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聴いて感じて嗅いで見て

 木を輪切りにした簡易の椅子に座って、テーブルに置いた小枕に頭を置きながら窓の外をぼんやりと眺める。窓枠の中に見えるのは木と草ばかりで私の目には緑で塗り潰されているようにしか見えない。それでも簡素で家具もインテリアも無いログハウスを眺め続けるよりは気が紛れている。

 蓋をするように噴火の勢いが収まって数日、近隣の町では青空に灰を見ることはなかった。そして私は、こう言って良いのか分からないけど生きている。

「おおう、ロッカ自分で動いたのか?」

 避難民への配給を貰いに行っていたアーサーが帰ってきた。頭を上げるとその背後に見慣れない緑頭の人型も見えた。その怪しいシルエットはアーサーの横を通り過ぎると真っ直ぐ私に近づいくるやいなや頭を鷲掴みにする。

「また君は強引なことをして、他の部分がもげたりしたらどうするんだ」

 眉を寄せて目を眇めると葉っぱの仮面をつけた変質者が見えた。

「葉っぱの妖怪は森にお帰りください」

「誰が妖怪だ。仮面は傷んで割れたからこれは応急処置だ」

 首が後ろに曲がって苦しいのでユアンの手を握って押し退けると、ユアンが「んん!?」と私の手をつかんで葉っぱの仮面を近づけてきた。「どうした?」とアーサーも荷物をテーブルに置くと覗き込んできて目を剥いた。

「うわあ!? ロッカ、お前指が元に戻ってるじゃないか!」

「頑張ったら生えた」

「生えた!?」

 二人が同時に驚いた声を上げる。椅子に座ったまま方向を変え、テーブルの下に隠れた足を持ち上げてみせる。つまり失った体は何事もなかったように全て元に戻ったことになる。千切れる感覚も十分気持ち悪かったけど、泥が溢れて足を構成していく様子は格別に気持ち悪かった。

「引きずって不便だからってズボンの裾、片側切っちゃうんじゃなかった」

 信じられないとばかりに今度は私の素足に視線が集まる。

「それはまた……良かったけど」

 アーサーがしゃがんで「歩いても大丈夫なのか」と疑ってくる。何故か指の付け根を擦り続けていたユアンがおもむろに今度は足をつかんだ。

「感触は足そのものだけどここの内側にあるホクロは前からのものなのか? 形状を記憶して再現してるならトカゲとは違うんだろうし、最初に断面を確認した時は肉で覆われていたけど付け根は一体どうなって」

「ちょっ、やだ、ユアン!」

 ガン見しながら切った裾から足の付け根を丹念に撫で擦られて変なツボに入り「ひっ!?」と体を曲げてユアンの肩と顔面を押し返した。




 計らずも、再生した足の強度は蹴りでも踏みつけでも以前と変わらない威力と耐久性を持つことが証明された。森の中で木に付けられた目印を頼りに獣道を歩きながら、熱くなってる顔を掌で扇いで冷ます。

 信じられない。

 アーサーやジャックはいまだに私を男だと思っているから兄弟にやるようなノリでやられることも、そりゃ自業自得だとは思うけど。あいつ、私が女だって知ってるくせにあんな際どいところ。

 木に手をついて立ち止まる。

「もしかして人間じゃないから雌雄はもう関係無いとか思ってるんじゃ…………」

 深く考え込みそうになって頭を振って蓋をする。


 隣の町に避難してきた人達は塀の外に鬱蒼と茂る森を切り開いて仮設住居を構えているらしい。怪物がいるのに大丈夫なのかと思えば国ぐるみで防護柵を新たに建設中で、完成するまでは大人が持ち回りで見回りをしているって話。

 それがどうして私達は森の中でログハウスなんてものに住めているのかというと、前に森の中で暮らそう計画で隠れ家を準備していたことが判明したからだ。何かあった時のために少しずつアーサーとユアンが作り進めていたとかで、作りかけなんだけど一応住める形にはなっている。稀に長時間家を空けていることはあったけど引き篭もりが一体何処に行ってるのかと思っていれば、感心するやら呆れるやら。

