つかの間の解放
学園祭の季節ですね。(秋だったりするところもありますが)
本編完結していないのですが、ふと学園祭ネタを思いついてしまったので本編から脱線して学園祭編です。
短めですが、連載です。
番外編ですが、時系列に従っていて、本編に絡む要素が入っています。
学院から帰宅すると、すぐに夕食の時間だ。自室に戻り制服から着替えて食堂に集まる。この屋敷には、屋敷の主の猫風蒼龍や、春から同居している御鏡俊樹だけではなく、猫風家の使用人などたくさんの人間が滞在しているが、子供達とは、食堂は別々になっている。メニューが違うとか、彼らに聞かれて困る話があるとか、そういう理由もたまにはあるのかもしれないが、そういうわけではない。ただ単に、食事と睡眠の時間は邪魔されたくないという猫の性質から来る猫風家の習慣だ。
そのおかげで、四人だけで囲むことができる食卓は比較的おおらかで、雑談の延長が続く。食後の自由時間を含めて一時間は、彼らに与えられているわずかなリラックスタイムだ。
食堂の隣は休憩室になっていて、ここにテレビが置かれている。コーヒー、紅茶、ほうじ茶、緑茶などを飲みながら、のんびりニュースを見るのが大抵の日の日課だ。
「あーあー。いいなー」
その休憩室から、雅哉の溜め息にまみれた青い声が聞こえてくる。
「なにを見ているのですか?」
一足先に休憩室のテレビ前に陣取った雅哉が食い入るように画面に見入っているのに気がついて、後から来た梓乃が興味深そうに画面を覗き込む。
「これどこですか?」
女性リポーターが、どこかの駅前からデモの様子をリポートしている。
「何のデモだ?」
コーヒーの入ったマグカップを片手に、裕樹も部屋に入ってくる。二人に視線を移すこともなく、雅哉は相変わらず真剣に画面を見つめている。
「いいーなー。女子高生」
「はぁ?」
しかし、彼が羨ましがっていたポイントは大きくずれている。デモをやっている脇を、近くにあるらしい女子校の生徒達が人の流れを避けながら迷惑そうに歩いている映像が映し出されている。
「これ、聖マーガレットの制服だろう? かわいいなー。お? こっちのこの子はアイリスか……、こっちも可愛いな」
「やだ、雅哉さん、制服フェチですか?」
立ったままだった梓乃は、まるで汚い物でも見るようなあからさまな嫌悪の表情で、雅哉から遠く離れた対角線上の席に腰を下ろす。
「えー。制服好きだろ、普通。セーラー服最高! なぁ、裕樹?」
「雅哉、何言ってんだよ。いるだろ、目の前に。可愛い女子高生が」
テーブルを挟んで雅哉と向かい合う位置の座布団に腰をおろしながら、裕樹は呆れたように相手を見る。男同士ということもあり、さほどの不快感は感じていない表情だ。
「いや、そりゃぁもちろん、梓乃ちゃんは可愛いけどさ。学院の制服も可愛いとは思うけど。でもそうじゃなくてよぉ。こういうの懐かしいだろ? ほら、見ろ、こいつら、明らかに付き合ってるぜ? 手なんか繋いで、生意気に」
「なんだよ、ヤキモチか?」
「裕樹だってさ。中学の頃は普通に同級生と一緒に街歩きしただろう? 」
「俺はまぁ、普通にな。お前も普通に街歩きなんかできてたのか?」
雅哉の中学生時代の話は断片的にしか聞いていないが、休みの日の自由は無かったはずだ。
「平日は結構自由だったからな。門限はあったけど、それまでに戻れば良かったし、ゲーセン行ったり、マック行ったりしてたぜ。お前だって放課後遊び歩いたりしてただろう?」
雅哉が放課後の時間を自由に使えていたというのは、遠山衆の日常を考えれば少し意外だった。遠山衆は、山岳修行を基礎とする修験道の宗派だ。高尾山近くに大きな寺を持っており、弟子も多い。跡取りとして期待され教育されてきた雅哉は、「相当自由を制約されてきた」と雅哉本人から聞かされていた。
(意外だな)
そのとき聞いた話を思い起こしていたため、自分が質問されたと気がつくまでに数秒の時間がかかった。
「あー。放課後は無いなー。俺の学校、結構部活が熱心でさ」
「へぇ? 部活やってた? あ、あれだろ? 剣道部」
「いや、俺は華道部だ」
「かどうぶ?………って、花?」
今度は、雅哉の反応が数秒遅れた。音を入力して漢字に変換するまでに時間がかかったという風情だ。
「そう。生け花ね。うち、全員何らかの部活に入らなきゃいけなくて、9割以上が運動部なんだよ。もちろん俺も運動部入るように散々説得されたけど、祖父の家に剣道場があってさ。十歳からは、学校が終われば毎日そこに通って夜遅くまで修練するって日々だったから部活なんかに入れるわけなくてさ。母親が花屋やってて、それで何とかごまかして華道部を承諾してもらったってとこかな。週一回の部活に出るだけだからほぼ帰宅部みたいなもんだよ。同級生はほぼみんな運動部入ってるから、特に一緒に遊ぶこともなく真っ直ぐ帰宅」
「あー、それは俺も一緒だな。俺も部活入らせてもらえなかったぜ。その代り、放課後は遊んで帰ったけどな」
「一人で?」
「うちは帰宅部のやつ多かったからな」
