自縄自縛で明けぬ闇
営業先の酒屋から酒を一瓶貰った。手に入るもんなら高額買い取りしてくれるって言ってた酒の素材を持っていったので臨時報酬にプラスしたオマケだってさ。せっかくだからちょっと他にも買って帰ったら数か月ぶりの酒だと喜んだ男共によって夕食は宴会の様相となった。
「そういえばジャックは酒初めてじゃないのか?」
「うん」
「そうだったなあ。誕生日過ぎたら飲ましてやろうなって約束してたのに金が無くて果たせずじまいだったからなあ……。よーし、ジャックかんぱーいだあっ!! 飲め飲めー! ロッカー、おつまみー!」
「へいへーい」
料理が完成するのも待たずにコップを打ち鳴らす男共。腹に何か入れる前に飲み始めたりして、胃袋やられても知らんぞ。まだ酔いも回っていない初っ端からテンション高いなあ。
貝の酒蒸しに、チーズ餃子と、から揚げ、お浸しと、野菜スティック、えーっと後は漬物でも出しとくか。私もチビチビ飲みながら作ってるおつまみを摘む。それを目敏く見つけたアーサーが「おい、子供は酒飲むんじゃないぞ」なんて釘を刺してくるから、振り返らないまま「ジュースだよ」と言っておいた。
横目にテーブルを見ればジャックが酒を一気にあおって「おお、良い飲みっぷり」と囃されたそばからテーブルに酒を吐く。
「汚ねえ!!」
咳き込むジャック。あのテスラの化学兵器は食べられるというのにお酒は駄目なのか。
「苦い。これいらない」
酒を遠ざけてテーブルを拭きながらジャックが拒絶する。私はとりあえず出来た物をテーブルに運んでジャックのコップに酒を注ぐ。
「酒って一口で言っても種類があるから好みの物を探すもんなんだよ。とりあえずストレートはやめてジュースで割りな。駄目そうなら梅酒もあるから」
ジュース八割にしてやるとジャックはさっきの苦味に警戒して匂いを確認しだす。それで甘い香りがするから試す気になったらしくカクテルを口にすると満足気な顔になった。
「甘い」
「初心者はやっぱりカシスオレンジでしょ。後は柚子があるし。私はソルティドックとか結構好きなんだけどジャックには無理そうだね」
塩をチビチビ舐めながら飲むの最高なんだよね。テーブルに置いたばかりの皿から野菜スティックを摘まんで齧りながらコップを傾ける。そしたらまたアーサーが喧しい。
「おい待て不良。お前なに飲んでるんだ」
「だからジュースだよ」
ここはアーサーの酔いが回るまで調理場に再び退散だ!
しばらくすると見事に酔っ払いの饗宴が完成した。
「だあらさっ、俺だって本当らったら普通の嫁ひゃん貰って普通のしああせ謳歌したかったよ? でも外に出たら何されるか分んないし、女らんて特に意味分かららくて怖くて、あんらの立ち向かえーれるかってんだよ! うわああああああんっ」
泣きながら首に巻き付いてくるアーサーに酒を飲みながら「私も女だけど」と言ってやるが「そんなわけないだろう!」と断言して絡み続けられる。
「うぅ……おええええ」
「うおおおっ、汚ねえ!?」
いつもの食い意地と同じ調子で飲んだジャックは吐いてユアンに「飲むペース考えろよ、このあんぽんたん!?」などと説教されながら介抱されている。
助けはきそうにない。酒癖悪いなら最初から言っといて欲しかった。
コップの縁につけた塩を舐めながら酒を飲む。
「女嫌いはよく分かったけど、後で私が女だって分かっても絶対怒らないでよね」
「ロッカは女じゃなくても怖いれーす」
「じゃあ、邪魔だから離れてください。セクハラでーす」
「酷い! メガレのことまだ根に持ってるからって邪険にすんらよおお!」
頭に頬擦りされてアーサーが持ってる酒を腕に零された。体を捻って酒の入ったコップでアーサーの顔面を押し返す。