 そういうわけで他人と共同生活をするぐらいなら人里を避けて野生に還ると豪語する年長者共はこうしてブレることはなく結界を張って隠れ住んでいるというわけだ。それに付随する細かい手間なら苦にもならないらしい。

 やっぱり呆れる。


 町の塀が見えるとそれに沿った外側に門を中心にしたちょっとした村が作られていた。そこら中が活気と人で満ちている。仮設住宅も柱と屋根と布のクオリティだけど釘を打つ音と掛け声がひっきりなしに聞こえてくるし、これから少しずつ建物らしくなっていくんだろうな。

 その仮説住宅の並びに入って何とはなしに見て周っていると、物凄く見覚えのある巨体と少女が「手と手を合ーわーせーてー、おちゃらかおちゃらかおちゃらか、ほい」と大きな声で歌いながら手遊びしていた。

 どう見てもジャックとテスラだ。

 ジャックは帽子とサングラスで周りから浮いてはいるものの、怯えられている様子もなく景色に混じっていた。近づいていくと「うおお、私の勝ちだあ!」とテスラが手放しで喜んでいる手前で胡坐をかいたままジャックが私に気付いて顔を向ける。その視線は自然と下がって片裾だけ無いズボンから剥き出しになっている右足に釘付けになった。

「あ、ロッカ君だ! わーい、ロッカくーん!」

 活気の中に疲れと不安を漂わせる大人とは一線を画するテスラの元気な空気に思わず笑顔がうつる。

「足が」

 ジャックがソワソワしだした横でテスラの横にしゃがんで顔を合わせる。

「テスラもここに避難してたんだ? 無事で安心したよ」

「うん。私ね、さっきジャックに会ったんだよ。ロッカ君は大怪我したって聞いたけどもう大丈夫なの?」

「治ったから平気だよ。テスラは怪我したりしなかった?」

「ちょっと目が痛くて体が痒いだけよ。咳が酷いって人も結構聞くけどそういうの全部噴火の影響だからしばらく我慢するしかないんだって。痕残ったりしたらやだなあ。でもロッカ君の怪我そこまで酷くなくて良かった! それにちゃんとみんなとはぐれずに逃げられたんだね。ロッカ君は目が悪いから一番心配してたんだよ」

「ありがとう。私もテスラのこと毎日考えてた」

「うぉぉ、私は口説かれているの? でも私はまだ彼氏よりも友達と遊んでいたいお年頃。一人の男の子だけでは満足出来ない私を許してロッカ君」

 キャッキャとテスラが頬に手を当てて体をくねらせる。おませさんめ。


 毎日最悪な想像ばかりが頭を巡っていたけど、私はテスラの様子に強い安堵感を覚えた。

「本当に元気そうで良かった。この避難所もさ、もっと、なんていうかこの世の終わりみたいな暗い雰囲気を想像してたから驚いたよ」

「ほら、国が炊き出しとか配給を準備してくれてるでしょう? お巡りさん達も見回りに人手を回してくれてるし、連日お金や物を寄付しにきてくれる人もいるし、そこまで悲観する程この生活も悪くないんだよ」

 そのお陰で少しは身の振り方を考える猶予も与えられてるしね。

 逃げてきた町の人で道を埋め尽くすわけにいかないから、長い目で見て町の外に新たな生活区域を作ってる。噴火さえ収まれば家財も持ち出せるだろうし、人生を仕切り直せない程じゃないんだ。生きてさえいれば。

 ここからは離れた場所に隠れ家を構えている私達だけど、その支援にはがっつり世話になっている。だからあのユアンですら防護柵を作る手伝いには協力しているし、アーサーも見回りに参加してるはずだ。何もしていない大人なんてベッドでずっとボンヤリしていた私くらいだろう。