「そうか。なんか羨ましいなー。あ、でも、俺もテストの前とか部活がない時には、幼馴染とつるんで遊んだりしたな。ファミレスでだべったりして楽しかった。つい最近のことなのに妙に懐かしいな」
男二人は、コーヒー片手に懐かしい話に花を咲かせている。
そんなにぎやかな二人を完全に無視する形で、蒼雲は一人、奥の席に端然と座っている。マグカップを片手に、新聞を開きながらテレビのニュースに耳を傾けている。
「蒼雲さんは、中学校の就学免除受けておられたんですよね?」
雅哉を避けて蒼雲の向かいの席に座っている梓乃が、少し身を乗り出すようにして蒼雲に話しかける。盛り上がる男同士を無視しているので意外なようにも思えるが、蒼雲はこういう時、特に嫌な顔をしたりしない。名指しで話しかけられれば、それなりに真摯に応じる。すぐに紙面から視線をあげて梓乃の顔に移す。
猫使いの一族は、特例で就学免除、いわゆる、義務教育免除という優遇措置を与えられている。もちろん、その制度を使うかどうかは各家の当主の判断に委ねられていて、猫森家では、梓乃の兄、次期当主を確約されている柾一郎は就学免除を受けて中学校には通っていないが、長女の梓乃は小学校、中学校ともに普通に通っているという風に、個別に対応が違う。要するにその差は、子供の家系内での序列や実力による期待度の差と考えてもよい。猫使いの一族では、長子優先の慣習よりも能力優先の慣習の方が優先される。これは、多くの呪術師の家系の中では比較的普通に行われていることだが、猫使いの場合は、生後すぐにその能力が判断される。もっとも霊力に秀で、家系の特徴を最大限に有している子供が次期当主として選ばれる。特に、猫化因子の強さがそれに影響する。
「うちは、兄が中学校には通わせてもらえませんでした」
猫森家は四人子供がいるが、長男の柾一郎の実力が飛び抜けて優れていたため、早い段階から次期当主と定められ揺らぐことがなかった。次期当主の柾一郎と、いずれは猫使いのどこかの家系と婚姻する身である序列二位の梓乃とでは、学ぶべきことの密度が違う。就学免除の制度は、基本的に、次期当主の為にあるような制度だ。当然、猫風家の次期当主である蒼雲も、就学免除の適用を受けているはずだと、梓乃は思ったのだ。
「あぁ。俺は学校には一度も通ったことが無い」
「え? 一度も? ということは小学校もですか?」
想像の上を行く答えに、一瞬、梓乃の思考は停止した。
「何を驚いているのかわからないが、そうだ」
梓乃がテーブルに両肘をついたままポカンと自分を見ていることに対して、蒼雲は不思議そうな顔をした。就学免除は中学校のみに適用されるわけではない。小学校に通わない選択があっても不思議はないのだ。それでも、それは梓乃の想像の範疇を超えていた。
「小学校もなんて、ひどくありませんか?」
「俺に言われても困る」
「そ、それはそうですが……」
そんなつもりは無かったのだが、蒼雲を責めてしまったような口調になってしまったのを感じて梓乃が口ごもる。
出会いが最悪だった二人だが、蒼雲は梓乃のことをあの一件を理由に避けたりはしていなかった。というよりむしろ、相変わらずの無関心ぶりと言ってもいいのかも知れない。
対照的に梓乃の方は、蒼雲に対する気持ちが大きく変化していた。明らかな好意に。ぶっきらぼうな返答は相変わらずだが、話しかければ必ず答えてくれる。特別に優しくしてもらっているわけではないが、少なくない確率で、いろいろと助けてもらっている。それになにより、七枝の話によると、修練中に怪我をした自分を、何度も手当てしてくれているらしい。最初の日に裕樹が言っていた通り、蒼雲は本質的に優しい男なのだと、梓乃自身が身を以て感じ始めている。イケメンランクで明らかに上位に入るような外見、頭脳明晰に加えてずば抜けた運動神経、その上で(多少口は悪いが)立ち居振る舞いが紳士的で優しいとあっては、恋に落ちないのが不思議なくらいだ。
自分の中で抑えきれないほどに大きく膨らんでいる好意に、梓乃自身も薄々気がついていた。好意を抱いている相手に不快な思いをさせたくはないというのは、普通の感情だ。
「お前を責めてはいない」
蒼雲は、戸惑っている表情から彼女の気持ちを感じ取って、ぶっきらぼうにフォローをする。
「学校に通うのが普通だと知ったのは最近だから、気にしたことは無い」
「なになに? 蒼雲って小学校も通ってないの? お前ってほんと悲惨な境遇だな。それって友達いないってことだろ?」
「ほっとけ」
雅哉の突っ込みには、不機嫌そうな台詞を返す。
「ってことはつまり、俺達が貴重な友達ってことだろ? もうこれは大事にするしか無いね。うん」
「うるさい」
「またまたぁ。素直じゃないんだから」
自分の方に身を寄せてグイグイと肘で押してくる雅哉の体を強引に引き離しながら、蒼雲は実に迷惑そうに眉を寄せる。見た目も性格も正反対と言っていい二人も、梓乃と同じく出会いは最悪だったはずだが、今ではすっかり仲がいい。蒼雲がどう思っているのかわからないが、少なくとも雅哉の方は、蒼雲にすっかり懐いている。
(実際の所どうなんだろう?)
