あいつの娘
「こちらに残って後片付けを手伝おうかと思います。」
あいつの母親は怪訝そうだった。むしろ、嫌悪の感が強かったぐらいだ。そして、当然ながら、彼女にも何らの労いの言葉なくそこを立ち去った。ただ、一言、あいつの娘が俺になついているのを見て、「よくなついていらして。」と一流の皮肉を述べていった。
彼女を略奪したのはあいつの方だ、そんなせんないことを告げたくなったりもした。式場を後にし、あいつの家に帰る段となる。俺の手にあいつの遺影があった。だが、取り立てた感慨は伴わなかった。一方、そんな自身にも苛またのも事実だ。思えば、あいつとは同じ、大学、職場だったし、何より同じ女性を愛した間柄だっただけにもう少し何か感じてもいいはずだと考えた。そうならない所以があるとすれば、彼女がなかば将来を誓いあった仲だっただけに、奪われたという感情がもたげていたからかもしれない。やはり、やめておこう。何分、自死だっただけに。
やがて、葬儀屋が来て、四十九日法要迄の白木の祭壇を組立てると、続いて遺影や位牌、骨壷を飾った。それにしても、慣れたもので、今後の法要や納骨について訊ねると、あたかも親類縁者の如しに答えるのだ。別段何もというふうに。
それにしても、俺に似ている。ここの女の子を見るにつけそう思う。もちろん、俺にはその覚えがあった。つまり関係を持ってしまったのだ。だが、つき合っていた間柄だったから、間男を働いているという感覚はなかった。その頃あいつと彼女が別居していたことは後で分かった次第だったし、彼女も妊娠したとも言わず、あいつの子どもとして育たのだ。となれば迷うものでもない。決め手は子どもが俺になついていることだろう。それは何より確信であった。つまり、彼女が俺の求婚を受け入れるであろうという。だが、一方でどうタイミングを見計らってするかは、悩ましかった。もちろん、四十九日の法要を過ぎてからであろう。それに女性は再婚禁止期間があるからなあ。そんな想いが巡りつつ、俺は子どもの寝姿を見入っていた。既に、灯りを消した寝室のベッドに愛らしい表情を見せていた。そこに何らかの意図があったのも事実だ。もちろん、俺の子だという思いをいだきつつも、一方、彼女の口からそれを認めて欲しいとも考えた。だから、いつまでも見入っていた。やがて、彼女もそれを察したようだ。
「気になるのね。」
「もちろんさ」
「確かにあの頃、夫とは別居していた。」
そして、彼女はその別居があいつのDVに起因していたと述べたのだが、意外な面が存していたことも告白したのだ。
「当初は私が至らないばかりにと考えた。だから自分を責めたわ。でも、そうしているうちに彼の暴力が受容できる具合になったの。そして、自分にマゾヒストのけがあるのに気づいた訳。でも、夫はそれが恐ろしく思えたみたいで、自分からこの家を出たの。」
彼女は、俺と関係を持ったのがその頃であったと云うものの、求めに応じた所以は語らなかった。無論、それを質すのはどことなく無粋であったし、果たして、明確な理由が必要なのかと思うばかりどうでもよくなってきた。
「あの人の繊細さって、まるで砂で造った楼閣の様に脆いものだった。でも、その脆さに惹かれたのも確かだった。あなたの安定した包容力よりずっとね。」
そう云って、俺ではなくあいつを選んだ理由を告げるのだった。
「私は、罪悪感の中、妊娠を告げたわ。でも、夫は、夫婦の間に生まれた子だから、私達の子だって。」
そして、わずかな期間ながら平穏な家庭生活であったと顧みるのだった。
「おそらくギャップがあったんだわ。突然だった。あのベランダから飛び降りたの。」
と云って視線を子どもが寝ている部屋の窓に向けた。
何故か深淵さを感じた。と共にその淡々と話す様に怖気づいてしまった。