彼女はなにに弓矢を放ったのか
雪崩、それはとても怖いものだ。
一度巻き込まれてしまえば雪の重みとその寒さによってまず助からないと言われているその自然現象によって、多くの人々が命を落とす事になってしまう。
斜面に積もっていた雪が高速度で襲い掛かる雪崩は、この世界で最も恐れられる自然現象と言えよう。
「う、うわぁぁ!? あのバカがぁぁぁぁ!」
「……逃げるしかないなの」
俺とラースはと言うと、そのまま迫って来ている雪崩から逃げ出していた。
後ろから「待って~! 助けて~!」という声が気にしない。そう、聞こえない、聞こえない。
……まさか助けようとしていた相手に、殺されかけるとは思っても見なかった。
《グォォォォン!》
背後から、アケディアの助けを求める悲鳴のような声と共に、あの時襲い掛かっていた青い炎を纏った巨大狼が雪崩をかき分けて現れる。
「どうやらあの狼も一緒のようだ。まぁ、巨大狼にさらわれたのだから可笑しくはないのだが」
「……あの狼、この雪山に巣があると言う事はやはりハイエナウルフを素体に使ってるのでしょうなの」
まぁ、そうやって仲良く狼の正体を探っている暇は今の俺達には無い。なにせ、雪崩から逃げないと死んでしまうからな……。
(雪崩……くそっ、思い出せ。自然界最強の災害たる雪崩にもそれを乗り越える方法があったはず。た、確かあれは雪だから……そ、そうだ、火だ!)
雪は冷たい、そして火などで加熱する事によって溶けて水となる。
確か、そんな事を聞いた覚えがある。ならば大火力によって燃やし尽くせば雪崩は消え去る事が出来るはずである。
しかし、俺の火炎程度では吹雪を消し去るほどの威力はないだろう。
(じゃあ、どうする? このまま雪崩が来ない、山の麓まで逃げるか? 確かにそれも1つの方法ではあるが、確実に助かる可能性は低い。なにか方法は――――)
《アォォォォン!》
そうやって走りながら逃げる方法を考えている最中、後ろから追って来る巨大狼。
真っ青な火炎をまとい、雪崩などに臆することなくこちらに向かって来るその巨大狼は、それまではただ倒すべき魔物に見えた。しかし、雪崩と巨大狼を見た瞬間、俺の頭の中にある方法が思い浮かんだ。
「そうだ、その手があった!」
「……いきなり大声を出さないでくださいなの。耳に響きますなの」
隣で迷惑そうにこちらを見ているラースに対して「すまない」と一言詫びを入れた後に、俺は自身の右腕に炎をまとわせて雪を溶かして小さな穴を作り出していた。
そして左手でラースの手を取ると、そのままその穴の中に一緒に入る。
「……こんな小さい穴では雪崩から逃れる事は出来ないなの」
「あぁ、そうだな。だが、弓を放つにはこう言った確かな足場が必要になって来るだろう」
俺がそう言うとラースはと言うと、俺がなにをさせたいのかを理解したようである。
弓を放つためのしっかりとした足場を用意する、それがラースに弓を放たせたいんだと言う事をしたいと言う事を理解したようである。
「……先程も行ったと思うなのが、私は――――」
「それでも、やって貰いたい。これはお前にしか頼めない事だ。時間がないのでざっくり説明する」
俺はそう言って雪崩、そしてその前で走っている青い炎をまとった巨大狼を指差していた。
「良いか、雪崩とは要するに雪の災害だ。雪を溶かすのに炎を使えば良いのは分かるな。これを言えば分かるだろう?」
「……まさかあの巨大狼を雪崩にぶつけようとしているなの?」
俺がコクリと頷くと共に、「無理なのよ」と冷たく言い放っていた。
「弓矢の利点は遠距離性と正確性なのが、攻撃力ならば剣の方が勝っていると思いますなの。だから巨大狼を倒してまとっている火炎で雪崩を溶かすのならば、そっちの方が向いていると――――」
「違う、俺が狙うのは"あれ"だ」
俺が"それ"を指差すと、途端に彼女は怯えた表情でまさかと言う顔を見せていた。
「あれをに向かって放てと、あなたはそんな酷な事を言うのですが?」
「あの巨大狼の火炎を使って雪崩を溶かして、俺達が助かる道としてはそれしかない。いや、これ以上ない選択肢だと思う」
――――そう、これは彼女のための試練だと言えよう。
ハイエナウルフによって、まともに弓が放てなくなった彼女が、
ハイエナウルフが変異したと思われる巨大狼を倒すために弓を放つ。
これ以上分かりやすい物語はないだろう。
「――――けれども……」
「大丈夫だ。むしろこれ以上ない選択肢である事は、ダークエルフの村で狩人をしていたあなたならば意味が分かるはずだ」
そう、彼女だって分かっているはずだ。これが一番良い方法なのだと言う事は理解出来ているだろう。
そして――――だからこそ、迷っている。これは今までのように目を閉じて射るものではないと思っているのだろう。
「――――良いか。あいつを射って良い箇所は固い部分だけだ。それ以外の箇所を狙っても良いが、当たった場合に傷になる可能性も高いからな」
「分かってるなの……」
いつもならば当たって悪い場所なんてある訳がない。
ただ目測をつけて、そこに当たっていればいいと思いながら放つのとは訳が違う。
「分かってると思うが、ちゃんと狙わないといけないのは分かってるよな? 目をつぶらずにきちんと放てよ?」
「……意地悪なの」
何を言っているのだか?
