悪魔の姫はどこで生まれたのか
「楽あれば苦あり」という言葉が、東の方の国にはあるらしいが、その言葉を彼女は――――《氷姫》は信じていなかった。
楽しい事があればそのまま楽しい事が続き、悲しい事があれば悲しい事が続く。楽しい事も、悲しい事も、どちらも続くばかりだったからだ。楽しい事があった後に、悲しい事は来なかった。
「わ……悪いと思わないで……くれよぉ。こ、ここ、これはしぜぇんの摂理なんだぁ」
無精ひげを生やして、目元に大きなクマを作っているその男性は、狂気に満ちた様子でそう言って来た。
正しい事を正しいと認識出来ていない、薬かなにかで頭が可笑しくなっているとしか思えない男だった。
実際彼はその通りであった。
彼女の、《氷姫》の父はまともな父親ではなかった。自分には真面目に商売をしてお金を稼ぐ才能がないと初めから決めつけていて、シュトルーデルカの政府に隠れて"闇の商売"で稼いでいた。
クリアマリアナ……綺麗な白いこの花は魔法の水で一晩浸して燃やす事によって、中毒性を持つ白い煙を放つ麻薬。
本来は国に禁止されているのにも関わらない中毒性のあるこの麻薬。彼はこの麻薬を売って、大金を取って生計を立てていた。領主という非常に名誉な称号をいただいているにも関わらず、父はその期待に応えようとは、最初から考えていなかったのだ。
《氷姫》は『闇の商売』をする父親に嫌悪感を持っていた。とは言っても憎むほどでもなく、あくまでもそんな商売しか出来ない、そんな商売しかしようとしないのが、嫌いだったのだ。
今、《氷姫》を襲っているこの男もまた、父が買った裏取引の常連客である。
仕事を辞めて、家族から見捨てられ、それでもまだお金を稼いで麻薬を買い続けたこの男も、金を用意出来なくなって、それでも欲しくなっての強行だろう。
父は既に殺された。母も同じように殺された。
自分の麻薬がどれだけ危険なのか、どれだけ人々を狂わせるのかを考え切れなかった父の失敗である。
《氷姫》は、狂った男に、口の中いっぱいにクリアマリアナを詰め込んだ狂者を見ながら、世界を呪った。
何故、自分がこんな目に遭わなければならないのか。
どうしてこんな狂った男に人生を狂わさなければならないのか。
自分はなにを間違ったのか。
考えても頭の中に浮かんで来るのは、こんな事態を引き起こした父への不満の言葉と、こんな形で死ななければならない世界の理不尽さだ。
『……呪ってやる』
その言葉はこんな状況ならば、誰もが抱く言葉であろう。
世界はひどく残酷である。
1人の少女が世界に対して、絶望しか持てなくなる程度には。
【力が欲しいか? ただし、その分代償は支払って貰うが】
彼女の耳に聞こえたその言葉は、神の救いと言うよりかは、悪魔の誘いに近かった。
しかし、彼女には世界に絶望していた彼女は、その言葉に応えていた。
『――――良いわ、あなたの言葉に応えるわ。
代償なんてなんでも良いわ。欲しければ好きなだけ取りなさい。
父は失敗したわ、人間としても。領主としても』
"だけれども自分は違う"。
彼女は自分に言い聞かせるように、眼前の精神患者を睨み付ける。
その瞳の中には目の前の男の顔は映っておらず、自分の運命をこんな物にした父の幻影を見ていた。
『私は失敗しない。貴族の、淑女としての役目を果たして見せます。
――――そしてこの世界を、私の色に染めて見せましょう!』
【その覚悟に対して、我はそなたに力を与えよう。
狂気に支配されし者に襲われし、そなたにはそれを対処するに相応しい力を、全ての狂気を凍結する力を与えよう】
ふわりと、そんな言葉が頭の中に響くと共に、彼女の身体に力が湧いてくる。
身体に伝わる全能感、目の前の全てを凍り漬けに出来るという力が身体に伝わって来る。さっきまで感じていた、この男に感じていた恐怖の感情がすーっと消えていく。
(あぁ……そっか……)
"全ての狂気を凍結する力"。
彼女に語りかけて来た悪魔はそう言っていた。
初めは氷の、相手を凍らせる程度の力だと思っていた。だけれどもそれだけではなく、"全ての狂気を凍結する力"とは彼女の精神すらも凍らせる力だったのか……と。
