彼女はどうして弓を放てなくなってしまったのか
アケディアが居る巨大狼の住処に行く最中、少しは緊張感を解いてくれたらしいラースが俺にちょっとした話をしてきた。
あくまでも聞いた話という形ではあったのだが、あれはどう考えても自分自身の身上話だったのだが、彼女がそう言うのであるから俺は黙って聞く事にした。
世間から迫害されているラースが暮らすダークエルフ達が作った村では、お互い助け合いの精神が尊重されていた。
一人の女性が子供を産めば皆で育てて、一人が事件に巻き込まれてしまったら皆で事件を解決する――――どんな事であっても、皆で問題を共有するのがこのダークエルフ達の村での掟であった。
ラースもまた、そんな村の掟もまた何も不思議がなく守っており、特に弓矢の技術が高い彼女は子供達に、時には技術が低い大人達に弓矢のコツを教えたりしていた。
狩りでも役に立っていた彼女だったのだが、とある事件が起こった。
その日の狩りはあまり狩りに慣れていない子供のダークエルフ数人を連れての狩りであったのだが、ラースと大人2名が指導役としていたのだから問題はなかった。その日もあまり強くない魔物を狩るくらいだったので、特に問題はなかった。
けれども子供のダークエルフの1人が慌てていたのか弓矢を外してしまって、魔物の1匹が逃げ出してしまったのだ。ラースは一緒にダークエルフの子供と共に、魔物を仕留めようと言う事になったのだ。
ラースは「大丈夫なの。今度は自分も手伝うなの」と言って、ダークエルフの子供を励ましながら魔物を追っていたのである。
そして逃げようとしていた、探していた魔物を見つけたので、子供が弓矢を放っていた。
放たれた弓矢は魔物の足に命中していたがまだ動けそうだったので、ラースは加勢するために弓矢を放っていた。ろくに逃げ出す力を持っていないから、絶対に当てられるだろうなとラースは確信していた。
しかし、そんな事はなかったのである。
どんなに相手が傷を負って動きが鈍いからと言って、どんなに自分の腕に自信があろうが、慢心を持つ事自体がいけなかったのである。どんな事でも、真摯に取り組む事こそが大切なのだと言う事が。
ラースの放った弓矢は魔物へと当たろうとしたのだが、魔物は傷のせいでその場に倒れてしまった。恐らく子供が放っていた弓矢で魔物はもう過剰なくらいにまで攻撃されていたらしくて、ラースが別に放たなくても良かったのである。
彼女の放った弓矢は魔物に当たらずに飛んで行き、その奥に居た精霊に当たってしまったのである。
「――――それが、インヴィディアという少女だったらしい、なの。まぁ、これはあくまでも人から聞いた話だから、正しい話かどうかは定かではないなの」
よぅするに、それ以来怖くなってしまったのだ。彼女は。
いつ自分の弓矢が相手を傷付ける可能性があるのか、そう言った事を考えてしまうともう弓矢を放つ事が出来なくなってしまったみたいである。それ以来、実戦で弓矢を放つ事が出来なくなってしまって、目を閉じてじゃないと弓矢を放てなくなってしまったのだそうである。
「実戦で弓矢を放てなくなってしまった、"狩人"ね。それは確かに問題だな。
うちの騎士団にも人を斬る感覚を覚えてしまったせいで、真剣で人を相手すると震えてしまって戦えなくなってしまった騎士が居る。その騎士はと言うと、槍の腕は良かったので槍の師範として教育係に差せていたのだが……っと、これは無粋な話だったな」
危ない、危ない。
彼女にとって今の俺は魔物であって、騎士団の人間ではないのだから。
「……? 錆びた人形魔物にはキシダンと呼ばれる組織団体があったりするのでしょうかなの?