「ええい、どきなよ! この酔っ払い! きゃー変態、襲われるー!」
「ロッカ冷たーい! なんだよ、本当は寂しがりやのくせにー!」
アーサーは自分のコップの中身を飲み干し、更に私が顔に押し付けているコップまで取り上げて一気にあおってしまった。そのコップをテーブルに戻したアーサーは急に反転した。あまりにも俊敏な動きで肩を押し倒されたと思ったら抵抗する間もなく跨られて床に縫い付けられた。こうなるとアーサーだってなんだかんだいって長身だし重くて微動だにしない。中身はこんなにアホな酔っ払いなのに怪しい笑みを浮かべて見下ろされるとやたら色っぽい。
「そんなツンデレにはくすぐりの刑を執行する!」
大きな手にガッチリ脇の辺りを鷲掴みにされる。
「ちょ、やだ、やめっ」
「うははははは!」
「ひぎゃああああああああああ!!?」
息切れがして涙が零れるまでやられ、手が止まったことでやっとまともに呼吸が出来た。横腹が引きつってる。しかも横乳微妙に揉まれたっ。
「はあはあはあ、こ、んのっ」
「何やってんだよ、君達は」
気持ち悪そうに水を飲みながら揺れてるジャックの横からユアンの馬鹿にした声が聞こえる。私は完全に被害者でしょうが。
「疲れたあ」
報復に燃えた私が体勢を整える間もなくアーサーが力尽きて倒れ込んできた。この心臓に悪い美形の顔が視界を掠めて横に消えた瞬間、私はまた声を引きつらせるはめになる。首の付け根にかかる唇と息で全身に電気が走り抜けた!
「きゃあああ!? ちょっとそこは本当に駄目! 首辺りは弱いって」
「おいっ! 何してんだ、アーサー!!」
アーサーの唇が動いた。酔っ払いにそんなことを言うのはサディストの前で足が痺れているから触るなっていうのも同然だったらしい。思いっきり吸われた。
「は、あぁっん……!」
空気が急に凍り付いた。
今なら顔面から火が出せそうだった。口を押えて確実に赤くなってる顔を誰もいない方に背け、反対の自由な手でアーサーの頬を全力で抓り上げる。
「い、痛い痛い痛い痛い痛い! ふざけ過ぎまひは、ロッカ様ごめんらはいっ!」
ユアンが横からアーサーを蹴り倒した。
散々騒いでそのまま眠り込んだ集団が床に転がる。イビキしか聞こえない薄暗い部屋で、私は亀甲縛りにしているアーサーを椅子にチビチビと一人でまだ酒を飲み続けている。
酒が入ればぐっすり眠れるかと思ったけど、今日も眠れそうにない。
同じことがグルグルグルグル延々と頭を巡り続けてる。ヘドロ、幽霊、この人外に共通していること。ヘドロは地表と地底を繋ぐ穴を塞ぐために自分を溶かしたようなことを言っていた。幽霊が消える前に扉に泥がハンコのようにいくつもついていた。その形は私が扉を叩いた手の形だった。その直前まで私の手は汚れていなかった。それで決定的だったのが虫に対して私が使ったらしい術もどき。
思い返せば泥の色がとにかく嫌だったんだ。地面の土が水と混じった普通の茶色をしていればまだ連想はしなかったかもしれない。でもあの不気味な色は、あの日溶けて消えた人外のヘドロと同じに見えたから。
眠れない。
頭がおかしくなりそうだ。
それもこれもあの幽霊が出てからこんなものが出るようになったんだ。
だったら、あの寺に行ってみようかしら。
フラフラと立ち上がると足元がやや覚束なくてアーサーの腹を蹴飛ばしてしまった。軽い呻き声が足元からして、テーブルに残していた小さな灯りを手に扉に向かう。
こっそりと家から出れば真っ暗な野外には月も星も無い。当然だ。ここは地球の内側なんだからあるわけがない。
小さい手元のランプだけが頼り。