目の前の蒼雲の様子を見ながら裕樹は思った。
(友達の有無は、おそらく蒼雲には関係ないはずだ。おそらく蒼雲は孤独であることに慣れている。むしろそうなることを望んでいる。いや、それはそうだな。孤独に慣れるように訓練されて来たんだから。では俺は? 俺のことはどう思っているんだろう。それに、)
「裕樹、いるか?」
不意に入って来た俊樹の声に、裕樹の思考がブツリと寸断される。
「父さん?」
「先生!?」
「あぁ、ごめんごめん。くつろいでいていいよ」
梓乃の体が緊張したのを見て、訪問者は申し訳なさそうな表情を浮かべる。完全にプライベートな用事で赴いたとはいえ、副担任であり自分たちの剣術の師匠でもある御鏡俊樹が唐突に現れたらびっくりしない方がおかしい。くつろいでいいと言われても、梓乃は背筋を伸ばしたままだ。
「裕樹。川原君から東高の学園祭の案内が来ていただろう?」
「え? なんでそれを?」
意外な問いかけに目を丸くした。
裕樹が呪術師、木霊使いであるということは、当然、幼馴染である川原隆司にも伏せられている。それどころか、猫風家に下宿していることすら秘密にされている。裕樹は、「東京の」、「とある高校」に通い、その「付属の寮」に暮らしていることになっていた。「寮の規則が厳しくて、携帯電話はもちろん、Eメールも、電話も禁止されている。連絡を取れるのは手紙だけだが、それも直接送ることはできない」ということになっている。川原だけではなく他の同級生たちも、今時そんな高校あるのかと不信に思っていたが、気さくで誠実そうに見える母親の律子も、生真面目で学究肌に見える父親の俊樹も同じことを言うのだからそうなのだろうと落ち着いてきたところだ。これで当人から何の反応もなければ、重病説や死亡説が流されても不思議はないが、裕樹は既に二度ほど川原の手紙に返信をしており、その疑いも払拭している。
実家に届いた自分宛の郵便はまとめてこちらに転送されてくるのだが、今週届いた封筒の中に、中学の同級生である川原隆司からの郵便が入っていた。それは彼と、もう一人の同級生である瀧島美知香が進学した東高校の学園祭への招待状だった。さすがに中身までは、見られていないはずである。
「うちにも電話がかかって来たらしくてね。律子が教えてくれたよ」
「そうなんだ…」
久々に聞く母の名前。友達同士どころか実家への連絡までもが禁止されている裕樹とは違って、俊樹は定期的に母と連絡を取っているらしい。
「お? よく行きたいって言わないね?」
裕樹の反応が薄かったのを少し残念そうにしている。
「それはそうですよ。学院に通っている間は家には帰らないって約束だし、それに俺、そんな余裕ないのもわかっているし…」
俊樹が自分たちの副担任だとわかったあの日から、なんとなく裕樹は、蒼雲ほどには厳密ではないにしても、普段の生活でも父親に敬語を使うようになっていた。同じ猫風家の屋敷内に滞在しているとはいえ、ほとんど道場でしか顔を合わせないし、その時には師匠と弟子の関係だ。敬語を使うのも自然な流れだ。
「ふぅん。意外ときっちり自分の立場をわかっているみたいで安心したよ」
俊樹は意地悪な笑みを浮かべる。裕樹もここ二ヶ月ほどで、いろいろと試されることに慣れて来ていた。地元で有名な進学校である東高の学園祭は、文化系の部活動の展示やイベントはもちろん、体育会系の部活動の演舞や露店も出される大きな学園祭ということで有名だった。行ってみたい気持ちはもちろんある。学園祭自体への興味はもちろん、隆司や美知香に会いたいという気持ちも強い。それでも…。裕樹にだって自分自身の立場はよく分かっている。実力不足も十分にわかっている。許されるとは思っていない。
「まぁでも、今回は行って来ても良いよ」
「え?」
意外な言葉に心までもが上擦った。言われた言葉を理解するのにたっぷり三秒はかかった。