そうなりたくて、目を瞑らずに弓を使えるようになりたいから着いて来たのだろうに。
「……分かってますなの。
ここは私が何とかしなければならない問題なの。あなたはそのためのチャンスをくれただけなの。
――――そのチャンス、活かして見せますなの」
そう言って彼女は弓矢を構える。この状況を打開するための一打を放つために。
いつもは閉じている眼を開いて、ぜったいに外さないという気持ちを持って、しっかりと狙いを定めている。
(……震えているな)
無理もあるまい。
トラウマとは容易く乗り越えられないからこそ、皆が苦難して乗り越えようとするものなのだから。
――――そして、誰かがそれをサポート、後ろから背中を押す人も必要になって来る。
「大丈夫だ」
俺はそう言って彼女の背中を押す。
――――目を瞑ってあそこまで正確な射撃が出来るのだから、目を開けていればもっと凄い射撃が出来るだろうと。
――――そこまで気にする事はない、リラックスして撃てば必ず狙い通りの場所に当てる事が出来るはずだと。
何も言わずに、ただ俺は触ってその思いを彼女に伝えようとしていた。
「……そうなのね」
彼女にもその思いが伝わったようで、彼女は弓矢を構える。
そして放つ。
放たれた弓矢は一直線に、そう動き回る目標にめがけて放たれ、そして――――
「ぎゃいん!?」
――――目標に弓矢が当たるとそのまま彼女は後ろへと吹き飛ばされる。
吹き飛ばされると共に、そのまま彼女は後ろを追っていた巨大狼へとぶつかる。
《ガルゥ!?》
まさか目の前で追っていた人物が弓矢に当たってこちらに飛んで来ると思っていなかったのか、巨大狼は急ブレーキをかけて止まろうとするもそうはいかない。
人間でも、そして獣でも、走り出したものはそう易々とは止まる事は出来ないのだから。
かくして見事に狙い通り砲弾は巨大狼の顔に激突する。
巨大狼は後ろに倒れこそしなかったがそれで十分。倒れる事が目的なんかではなく、その場に停止させる事が目的だったのだから。
《キャイン!》
後ろから迫って来た雪崩はそのまま消えていく。
真っ青な高い火炎の力を持った巨大狼の炎によって水へと変わり、蒸発していく。
そうして生まれた雪崩が来ない場所に、俺は火炎を使って雪を溶かして即席の防御壁を作り出す。
そうして雪崩は俺達の横を過ぎ去る。
脅威である雪の怪物は俺達の横を我が物顔で過ぎ去り、そして流れて落ちていく。
「ふぅ……やったな」
「……まさかアケディアさんを砲弾として、巨大狼にぶつけるだなんて発想。実行するとは思ってもみなかったなの」
「硬いだけが取り柄なのだから、そこを利用するべきだろう。
第一、助けに来たのに逆に雪崩で殺されかけたんだ。このくらいしても罰は当たらない」
俺がそう言うと、ラースさんはクスクスと笑う。
「……人を助けるという、可笑しな人形魔物が。
その信念を曲げて、人を使って助かるとはお笑い草でしかないなの。インヴィディアに会えたら是非教えるべき事なの」
その顔は、少しだけ本来の彼女らしい、素直な笑顔だったという。
【トラウマハ消エ去ッタ。
――――我ガ役目ハ終エタノダ】
巨大狼の青い火炎が消え去る頃には、雪崩はすっかり彼らの前から消えていたという。
よろしければご意見、ご感想をくれると嬉しいです。




