべきなのかもしれないが。
「久しぶり御鏡君! 本当に来てくれたのね! 嬉しい!! 会いたかったの! ほんとにほんとに!!」
いつの間にか裕樹の手を取って、ブンブンブンと勢いよく振っている。
「落ち着けよ、美知香」
「え? あ! あ…あっ…」
裕樹に名前を呼ばれてようやく我に返る。同時に襲って来たらしい羞恥心で、彼女の顔が真っ赤になっていく。
「相変わらずだな、美知香は」
「あ、いや…、ごめん。御鏡君…」
モジモジと、視線を逸らしたまま羞恥に悶える。
「美知香のやつ、お前が来るって聞いてハイテンションだったんだぜ。もうすっかり恋する乙女だな」
「う、うるさい! 川原のくせに、余計なこと言わないでよ!」
隆司を責める美知香は、顔を真っ赤に染めている。怒りではなく羞恥に。
「何言ってんだよ。俺が裕樹を呼んでやったんだぜ」
「私だって電話したんだから、あんたの手柄みたいに言わないでよ」
裕樹を目の前に、隆司と美知香は口喧嘩を続けている。
「相変わらずお前達は仲がいいね」
「「仲良くなんか無い!」」
「息ピッタリ」
裕樹の隣で雅哉がボソリと呟き、再び二人は顔を真っ赤にして沈黙した。
先ほどと同じように、三人がそれぞれに美知香と挨拶を交わす。隆司の時と同じように美知香の視線も梓乃の顔にしばらく固定されたが、おそらくその意味は全く違う。そして彼女の視線が、それ以上長い間、蒼雲に向けられていることも裕樹は気がついていた。
(美知香は蒼雲がお気に入りか?)
裕樹がそう邪推するほどに、美知香の視線は長い間、蒼雲の顔を見つめていた。
「あ、えっと…金魚すくい、やっていってよ。ちょうど今空いているから」
集団で群がっていた中学生達がいなくなり、ブースにはほとんど客がいない状態になっていた。
「いいねー。金魚すくいなんて久しぶりだな」
一番先にやる気を見せたのは雅哉。
「私、小学生の頃、一度やったことがあるだけです。裕樹さんは?」
「裕樹さん」という呼び方に、美知香の視線が梓乃へと移る。その視線には、明らかな嫉妬の色。
(女心は難しいな)
裕樹と隆司がちょうど同じタイミングで同じことを思った。
「俺も小学校以来かな。四〜五回はやった記憶あるけど…最後はもしかすると、お前達と一緒に行った八幡さんのお祭りじゃないかな?」
「小学校六年の時の?」
「いや、中一の緑山公園祭りじゃないか?」
裕樹の問いかけに隆司が首を傾げながら考え込み、別の固有名詞を美知香に投げる。三人は、金魚すくいの記憶を辿って盛り上がっている。
「おい、裕樹。どうせだから勝負しようぜ」
金魚が泳ぐ桶を覗き込んでいた雅哉が振り返る。
「お。いいねー」
「俺は昨日やったから」
裕樹の視線に隆司は首を横に振った。
「私、やりたいです」
座り込んで金魚を見つめていた梓乃が小さく手を挙げている。
「蒼雲もやれよ」
「俺はいい」
「なんだよ? 俺に負けるのが怖いんだろ?」
先ほどのチョコバナナの件で勝手に勝負を挑んで負けたことを、一方的に恨んでいる雅哉が、笑いながら蒼雲に迫る。
「俺は別に、お前との勝負に興味は無い」
相変わらずの冷たい対応。
「まぁまぁ、そう言うなよ。蒼雲もやろうって」
蒼雲の答えを待つこと無く、裕樹は、すでに四人分の代金を払っている。受け取ったポイを蒼雲にも差し出す。
「お前なぁ」
「まぁいいじゃん。たまにはさ。お前、さすがにやったことないだろ? これ、ポイって言ってさ。このポイで金魚を掬って容器に入れる。簡単そうに見えるけど、ポイは水につけるとめちゃ脆いから、気をつけて扱わないとすぐに破れちゃうんだ。雅哉が先にやるから見てなよ」
言われるまでもなく、蒼雲は先ほどからすでに、男女が並んで金魚すくいをしている様子を観察していた。自分がやることになるとは思ってみなかったのだけど。
「蒼雲にだけは負けないからな」
喧嘩っ早いというわけではないが、格闘技を学んでいるものの宿命かも知れない。勝負事になると真剣になる。それがどんな勝負でも、負けたくないと思うのは本能から湧き上がってくるような自然な感情だ。
「くっそー。こいつら、無駄に早い!」
意気がっているだけでは金魚は掬えない。雅哉は、思い通りにならない作業にイライラを吐き出す。
「そんなに追いかけ回したら、金魚がびっくりしてしまいますよ」
「あー。もう、何で梓乃ちゃんそんなに上手いんだよ」
「雅哉さんが焦り過ぎなんですよ」