「いや、えっと、あの…」
「その代わりに条件があると思ってるか?」
「はい、まぁ…」
「少しは勘が良くなったな」
俊樹の皮肉に苦笑いしかできない裕樹は、困ったように他の三人に視線を送る。雅哉は背中を向けたまま笑いを堪えているし、梓乃は心配そうにチラチラとこちらを見ているし、蒼雲は当然のように完全無視を決め込んでいる。いつもの光景。
「条件とは言っても、そう悪くないと思うぞ。条件は二つ。一つ目は、日曜日に日帰りで行って帰ってくること。二つ目は、四人で行くこと」
「四人で?」
余裕の表情だった雅哉まで、大げさに振り返っている。
「そう。みんなにも休息が必要だろう? せっかく高校生になったんだし、学院では高校生らしいことは一切できないから、たまには羽伸ばしてくるのもいいんじゃないかな、って思ってさ。正直、いつ死ぬかわからないわけだから、楽しめる時には楽しませてやりたいって思うんだよね」
遠慮のない言葉。でもそれは事実だ。いつ死ぬかわからない。だからこそ、今を充実させるという理屈もわかる。
「裕樹の幼なじみが通っている高校なんだよ。地元では結構有名な大きな学園祭をやる高校でね。雅哉君も梓乃君も楽しめると思うよ」
自分を見上げている雅哉と梓乃に状況を説明して、俊樹はにっこりとほほ笑む。道場では容赦なく厳しい俊樹だが、道場を出れば面倒見の良い優しい先生だ。学院では、担任の蒼龍や副担任の俊樹以外にも複数の呪術師が教師として自分たちと関わっているが、その中でも普段の俊樹は群を抜いて優しかった。
「はい。俺も行かせていただけるのはとても嬉しいです」
「私もです」
雅哉と梓乃が大きく頷く。
「でも…」
雅哉、梓乃、裕樹はお互いに顔を見合わせ、その視線を蒼雲に送った。お互い無言だったが、言いたいことはわかっていた。それはもちろん裕樹も同じだ。
「心配ないよ、ちゃんと三人の保護者には了解取ってるからね。宗鷹さんに車も手配してもらえることになってる。あぁ、もちろん、土曜日まではいつも通り修練するから、そこは覚悟しておくように」
それにしても条件が緩すぎる。
裕樹はもう一度、蒼雲の方に視線を送った。目が合う。
蒼雲は小さく肩をすくめた。
「今回ばかりは、特に裏は無いよ。きみたちのモチベーションを上げたいと思っているだけだ」
「今回ばかりは、か…」
裕樹の背後で雅哉が小さく溜め息をつく。自分たちが箱庭の中で飼われているだけの存在であることは、よくわかっていた。もちろん、箱庭の管理者が誰であるかも。それが俊樹たちではないことも、よくわかっていた。
「とりあえず、行っておいでよ。蒼雲君も。嫌かもしれないけど」
「いえ。嫌ではありません。お心遣いありがとうございます」
「そういうとこ、ほんと子供らしくないんだよなー」
「子供らしいことを期待されても、俺にはその辺りのさじ加減がよく分かりませんから」
「まぁ、学園祭で勉強しておいでよ。大抵の男子高校生は、くだらないことに熱中して馬鹿みたいに熱くなってるだろうからさ。たまには同年代の男の子たちと馬鹿騒ぎする経験も悪くはないと思うよ」
俊樹はそこまで言うと、
「じゃぁ、また後で」
すぐに部屋を出て行ってしまった。今日はこれから普通に夜の稽古がある。裕樹達も、そろそろ道場に向かう支度をしなければいけない時間だ。
「まじか〜。学園祭か〜」
「楽しみですね、裕樹さん」
「そうだね」
「よーし。じゃぁ俺、今日も明日も頑張るぞー」
雅哉は残っていたコーヒーを一気に喉へと流し込みすでに立ち上がっている。気合い十分という表情。鼻先に人参をぶら下げられた馬のようだ。
「見事に父さんの戦略通りだな…」
「あれが子供らしい、っていうのか?」
蒼雲が、雅哉の背中を見ながら呟く。
「子供らしいというのも大変だな」
重ねられた蒼雲の冗談に、裕樹は思わず吹き出すように笑った。