過ぎたるはヤバし
結論から言おう。
骨折はしてなかった。でも心は折れた。
「犯人が捕まるまで外を出歩く時はジャックに肩車してもらうことにする」
「うちの子って心の折れ方がおかしいんだよなぁ」
アーサーが沸いた湯で茶を入れる。昨日の件について会議するていでテーブルを囲むんだけど結局本日も引きこもり継続の予感しかしない。仕事の再始動話は材木の下敷きにされた事件で見事頓挫した。殺されかけたわけだけど例のこともあって警察信用できないしさ。個人的にあのお巡り嫌いだし。
「こんなことならジャックには助け呼ぶんじゃなく犯人を追わせるんだった」
私の呟きにユアンがブスくれた声で「遅れてたら腕が潰れてたんだから最善だったんだよ。君は見通しが甘いんだよね」と嫌味を飛ばしてきた。よし、今度は仮面を割って泣かせてやろう。
ユアンの解体道具のマイナスドライバーみたいな棒をつかんで立ち上がったら、アーサーに取り上げられた。
「このまま次に狙われるのを待ってビクビク生きるなんて冗談じゃないよ!」
「確かにロッカを狙ったのが例の殺人犯なら、まずいな、本当にまずい、そして怖い」
「正義を振りかざした誰かに放火されるかもしれないしね。次はアーサーの家か僕の家が」
「問題が増えたのは間違いない」
頭を抱えてテーブルを囲む男共にテーブルを叩く。
「もっとしっかりしてくんない? 私が殺されちゃうかもしれないんだよ。何かあるでしょう建設的な対抗手段が! 警察以外にもっと上層機関があるとか探偵事務所に頼るとか政府に訴えるとか!」
他人事だと思って悩み方が呑気過ぎる!
「だからもう諦めて森の中にみんなで隠居したらいいんじゃないの?」
ユアンがコップにストローを差して仮面の口穴から熱い茶を飲みつつ捨て鉢に鼻で笑う。それにちょっと浮かれたような声でジャックが同調した。
「楽しそう」
追い詰められても何処か必死さが足りない連中だとは思っていたけど、根本で諦めてる節があるんだ。こっちは諦め癖で終わられてたまるもんか!!
「ジャック!! 引き篭もりの馬鹿と同じようなこと言っててどうするのさ!? 野人になって今度は山賊だと罵られて隠れ住む? そういう後ろ向きな性格だからいつまでも顔がどうとか舐めた理由で邪険にされる人生歩んでるんだよ! 負け犬人生でいいわけ? これから何十年も同じでさあ!!」
「ご、めん、なさい」
ジャックがシュンと頭を垂れると、ユアンが庇ってきた。
「大丈夫なんじゃない。ジャックはまだ成人したばかりの最年少なんだから達観して世渡りさえ覚えれば僕と違ってまだ持ち直せるさ」
「僕と違ってじゃない! あんたも努力して持ち直せよ!」
「この顔である限り無理だね。第一僕にそんなバイタリティは培われていない」
胸を張って言い切る台詞じゃないだろうが!
「顔! 顔! 顔! なんだよ、その程度のことで! あんた達が爪弾きに合ってんのは結局戦いもせずに巣穴に籠って不満ぶちまけてるだけだから――――」
言葉の途中で頭に衝撃を受ける。
「痛ったああああい!?」
頭を両手で押さえて睨みつけるとアーサーの拳だった。
「確かにうちは社会的にやってけない奴らの集まりだ。でも全員それなりに努力した末に陥ってる泥沼なんだよ。人に歴史ありっつってな、周りが怖くなるだけのトラウマがあって、それでも支え合ってなんとかやってる仲間なんだ」
「何が、何が努力の末の泥沼なのさ! 異世界に落ちるほど八方塞がりなこと!? 家族や友達と一生会えない状態より辛い状況!? 知ってる顔が一人もいない世界で生きていく程のことかっての!!」
「ロッカ! ここでやってくなら」
「家に帰れりゃ、私だって誰がこんな吹き溜まりなんかに!!」
近くにあった誰かの手をはねつけて外へ飛び出した。