いつもと変わらない穏やかな口調で、梓乃は着実にボールの中の金魚の数を増やしている。
「あー、くっそ!」
再起不能なくらいに破れてゲームセットになったポイを睨みつけて、雅哉が立ち上がる。梓乃はまだ、手を動かしている。
「すごーい! こんな掬えた人、初ですよ!」
雅哉にとっては不本意な結果でも、周りの評価はそうではなかった。C組の金魚ガールズ(金魚のコスプレをしている女子をそう呼ぶのだと美知香が教えてくれた)達が、雅哉のボールを覗き込んで感嘆の声を上げている。梓乃の予想通り、大学生のお兄さんに見える頼もしい雅哉は、金魚ガールズ達の注目を集めていた。
「俺なんかより、梓乃ちゃんの方がすごいだろ。俺の倍は掬ってるぞ、あれ」
金魚がいっぱいになって既に二つ目のボールを使っている梓乃は、ここでようやくゲームセットを迎えた。
「梓乃ちゃんにも勝てないんじゃ、蒼雲には負けたな」
雅哉と入れ替わるように座り込んだ裕樹が意地悪な目で彼を見上げる。
「それはわかんないだろ。あいつやったこと無いって言ってるし」
「確かにそれはそうなんだけど、蒼雲にできないことがあるとは思えないんだよねー」
「うんうん」と、梓乃も激しく頷いている。
「俺は期待されてるのか? それともされてないのか?」
裕樹に促されて、右袖を捲り上げながら面倒くさそうに座り込む。金魚掬いに乗り気ではなかった蒼雲も、勝負と聞いてわざと負けるようなメンタリティーの持ち主ではない。むしろ、日々の「勝負」が命懸けなだけに、勝つことしか考えていないだろう。
二人のポイが、静かに水中に沈む。二人の動作は落ち着いていて、それでいて流れるようなものだった。特に蒼雲の動きは、見るものの目を釘付けにした。まるで金魚の方からポイに吸い寄せられるように、最短の動きで次から次へとボールに掬い上げられていく。同時に五匹の金魚がポイに乗っていたこともある。素早く動く金魚の動きが、蒼雲には全て、止まっているかのようにゆっくりと見えていた。
結果は予想通りだった。
「蒼雲、お前ほんとは初めてじゃないだろ? 宗徳さん、金魚掬いも夕食に出したんじゃないか?」
「金魚を夕食に?」
雅哉のすぐ横で蒼雲のボールを覗き込んでいた美知香が、断片的に聞こえて来た言葉に慌てて顔を上げる。
「いやいや、冗談だって。ははは」
困ったように手を振って紛らわす。雅哉がこんな冗談を口にするほど、蒼雲は初めてとは思えない戦果をあげている。
結果は数えるまでもなく明らかだったが、金魚ガールズ達は、ご丁寧にも各人の金魚の数を数えてくれている。
「さすがですね、蒼雲さん」
梓乃が蒼雲を羨望の眼差しでみる。
「梓乃ちゃんだって大概だろ?」
裕樹も苦笑いを浮かべるしか無い。周囲には、いつの間にかギャラリーが集まり人だかりができていた。
「動体視力が良いのは生まれつきですからね」
それは、猫使い特有の性質、というわけだろう。しかも、今現在も猫化している蒼雲には、泳ぎ回る金魚を目で追うことなど雑作も無いことだ。
「あ! そうだ、お前、ずるいだろ」
「それは俺に言われても困る」
雅哉の理不尽な反論を軽く受け流す。常時猫化していろというのは、蒼雲の父である蒼龍からの指示だ。
「えっとー。一位の方が212匹で、二位の方が131匹。三位が84匹で、四位が56匹でーす」
「すっごーい! 212匹って、ぶっちぎり! この二日間のナンバー1ですよ!」
「です! 今日も絶対にこの記録は破られないと思います!」
「この記録、ここに掲示しておこうよ!」
金魚ガールズ達が黄色い声を立てて色めき立っている。彼女達の目がハートになっているのは、蒼雲の、その成績のせいばかりでは無いだろうと、裕樹は比較的冷静に状況を眺めている。
「あ。いいよ。金魚はいらない。俺たちまだこれからあちこち回るし、それに持って帰っても飼えないからさ」
C組バックヤード担当の男子達は、
「この数の金魚をどうやって渡したらいいんだ?」
とか、
「そもそも渡してしまったら今後の営業が不可能じゃないのか?」
といった相談を始めていたのだから、裕樹のこの言葉に、安堵したのは言うまでもない。
「ったく、また負けたー。200匹超えとかありかよー。まったく。腕で敵わねーのは仕方ないとしても、金魚掬いでも敵わないのかよ。やってらんないぜ」
不貞腐れた雅哉がブチブチと愚痴っている。そんな雅哉を、梓乃が適当に慰めているが、その様子がまた楽しそうだ。