『だけれども、この方が良いわ』
父の、非道な悪事を申し訳なさそうに行っている父の事を常に冷たい目で見ていたせいか、彼女は貴族の間から本名ではなく、氷のように冷たい女――――《氷姫》と言われてきた。
そんな彼女にぴったりの能力だ。
「ひ、ひぃっ! か、かか、身体の感覚が……く、くくっ、くひっ! く、くく薬がきき効いて来たたたのか?」
バカな男だ、と彼女はそう呟いた。
自分の身体が氷漬けにされていたら、普通は自分の身体の心配をするだろう。
それなのにも関わらず、喜ぶなど普通の人間のする事ではない。
(……あぁ、そうか。こいつは"人間じゃない"のですわ)
氷の力を、悪魔から貰った力の影響なのか彼女の心に焦りはなかった。むしろ、冷え切っていた。
全てがどうでもよく、目の前の事がまるで他人事のように感じられていた。
第三者視点のように。
遠くからの事を新聞かなにかで見るように。
彼女は薬で狂った男にそのような事かという、その程度で見ていた。
「終わらせましょう……このくだらない世界なんかとは決別しましょう。そのためには、あなたとも決別致しましょう」
「いひっ! いひ、いひひひひっ! 全てはあの偉大なる薬のためにぃぃぃぃ!」
「……うるさいわ」
冷たい口調で言い捨てる。
そして彼女は全てと決別する。
自分を襲ってきた男も。
父が築き上げてきた家も。
見て見ぬふりをしてきた村の連中も。
その全てを何一つ分別なく、氷漬ける。
大人も、女性も、子供も、老人も。
なにも区別をする事なく、全てを凍り漬ける。
そして全てに決別した彼女は、悪魔の声に従うようにして世界を変えて来た。
《蒼炎》。
《埃神官》ユーリ・フェンリー。
《音巫女》ターニャ・ヨルムン。
そして――――《魔王》アマデウス・ノーニーズ。
悪魔の声に導かれし者達と共に、《氷姫》は今日も世界を凍りつかせる。
「うふふ……楽しそうねぇ」
退屈だった。
アンティーク品を集めて気分を紛らわせていた、世界に退屈していた《氷姫》。
そんな《氷姫》がちょっとだけ気になっている相手、ちょっとだけ面白いなと感じている相手――――錆びた騎士の人形を見つけて、楽しそうに見ていた。
「どんどん面白くなりそうですね」
状況は理解していた。
冷静に、冷酷に、彼女は状況を見ていた。
退屈という言葉を嫌い、進化をするという建前に置いて今までの物を簡単に切り捨てられる。
そんなくだらない、変な人生論を持っているこの国の人々。
いつまで経っても変わりはしない、くだらない人間同士の脚の引っ張り合い。
その事に彼女の心は取り乱されない、そうなるように悪魔に作り替えられてしまったのだから。
(けれども……)
人一人くらい。
いや、この会場に居る人達くらい。
そんなのはこの広い世界にとっては、些細な数でしかない。
ちょっとくらいは良いかも、と思うのは間違いだろうか?
ちょっとくらいは間引いても良い、と思うのは可笑しいだろうか?
植物が大きくなるためには、小さい苗や、粗悪な苗などは予め取っておく方が良い。
無駄な物を育てるよりかは、正しい物のみを大きく育て上げるために、養分を取られないように間引いて置いた方が大きく育つのだから。
だから、これから行うのは大量虐殺なんかじゃない。
ただの、世界と言う大きな大樹を育てるための作業。間引きである。
「さぁて、この会場に御集りの皆様?
この淑女、世界に選ばれし貴族のこのわたくし、《氷姫》がここで宣言いたします」
全ての人間に聞こえるように、理解して貰えるように。
《氷姫》は大きな声で伝える。
「世界を成長させるには、不要な果実は芽の段階から取り除きましょう。
この場から、世界に不必要な物はわたくしが凍てつかせて、排除致しましょう。
あなた方の犠牲は決して犠牲なんかではありません。世界をより良い方向に導くための、尊い行為です」
先程大きな声で司会が分かりやすく、観客に伝えたように。
お姫様は笑みをこぼして彼らに伝える。
――――殺戮の開始を。
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