「それにね、生活を立て直す他に避難で離散した住人の状況を把握する調査隊を周辺の町に向けて編成するって話もあるんだよ」

 テスラが希望に満ちた顔で身を乗り出して教えてくれる。でもすぐに心底残念そうに肩を落とした。

「私も参加したいんだけど調査隊は十六歳からじゃないと駄目なんだって。行きたいのにな」

 逃げる門が違えば避難先は当然ばらけてるだろう。何処に誰がいるのか、もしくは町に誰か逃げ遅れてるかもしれない状況。知り合いの安否を確認したいのはきっと誰もが思っていることだろう。私だってそうだもの。

「私、まだママもパパも見つかってないんだー」

 話のついでとばかりにテスラが付け加えた言葉に私は殴られたぐらいの衝撃を受ける。

「は、はあ!? え、じゃあ今テスラどうしてるの!?」

「うん、セバリー君のところに一緒にいさせてもらってるの。見つかるまでいて良いからねって。優しいよね」

 一点の曇りもなくテスラはニコニコしていた。それが逆に不安になった。災害にあって、親の安否も分からない状態で、この子はもしかして心にとんでもない歪んだ傷を負ったんじゃないのか。

 でもテスラは私のそんな想像なんて軽やかに超えていた。

「だからね、代わりにジャックが調査隊に志願してくれるんだよ」

 目を輝かせてとんでもないことを言う。私がジャックを振り返って唖然と見上げれば、ジャックは後頭部を掻いて否定しない。

「どういうことさ」

「テスラが悲しそうだったから。でも俺だと行った先でトラブルになって逆に調査の邪魔かもって言ったら、じゃあジャンケンで決めようってなって、さっき俺負けた」

「割と重要な身の振り方をジャンケンで決めるんじゃない、お子様共」

「ふふ、だからね、私ジャックに任せるの。私のおうち南寄りだったからきっと南の方の町だよ。ママとパパに会ったらテスラはいつも通り元気だよって言ってね。パパ達おっちょこちょいだから事故に遭わないように焦らず迎えに来れるよう私、ゆっくり毎日元気なままでいるからって」

 健気な言葉に絶句していると、テスラはメモ帳を千切って這いつくばって何かを書きだす。それをジャックに渡すと大きな手を力いっぱい握り締めた。

「しかも念には念を入れて、ジャックがパパ達とすれ違っても各町の避難所にこの手紙を届けてくれれば絶対に大丈夫だからね」

「うん」

 テスラから受け取り損ねたメモの切れ端が地面に落ちる。私はそれを拾って、その紙を空にかざして眺めながらしばし考え込んだ。

「調査隊か」

 光に透ける紙切れに託された子供の願い。

「だったらジャックだけじゃ心配だし、私も志願しちゃおうかな」

「え、本当に?」

 テスラがジャックの手をつかんだまま飛び跳ねて立ち上がる。私は笑って頷きつつ「でも手紙は別の紙に書きなおそうか」と紙を返す。

「えー、どうしてー?」

「こんなこと言いたくないけど、この手紙だと親も泣くに泣けないから」

 メモ帳から千切られた手紙の裏はテスラの趣味が全開だった。




 防護柵の作業に加わって汗をかいてから帰って夕飯時、調査隊の件を話したら即座にアーサーが「団体行動なんて無理!」と叫び、ユアンが「それもあるけど駄目だ特にロッカ!!」と反対してきた。