走る景色は滲んでる。毎日毎日線のはっきりしない水彩画。落書きの世界に閉じ込められたみたい。眼鏡が無い世界って現実感が無いんだ。夢の中にいるみたいで、ずっと不安な気持ちにさせられる。
ほら、外に出ればすぐに何処か分からない。
無意識に人が多い所を走ってた。
「はあ」
すぐに息が切れて走れなくなって、歩いて、もう動く気にならないから立ち止まる。左右で人が通り過ぎる。こんなに大勢人がいるのに私を知っている人は誰もいないし同じ世界の人もいないんだ。私が一人で歩けるのなんて宿からアーサーの家までか、アーサーの家から行ったことがある場所か、アーサーの家から町の門までだ。それ以外、この世界ではずっと誰かの背を見つめて追いかけていた。世界どころかこの町のことだってほとんど何も知らない。知ってるのは三人分のシルエット。
怖い世界だ。帰りたい。よく知る世界に帰りたい。目で確かめられない物なんて信じられない。こんなのやだ。
人込みの中でうずくまる。
助けて母さん、助けて父さん、助けて、みんな、私ここだよ。
「ロッカ」
知ってる声に呼ばれたけど膝の間に顔を入れたまま動かなかった。どうせ、顔なんて見えない。
「もう少し頭が冷えるまでほっとくでしょ、普通。追いかけてくるとか空気読まないなぁ」
刺々しく返す。
近くに屈んで見下ろす気配がする。地面に影が出来た。
「しばらく外に出る時はジャックに肩車してもらうんだろ? 人混みでも何をされるか分からないんだから拗ねるなら室内にしな」
「分かってるし、正論とか聞きたくないし」
「いいや、人混みなら大丈夫だと心のどこかで思ってるから無謀なことが出来るんだ。こういう場所も安全なんてことはないんだぞ。ジャックの時に暴徒に囲まれた記憶はもうお出かけか? ほら、帰るぞ!」
腕を引っ張られて頭に血がのぼる。
「嫌だって言ってるじゃん!!」
振り払った指がアーサーの顔をかすめて肉を抉った感触がする。
「あ」
血を見て急に冷静になった。
「ごめんなさい、今、顔」
近づいて確かめようと腕を伸ばした瞬間、奇声が張り上げられた。
「いやああああわあああああがああああああああ!!!」
衝撃で奇声の方に顔を向ける。辺りの人もキョロキョロと身構えている中で、物凄く近くから突進してくる人影を見た。大きなその人に突き飛ばされて地面にスライディングする。
痛っ! 超痛い!!
「美しい顔に爪痕が! 世界の秘宝たるアーサー・カーペンターに醜い傷をつけやがったなああああ!?」
「うわああ! なんだお前!?」
地面に腹這いになったまま顔を上げるとガタイの良い男がアーサーをガッチリとホールドしながら嘗め回すように顔に指と視線を這わせている。冷たい地面からゾッと震えが走った。
「世界中の美しいと評される絵画や彫刻の優れた部分だけを集めたとしても劣らない、この奇跡の美貌を醜く汚すなんて八つ裂きにしても足りない行為! ああ一目見た時から君の虜でいくつ姿を留めようとあらゆる方法で試みても届かない。柔らかでいてしなやかな人の柔らかさを持つからこそ作品として残せないのだと耐えていたものを、もう我慢出来ない! ああああ、君は彫刻として生まれるべきだったのだ!」
「いやあああ!! 久しぶりにきたヤバい系のストーカー! 助けてお巡りさあああん!」
真っ青になってアーサーが叫ぶ。
私も何がなんだか立ち上がってパニック状態で訴える。
「も、も、も、もう我慢出来ないって恋心的な意味で!? 想いを伝えるにしても無理やりは駄目だと思うわ! 嫌よ嫌よも好きの内っていうのはある程度仲が良いのが前程なわけで、強引に見えるけど合意の」
「黙れ! 罪深く醜い俗物め。ああ、恐れていたことだった。光へ集まる害虫に取り囲まれ、獣の跋扈する町の外へ出ていけばいずれこうなるのは必然なのに」