確かにその少女は……可愛らしい精霊に傷を負わせてしまって、その責任から弓矢を実戦で放てなくなってしまいましたなの。魔物に当たるかもと頭では理解しているなのが、この前のように――――精霊の彼女に当たるかと思うと射てなくなってしまったなの。精霊の彼女は気にしていなかったなのが、トラウマはなかなか消えないなの。
実戦で弓矢が放てないにしても森でキノコなどの食材を取っていたり、子供達に弓矢を教えたりしていたなの。表立って、"村の掟"で非難する人は居なかったなのが、絶対にうっとうしく思っていたなの」
――――自分よりも優秀なのに。
――――そんなに弓矢が上手いのに。
――――精霊の彼女は気にしていないのに。
ダークエルフだとしても、知能を持っているならば、僻みや恨みなどがあるのは当然だと言える。
「……精霊の彼女は、間違えて攻撃してしまった彼女を許していたようなの。まるで慈悲深い女神のようであったなの。精霊とダークエルフとは友人ではあったなの、けれどもダークエルフの彼女にとっては精霊の彼女にピンチがあったならば、すぐにでも駆けつけるくらいの気概であったなの。
きっとその彼女がこの場に居たのならば、今すぐにでもその精霊を助けたいと思っているはずなの。それと同時に――――この弓を放てない病気も何とかしたいと思っているはずなの」
「なるほど……それが俺に着いて来た理由と言う訳ね。もしかしたら弓をもう一回普通に放てるようになるかもしれないと言うのが、俺に着いて来た理由な訳ね」
「……ただの例え話ですよ。私は違いますので、さっぱり分かりませんが」
どう聞いても彼女自身の身の上話にしか聞こえないのだが、彼女自身が否定するのだから仕方がない。
「……さっきの例え話についてなんですが、その時の獲物もハイエナウルフだったらしいなの」
「そう……なのか」
「あの時外した弓矢を当てる事が出来れば、私は――――いや、その彼女はトラウマを乗り切って、弓矢を撃つ事が出来るようになるのかもしれませんなの……」
そう言いながら彼女は手元に持っている赤い弓矢を撫でていて、弓矢の事を本当に切なそうに見ていた。
弓矢の腕がありつつも、撃ってしまったらあの時と同じように誰かをまたしても怪我させてしまうんじゃないかと思う彼女のトラウマ。
「……撃てるように、なれば良いな」
「その人には私の方から伝えておくなのが……とりあえず、"ありがとう"なの」
そんな事を道すがら話し合っていたのだが……俺達は目的の巨大狼が居ると思われる巣穴である雪山の近くに辿り着いていた。
山肌にはある程度ではあるが雪が積もっていて、上空には黒い暗雲が広がっていたのであった。さてどこに居るんだろうと思っていたのだが、俺達の耳にアケディアの大きな悲鳴が聞こえていた。
『う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! や、やめてくださぁぁぁぁい!』
あの声はアケディア……!
どうやら巨大狼の魔の手から上手く逃げ出したようであるが、だがしかし……。
「アケディア、か? ……と言うか、こんな所であんなに大きな声を出したりしたら……!」
「や、やばいなの……」
俺とラースの2人が危惧している事は、恐らく同じ事であろう。
騎士団で雪山に行く際に隊全員が持っている共通認識にして注意事項、そして雪山での致死率を上げる最も危険な行為。
『だ、だれか助けて下さぁぁぁぁい!』
そんな悲痛さを感じさせるアケディアの声と共に、ゴゴゴ……ッと大きな地鳴りが山から聞こえてくる危機。
上を見るとそこにはまだ点にしか見えないながらも大きな声で助けを求めているアケディアらしき人物、そしてその後ろを追う青い炎を纏った巨大狼。
だが問題なのは、そんな事ではない。
もっと確かな、人を死に追い詰める"脅威"がこの場所へと、俺達に迫って来ている。
真っ白な脅威、白い巨大狼とも呼ぶべきそれは確実に迫りつつあった。
「雪崩……」
大声を上げるアケディア、それを追いかけて自身も大声を上げる巨大狼。
その2つの大音量が巻き起こした雪崩は、俺達へと襲い掛かっていた。
「「あの、役立たず!」」
助けに行った相手に何故か殺されかかっているのだ。
こんな言葉の1つや2つ、口から出て来ても可笑しくはないだろう。
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