 テーブル揺らす男共から配給された物を温めただけの単調な夕食を私とジャックで守る。

「別にあんた達にまで付いて来いとは言ってないって」

「帰ってこないと思えば君の辞書には兎角慎重という言葉が抜け落ちる! あんな状態だったのに様子をみるでもなく男に混じって作業だ調査隊だのと、途中で何かあったら」

「だから別にもうなんともないってば。ずっと寝てたから逆にしんどくて運動したかったし、現に問題無いし」

「大人しく家でストレッチでもやってれば良いだろ!」

「あんた達と違って私は外の光を浴びないと病む普通の神経の持ち主なので」

「ロッカの神経が普通だったら町の連中は全員明日にもストレス性胃炎で血を吐き出してそこら中が血の海になるね!」

「そのか細い神経をした世のため人のために丈夫な私とジャックが貢献しようって言ってるんじゃない」

「ああいえばこう……いい加減に大人しく出来ないなら部屋に格子入れて監禁するぞっ!!」

「別に大丈夫だって言ってるでしょ! しつこい!!」

 立ち上がって火花を散らすと、一番に反対したアーサーが掌を返して「まあまあ」と宥めだす。

「つい俺も条件反射で反対しちまったけど飯時に白熱するのは止めようぜ」

 しばらく睨み合ったけど、お互い相手の動向を警戒しながらゆっくり椅子に座り直す。

 アーサーが下を向いて首を振る。

「それと俺も意見を言わせてもらうとだな、ロッカとジャックだけで調査隊に参加するとしても俺にはちゃんと反対する権利がある。お前らは俺が仕事で雇ってんだぜ? ただでさえ体勢を立て直さなきゃならない時に営業と人夫にいなくなられたら路頭に迷っちまう」

「あー」

 ジャックが困ったように首を横に倒す。あんな状況のテスラと約束しておいて今更止めるとも言えないだろうしね。

「ふん、もしくは僕らは森で野生に還るしかないな」

 アーサーがユアンの口を葉っぱの上から押さえつける。

「だから志願するって話は一度一晩くらい時間をかけてよく考え直してもらいたい。ほら、今はなんだかんだ言ってみんな混乱期だから感情が昂ぶってるだろ? 勢いで今後を決めてバラバラになるってのは嫌なんだ。なんせ俺にとって二人はまたとない貴重な仲間なんだし。な?」

 穏やかに諭されると私は勢いを殺される。ジャックが見下ろしてくるのを頭上で感じて私はうつむき、スプーンを口に運んで咀嚼して黙り込んだ。




 夕食後に再び集合仮設住居に向かい、まだ未完成の防護柵の辺りを見回るアーサーと森の中を歩く。当番だけど一人で行くと色んな意味で怖いから付き添ってくれと頼まれて付いてきたけど、当然のように見回り組に女性は見当たらない。でもまあアーサーが見回りだと怪物じゃなく不特定多数の人間に襲い掛かられる可能性もあるから、そういう役目も必要かと思って付いてきた。どうせ隠れ家にいたってやることもないし。

「まさかこんな形で森暮らしを実行することになるとはなあ。家の周りに人の気配が無いってだけで開放感半端ないよな。なんつうか、枕を高くして眠れるっていうの?」

「私は騒がしい方が好き。静か過ぎると落ち着かないからアーサーのイビキは寝る時に落ち着く」

「え、俺イビキかいてるのか」

「昨日も寝言で何かから逃げてたよ」

 アーサーが木に手をついて「夢の中でも安らかになれないのか、俺」と一人劇場をやり始めたので、私は拾った長い木の棒で草むらを叩きながら一応周囲を警戒しておく。


「なあ、ロッカ」

「んー」

 同じ場所を周ってる内に見つけた倒れてる防護柵の板を六回目の往復でやっと手にかけて立て掛ける。作りかけの柵の間から見える仮設住居は夜でも灯りがついたままで、それが少し屋台の並んだお祭りに似ている。

「調査隊に参加したいっていうのは、まさか噴火について責任とか感じてとかじゃないだろうな」

 アーサーを振り返らず私は視線を森に向けた。

「…………そんなわけないじゃん」

「いやな、もしかしたらロッカには神様に決められた生贄の役目をはねつけた罪悪感があって、そこにこういう光景を見たもんだから動かずにいられない複雑な気分になっちまったんじゃないのか、まで考えたんだが」