「誰か」
辺りを見回せば人のシルエットはたくさんいるのに悲鳴を上げて距離をおかれる。
「そうだ剥製にしよう。動くからいけないんだ。もう誰の手にも触れさせないように守れば悲劇は繰り返されない。しかも首から上なら常に一緒にいられるじゃないか! なんて素晴らしい」
「マジで言ってんの!?」
「素晴らしくないよなあ!?」
「この美の結晶たる顔を大切に出来ないというのなら私が大切にしよう。すぐにかすり傷をつけて帰ってくるアーサー・カーペンターを見るたび思っていたんだ、君はその顔がいらないのだろう。ならば私が貰ってもいいはずだ。その美しさを未来永劫伝えよう。いや、未来なんてどうでもいい。近くでずっと眺めていたい、さあその顔をくれ、首から上だけでいいから」
首に腕が周り捻りあげられる。
「顔をくれ! 顔をくれ、顔を、顔、顔、顔、顔、顔顔顔顔顔この顔を寄越せえええええ!!」
「無理無理無理無理無理、首もげる! 死ぬ!!」
ここが何処か分からない。
「誰か助けて!」
ジャック、ユアン、この際あのお巡りでもいい! どうしよう目の前で凄い陰惨な事件が繰り広げられようとしてるのに、人がいるのに、誰も助けてくれない。
やっぱり誰も助けてくれない!! 首を捻じられながらアーサーの腕が空中を掻く。
「ロッカ!」
窮地の中で異世界の男が呼んだのは、同じ世界の頼りがいのある誰かじゃなく私の名前だった。
細身の女の私にがたいの良い男を相手にどう助けろって? 私は取っ組み合いをしている二人から走って距離をおいた。
「うぐ、苦、し」
野次馬の輪に入る直前ピッタリに足を止めて私は取っ組み合ってる方を向いてクラウチングスタートの体制をとって全力で飛び出した。それで顔剥ぎ男のどてっ腹に向けて頭から突っ込む。
「ぐふぉ!」
体を折り曲げて体勢を崩した男と一緒に倒れこみながら、ボーリングのピンよろしくアーサーが別方向に倒れていくのをスローモーションに感じた。そのアーサーの右手が私を引き寄せ、左手が私の顔の横を通り過ぎて顔剥ぎ男に向けられる。
「吹っ飛んでくれ!」
突風で顔剥ぎ男が宙を回転して壁にぶつかり地面に落下した。
アーサーに抱え込まれたままお互い肩で息をしながら、妖怪顔剥ぎ男がまた動き出さないか喉を鳴らして見つめていた。騒動に駆け付けたお巡りがちゃんと捕縛するまで戦々恐々と。
お巡りが去った後もなんとなく地面に座り込んだままでいた。嵐が去ったってこういうことを言うんだろうな。
「ほぉらな、外ってやっぱり怖いだろ。帰ろうぜ」
アーサーが声を震わせて言う。
黙っていると溜息をついてアーサーが隣に胡坐をかいて座ってしまった。
「あんまり頑固だとロッカのことも反抗期って呼ぶぞ」
「それはやだ」
断固として拒否する。
それからまた口を閉ざすと、周りの視線を浴びながらアーサーは急かさずに私の言葉を待った。言葉を探しても見つからないから話題を別のところから持ってくる。
「ああいう変質者によく襲われんの?」
「室内にもストーカーが潜んでたりするから気をつけろよ」
「え、何それ怖っ!?」
居候をしている間にそれらしい存在は見かけたことがなかったけど、さっきの一件からして冗談でもなさそうだ。
「まあ風使いになったのも自宅周辺に結界を張るために覚えたのが最初でな。長期間家を離れでもしなけりゃ侵入されることはねえよ。たまに帰宅したら結界を破られていたりはするが」
「駄目じゃん!」
「潜んでいるのが事前に分かってれば心構えが出来るから寝首はかかれないよ。昔は夜這いが怖かったからなあ」
明後日の方に顔を向けて切ない声で言う。ジャックやユアンと違ってあんまり問題が無さそうだと思っていれば、他人にまで被害の及ぶ系統だったとは!