「別に私はそんな悲劇ぶるつもりは」

「はいはい」

 大きな手が首も曲がる強さで髪を掻き撫でてきたもんだから視界が振り回される。抵抗する前にすぐ頭は解放され、私は滅茶苦茶に乱された髪を押えてアーサーを睨みつける。それに対してアーサーは困ったみたいな笑い方で首を傾け、静かに私を眺めてきた。

「やっぱり俺は何かの間違いなんじゃないかって思うんだよなあ。そういう時々出る子供らしい意地はった物言いとか、図星指されたらすぐ照れ隠しに仕返ししようとする馬鹿っぽさとかがな。あまりにも泥臭いっていうか……いや言い方がかなり不味いな。えーっと、感情がたっぷりで俗っぽい。いや喧嘩売ってるんじゃないからな。だから神様とかそういうのから遠くて人間らしいって言いたいんだが」

「女共に隠れ家の場所公表してくれようか」

「止めてください」

 無闇に言葉を垂れ流すのを止めたアーサーは防護柵にもたれて「んー」と唸り出した。何が言いたいのかと髪を整えながら待ってみれば、アーサーは頷いて指を鳴らす。

「だからいまいち実感が無いし、化かされてるような気がするんだよ」

 瞬きをして、苦虫を噛み潰した気分を味わった。

「あれだけ異常だったのに、まだそんなこと言ってるの?」

「人生の中には認め難いことも数多く存在するわけで、ああいうのを見て思う所が無いわけでも無いわけだが、俺は別に土地神信仰ってわけでもないし、うちのロッカが俺の理解を超えた特別な存在というのも腑に落ちない。だからな、やっぱり俺はロッカが土地神の御使いだというのは勘違いだと思うことにする」

 開いた口が塞がらない。

「臭い物に蓋をするにも程度があるでしょ!? だったらあれやこれやをどう説明づけるつもりなのさ!」

 腰に手を当てて堂々とアーサーが言い切る。

「解らん。でも別に不便があるわけでもないんだから良いだろ? ロッカは俺の仲間であって神様の仲間ではない。よって今回のことも裏切ったとか運命から逃げたみたいなことではない。だから俺の立場から言わせてもらうとだな、ロッカか今回のことで罪悪感なんて感じる必要は無いんだぞーってことだ」

 歩き始めたアーサーの背中を見つめて唇を噛む。

「ということで、是非とも調査隊ではなく普段通り苦境から脱出する妙案に頭を働かせてくれ。俺を売りさばく以外の方法でな。さあ、ぼちぼち見回りは交代だぜ。気安い我が家に帰れるぞう」

 狡い男だ。

 無理があっても必ず都合の良い方を選ぶ。なくなった足まで生えたんだよ。手だって継ぎ目一つも無い。それでも私に都合が良い結論を信じるだなんて言う。


 泣かされてたまるもんか。

「それにしたってアーサーはいつも私の言うこと信じないよね」

 震えた声になったけどアーサーは振り返らないまま、ゆっくり先を行く。

「ロッカがおかしいことばっかり言い過ぎるんだよ」

 アーサーの背中の裾をつかんで絶対にこっちを見られないように顔を伏せて歩く。

「本当なものは本当なんだもん」

 アーサーが笑い出す。

「分かった分かった。じゃあ、今日はなんでも一つだけ信じてやるから言ってみろよ」

「じゃあ私が女だっていい加減に認めてもらう」

 すかさず選択すると木の根に躓いてアーサーが転んだ。

「いや、それはちょっと」

 前を見たまま声を裏返すアーサーに私は畳みかける。

「私そもそも男だって言った覚えないし。最初は確かに保身のために積極的に誤解を解かなかったけど、途中なんて家ではほとんど体型も隠してなかったのに疑う様子も無いってどうなの? せっかく可愛い服とか見かけても買えないしさ、スカートとかちゃんと履きたいし、着替えの度に神経張り詰めるのも嫌だし、男同士だと思ってるからって際どい行動とか結構あったし」

 男だと思われてるからって兄弟と同じノリでいた私にも問題が多いのは分かってるけど、ここまで信じ込まれると傷付くなんてもんじゃないよ。

「なんというか、それは数ある信じ難い話の中でも上位にあたるから、それを推されるのはちょっと」

「信じるって言ったでしょ。往生際が悪い」

「ううううう…………」

 ここまで言ってもまだ腕を組んでアーサーが唸り出す。そんなところで次の見回り当番組みがこちらに手を振ってくるのが見え、この話は自然といったん終了となった。




 隠れ家に戻るとユアンがコーヒーをいれていた。扉を開けた途端にログハウスの木の香りと混じった気分を落ち着かせる香しさに包まれる。

「お帰り」

 ジャックは座して果報を待ちながら私達を出迎えた。アーサーがこれ幸いとわざとらしく「うわあ、俺凄く今コーヒー飲みたかったんだよ」とテーブルに逃げていく。なんでもと言った舌の根も乾かない内からすぐこれだ。玄関先でしばらく冷たい目線を送ってたけど、真っ直ぐ仕切りで分けられている自分の部屋に向かう。それに気づいたアーサーの声が追ってきた。

「ロッカも寝る前に一服しないのか?」

「先に着替える」

 薄い扉を閉めて私は服を手に取る。外では「また何か怒ってんのか」と言うユアンにアーサーが笑って誤魔化すのが聞こえる。扉の外ではすぐに話題が移り変わっていく。

「あ、ジャック、君コーヒーに牛乳をどれだけ使う気だ! それは明日の朝食分なんだぞ!?」

「だって砂糖無いから」

「男だったらそんなもん入れなくてもコーヒーぐらい飲めるようになれよ」

「苦いのやだ」

「それが良いんだろうが」

 私は汚れた体を簡単に拭いてから袖を通して髪を整える。鏡が無いから新しい服を目視だけで確認し、扉に手をかけて居間のテーブルに向かった。


 くだらないことで盛り上がっていく男共の視線が私に集まる。私は椅子に座らずに誰かが何か言うかと思って黙って見返した。でも誰一人として声を発さなくて、私は自分で話題を振るしかなくなった。

「これ寄付された物を分けて貰ったんだけど可愛いでしょ」

 コーヒーはコップから溢れてテーブルに広がってもまだ注ぎ続けられ、熱いはずのコーヒーで汚れていく腕はテーブルに置かれたまま、隙をみて引き寄せようとしていた牛乳を持つ手はその場に留まる。

 そんなおかしな絵画を前に、おまけしてもらった髪飾りを片手で弄りながら視線を床にまで広がっていく茶色い水溜りに落とした。あまりにも私が可愛くなって言葉を失っているんだろうとか心の中で自分を慰めてみたら激しい虚しさを覚えた。

 別にお世辞を聞くために着替えたんじゃないし。

 ワンピースの柔らかいレースの裾を両手で摘まんで捻じる。間が持たなくて椅子に座って綺麗にそそがれているコーヒーカップを奪って口をつける。ほろ苦い。

「ジャック何か言うことないの」

 とりあえず前情報の無い暴言を吐きそうにない方に逃げる。ジャックは止まっていた身を起こして牛乳を両手で持つと、目を落とした。

「バラしちゃうんだ……」

 視線が私からジャックに集まる。

「はあ!? 君、ロッカが女だって知ってたのか!!」

 ユアンが驚愕の声を代表で上げるとジャックはつまらなそうに明日の朝食分として貰った牛乳が入った瓶に直接口をつける。私は私で予想外の返しをされて言葉が出なくなる。ユアンといい、ジャックといい、どうして気付いた時に指摘しないのか。そしていつから気付いていたのか。