アーサーが「うーん、だからさ。もっと上手くやってく努力はすべきだけど。でもな」と言葉を探す。頭を掻いて唸っていたかと思えば顔を上げて膝を叩いた。
「俺にも色々とあってこういううだつの上がらない生活送ってるんだよ。問題は生まれつきのこの顔。世の中って理不尽で不公平だよな。他人の持ってない不便を顔如きで強いられてるんだから。でも周りってのはそういう部分に鈍感で他人事だ。そりゃロッカの悩みに比べりゃ大したことないって思うかもしれねえが、俺達にとってはなかなか乗り越えられん大した障害なんだよ。だから他人の悩みをその程度って言うのは無しにしたいんだ。もちろん捨て鉢になってたら発破をかけるのも時には必要だけど、仲間にああいうこと言われたくない。でも殴って悪かったな」
いや、あのまま言わせておけば私はエスカレートして確かにもっと酷いことを言ってたかもしれない。ジャックにまで八つ当たりをしている時点で私は冷静じゃなかったんだ。ユアンとはいつも喧嘩腰だとしても、言っちゃいけない部分まで踏み込んでたのかもしれない。
「色んなことを我慢してるから爆発したんだよな。お兄さんちゃんと分かってるよ。ユアンも多分そうだと思うな。いつもより喧嘩に乗ってかなかった気がするし」
「うへぇ、ユアン如きに気を使われるなんて屈辱」
「お前ね……」
減らず口にこめかみへ軽く拳で小突かれる。それから優しく促された。
「そういうことで我慢してた世の中の不満だか弱音だかを今聞いてやろうじゃないか、ガス抜きにな。だから家に帰ったらいつもの不遜で口が悪くて図々しいだけのロッカに戻れよな。そして一応謝っておけ。今頃ジャックがオロオロしてるだろうから」
「日頃アーサーが私をどう思ってるかよーく分かった」
「それは良かった」
顔剥ぎ男に襲われている時は真っ青になって必死で子供設定の私に助けを求めてたくせに、大人の余裕を見せてるアーサーが何か、おかしかった。
「アーサーは私にとって異世界っていう理不尽の象徴みたいなもんなんだ。魔法使うし、眼鏡壊すし、社長だし」
「いきなり言い掛かりが入ってるな!? メガネ壊したこと以外は逆恨みだぞ!」
「分かってる。衣食住で苦しまずにすんでるし路頭に迷わなかったことをまず感謝すべきなんだ。眼鏡があったってアーサーがいなきゃきっとハードモードで異世界生活がスタートしてたんだから。でも眼鏡が無いから私はこの世界に誰一人として顔見知りがいないんだ。いつまでたっても孤独なまま二度と誰にも会えないんだと思うと拗ねたくもなる。そんな覚悟いきなり出来ない」
ああ、寂しいな。寂しいよ母さん、父さん。
「それで殺人とか狙われるとか別方向からストレスがきてヒステリー起こしてた。これじゃ本当に子供みたいだ。情けない」
でも吐き出したら少し愛想笑いが出来る気力は戻ってきた。
「こんなところだよ。悪かったと思ってる。冷静に戻るよ。聞いてもらってどうも」
ジャックが心配してまた外をうろついても厄介だし戻らなきゃね。ムカつくけど帰ったらユアンにも謝っとくか。何か言い返されたら口の根も乾かない内に罵り倒してしまいそうだから、ユアンが口を開いたら仮面を叩いて悶絶してる内に布団かぶって寝てしまおう。
気持ちを切り替えるための思考に没頭していたら、急に両頬を包まれる感触がして驚いて焦点を合わせる。アーサーが物凄く近くにいた。顔がハッキリと見えるくらいに。薄い色素に通った鼻筋、切れ長な目に宝石のような瞳がはまった中性的で非の打ち所がない妖艶とも言っちゃえるような顔が目に焼き付いた。
「働く条件に顔を見ないことなんて言って悪かった。これが俺の顔だ、覚えたか?」
強烈過ぎて忘れようがない。
「確かにまだ俺達って短い付き合いだよな。でも俺はロッカとはこれからけっこう長い付き合いになると思ってるぜ。赤ん坊が家族に入った時ってさ、別に先にいた家族よりも他人だって思わないもんだ。ロッカはなんっつうか、そんな感じだというか」
「何それ……私も社会不適合者っぽいってこと?」
「現にそうだろ。もし誰かに仲間を紹介する機会があっても俺はロッカがよそで働けるうちの例外だとは言わないからな」
喉から笑いが漏れる。
「く、そうだね。だって眼鏡が無いから責任とってもらってるんだもん」
「そうそう」
アーサーという男は優しく笑う。顔が見えない時からなんとなく知ってはいた。声と仕草は眼鏡が無くても分かるものだから。
立ち上がってアーサーにも動くよう手を伸ばす。
「でも全幅の信頼を預ける気になるかは別問題だから」
お綺麗な顔が眉を下げて肩をこかせる。
「私の話を信じないからだよ。信頼関係ってそういうのが一番大事だよね。そういうことだから、ちゃんと信じる気になったら言ってよね。そうしたらさ、隠してることも全部晒して正式に仲間入りすることにしておくよ」
ちょっと離れたら顔はにじんで分からなくなった。でも元さえ知っていればなんとなくどんな風に表情を動かしてどんな顔をしているか補完は出来る。笑い顔とかさ。
帰り道に不満に満ちた声でアーサーが反論する。
「それにしてもなあ、俺が何を信じてないってんだよ。そんなに疑り深い発言したことあったー?」
「何さ、いつも異世界から来て戻れないって悩んでるのに真剣に聞いてないくせに」
「えぇなにそれ信じろとかハードルたっけぇ」
伸ばした手をつかんで立ち上がったアーサーはそのまま手を繋いで歩き出す。異世界の私の住処に向かって。
あーあ、今日もなんにも解決しなかったなあ。