「じゃあ何か? 最後まで気付いてないのはアーサーだけだったってことか」

 脱力してユアンが椅子に座ると逆にアーサーは拳を握ってテーブルに手をついて立ち上がった。

「い、いや、まだこれだけじゃ俺は納得しない! だってどう見てもロッカにはおっぱ――――!!」

 最低の悪足掻きを最後まで言い切る前に私はアーサーの膝裏に蹴りを入れた。バランスを崩して床に倒れるアーサーの背に追撃でスカートの裾を押えながら靴を脱いで素足で力いっぱい踏みつける。

「世の中にはおっぱいがなくても性別が女だって人はいっぱいいるの。そこで性別が決まるんじゃないから。そういうところで判断なんざしてるから真実が見えないのよ。その曇りのない綺麗な目玉はガラス玉か。空洞か」

「だって、痛い痛い痛い痛い」

「まだ言うつもりか」

 絶対に口から出させるものかと足に力を込めていたら後ろからジャックに刺された。

「あるよ。小さいけどちゃんと感触あったから」

 空気が凍りつく。

 私は油の切れたロボットの様に首を動かすのに苦労して視線を向けた。




 扉の隙間が弱い光で縁取られているだけの真っ暗な部屋の中で目が覚める。

 ボンヤリしたまま虚空を眺めていると部屋の仕切りの向こうからアーサーのイビキが聞こえてくる。本日の寝言は「でも胸が」だった。叩き起こしてやろうかな。

 足元に絡みつく布に違和感を覚えて右足に指を這わせて爪先まで辿る。ワンピースのままだ。いつ眠ったのかが思い出せない。

 ベッドから立ち上がって玄関から外に向かう。テーブルの上にある弱いランプの光を背に外へ出ると完全な闇が広がっている。月の無い地底の夜明け前は酷く閉塞的で、見えない分だけ小さな草の揺れる音や匂いを強烈に感じさせる。私は扉を閉めて壁にもたれかかった。

 眠っていなくても夢の中みたいな黒い空間を長い時間見つめていると光が空にポツリと生まれる。朝が近づくにつれて夜を塗り潰すようにポツポツと光が増えてくると、少しずつ世界は水玉模様に色付いていく。何度見てもおかしな夜明けだ。影は暗いまま何を基準に光る場所が決まるのか分らない。

 壁に手を付きながらすり足で家の周りを散歩する。

 玉の様な光が私の至近距離で灯る。一気にその周辺だけ昼間の明るさになって、家の窓に光が反射すると、窓ガラスには巨大な葉っぱの仮面が。


「ひゅうっ!?」


 胸を押えて窓を見たまま息を詰めて身を強張らせ、ゆっくり目を瞑る。深く息を吸うように意識して目を開いたら、窓から葉っぱの仮面が上半身を出してきた。

「なんの気配かと思えば、こんな暗い内から外で一体何をしてるんだ」

 あまりの腹立たしさに妖怪の襟首をつかんで怒りを込めて激しく揺らす。

「僕は君のそういった理不尽な暴力には絶対に屈しないからな」

「私もその視界の暴力には徹底抗戦の構えだよっ! この仮面! この変質者!」

「その服で寝たのか」

 心臓が止まりそうになった不快感の残る胸を撫でながら私は窓に向かい合う。

「昨日は久しぶりに体を動かしたから気付いたら寝てたの」

「最後にジャックを相手に大騒ぎもしてたしな」

 胸の話は出すな。

 まだジャックへの尋問は済んでないんだから、今日も締め上げて事の次第を確認してくれるわ。

 そんなことを考えながらなのに、なんだか笑いが込み上げてくる。

「でも、私が女だってやっと認知させることができたからかな。なんだかほっとしてる」

「嘘を重ねるとこうして苦しむことになるんだ。これに懲りたら清廉潔白を心掛けることだな」

「ずっと女だって言い続けてたんだけど、私。でもアーサーはまだ認めたくないみたい。あの様子じゃ同じ場所で寝起きするのはちょっと無理だって言い出すかも」

「それは無い」

 ユアンが言い切る。

 昼の光が私とユアンの間に生まれる。光に手を出して触ってみるとほんのり暖かい。

「今なら追い出されても大丈夫よ。調査隊で少しくらいは国から報酬も出るって言ってたし」

「止めろって言ってるだろ。大体、目の悪い君なんかが調査隊でなんの仕事が出来るっていうんだ」

 また言い合いの流れかと朝からうんざりして顔を背ける。

「別に見て捜すんじゃないんだから仕事はいくらでもあるわよ。避難している人の名簿を作ったり、避難場所が違って離散している親族との繋ぎをとったり」

 鼻で笑われる。

「混乱を収拾するはずが各所で騒動を巻き起こしてる図が容易に頭に浮かぶよ」

「なにさ。調査隊って国が認める公認のボランティア組織みたいなものでしょ。ジャックなんて目立つ容姿だからきっと話題に上ったりしてさ、周辺地域で良い印象残せるんだから絶対悪いことにはならないね。例え騒動になったって私がちゃんと面倒みるから大丈夫にしてみせるし」

「何を他人事みたいに。君だって騒動の大元じゃないか。いつも見通しが甘くて痛い目に遭ってるくせに学習能力の無さはジャックと大差ないよ」

 嫌味は無視する。アーサーの提示した心配ごとについても私なりに考えて自信のある模範解答を見つけてあるのよ。

「仕事のことは調査隊が出てるような期間なら、食事の配給や支援もあるだろうし休暇のつもりで待っててくれれば良いじゃない。なんなら調査の合間に仕事をくれそうな店に声をかけて依頼内容を手紙で送る。仕事を再開するための営業回りも兼ねてやるなら参加する期間もそこまで無駄にならないでしょ?」

 腰に手を当てる。

「体なら本当に大丈夫だから。何もかもが分かったわけじゃないけど、噴火を前にして一つだけ確定したことがあるの。私の体は勝手に泥になって崩れていったりしないわ。あれね、自分で意識して身を崩してかなきゃいけないのよ。狂気の沙汰でしょ? だから、そんなに重く考えないで行かせてよ。もうテスラと約束しちゃったんだから」

「そういう問題じゃない!」

 ユアンの手に左の二の腕をつかまれて窓の高さに引き上げられる。爪先立ちになった状態で、葉っぱに開けられてる穴から目が真っ直ぐと合って、ユアンとの間ににあった光に突っ込んだ胸が熱を持った。

「避難先の連中が苦労してるのを見て回るんだぞ。妙に考え込んで自己嫌悪に陥ったりして君にまた思い悩まれたりしたら、こっちは気になって何も手につかなくなるんだよ!」


 今度こそ心臓が止まる。

 一瞬どころか胸がどんどん苦しくなってくる。つかむ手が緩んだ隙に腕を引っこ抜き、俯いて乱れた髪の毛を整えスカートを撫で付ける。周りには光が加速度的に増えて一気に夜が隠していた全ての色を白日の元に晒してしまう。

「な、何言ってるのか分からない!」

 やだ、どうしよう。

「日も上がったし朝食前に着替えてくる!! あーあ、やっぱりこういう服って久しぶりで慣れなくて落ち着かないな!?」

 なんだか苦しくて座り込みたい。息が乱れて泣き出しそうになる。音が聞こえるくらい血がのぼって体中が熱い。顔が戻らない。こんな、こんなふざけた葉っぱ仮面のくせに。

「それって男としての自覚が育ち過ぎて女として手遅れになりつつあるんじゃないのか」

 私は顔面の葉っぱを鷲掴みにして仮面を破り捨てる。森に響くユアンのいつもの悲鳴を背に、私は自分の部屋に全速力で逃げた。駆け込んだ後は怒ったユアンの声に身を硬くして扉に全体重をかけて背中で押さえつける。

 目眩が酷くなってく。


 全部、全部ユアンに持っていかれる。

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