いつも以上に視界がぼんやりとしていたけど出歩く道順はほとんど暗記している。どの家も静まり返って光なんて何処にも無いから何度も道を間違えながら、それでも暗い道を辿った。
静か過ぎて耳がおかしくなりそう。
もう見知らぬ町ではなくなってしまったこの世界における私の拠点。それが夜になっただけでまた別の異世界にでも踏み入ってしまったみたいで胸をざわめかせる。
歩みを止めて暗闇に向けランプを高く掲げる。あの寺は昼も夜も関係無くただ不気味で変わりなくそこにあった。しばらく見つめていても何があるわけじゃないけど、私は徐々に自分が酔っ払いだと自覚しておかしくなって笑い出した。
「馬鹿馬鹿しい」
ポルターガイストもやってのけた幽霊なんだし無害じゃない。こんな所に来たって何も分かりっこないさ。
帰ろう。
ちょっと正気になって足を一歩アーサー宅へ踏み出したところで、木に囲まれた暗闇の奥に白い光が揺れた。目を離せずにそれを見ていると微かに声がしてくる。
コッチ、次ノ。
足の向きを再度寺に向けて生い茂る草むらに足を踏み入れた。草を踏む音と光が奥に誘導して行く。草を踏む音だけが耳を支配した。あの光を追いかけなくちゃ。あれを見失えば何も分からなくなる。何も、何も…………。
寺の入口にある階段に足をかけると床板の腐った軋む音が辺りに響いた。建物の中に吸い込まれていく光。
それに続こうとした私の肩が急にしっかりとした感触で強くつかまれた。驚いて振り返ると、背後の闇夜には白い仮面が一つボンヤリと浮かんでいた。
「ほあああああああああああああ!!」
ランプを持っていない手を振りまわしたら拳が当たってどっかに飛んでく仮面。
「うぎゃあああああああああああ!!」
あまりにも聞きなれた悲鳴と顔面を押えるユアン。懐中電灯ならぬランプで顔を下から照らしていただけか!
「心臓止まるかと思ったあああ!!」
「それはこっちの台詞だよ! 夜中に酔っ払いが何するつもりかと思ったら、肝試しなんてしなくても君の肝は充分鋼鉄だって知れ渡ってるんだろ!?」
肩から手が離れて地面を這うように暗闇に消えた仮面をガサガサと探し始めるユアン。その姿に違和感を覚える。
「酔ってないもん」
「いいや、酔ってる! あー、ないないないない、くそ、暗過ぎて仮面が見当たらないっ! ロッカのその仮面をピンポイントで狙う執念はなんなわけ!? 君がフラフラ出ていくから慌てて出てきたせいで何も持ってこれなかったし顔に巻く物すら無いじゃないかあ!!」
ああ、違和感の正体は野外なのにローブをつけてないからか。良かった、服を脱いで顔に巻くみたいなことには思い至ってないな。
寺の奥を見るともう暗闇以外何も見えなくなっていた。でもまだ声は頭にこびりついている。
「次の、何……?」
ユアンの悪態を聞きながら、暗闇を見ていると吸い込まるようで自然に闇の奥に足が進む。
「あ、う、くそ。止まれ、酔っ払い!」
足を止めて振り返った。ボンヤリとあっちのランプに照らされている仮面を付けてないユアンは、まだ寺の外にいる。捕まったら探索は不可能だろうな。力比べになると勝てないのは立証済みだ。
「どうしても調べたいことがあるの」
「何もこんな不気味な所、夜中にやらなくたっていいだろ!? せめてアーサーとジャックも連れて来るとか」
「酒の勢いがなくなったら多分もう来れない」
「正気になったらこんなことしないってんなら是非そうして欲しいね」
どんどん不安が膨らんでいく。急かされるように。
「仮面見つかんないんでしょ。取りに帰ったら?」
「そうさせてもらうけど、君もとりあえずここまで降りてこい」
強い断定する声。
「イラついてる」
「この状況でイラつかない奴がいたら仏としてこの寺に安置しときたいわ!」
「付いて来てなんて頼んでないからお帰りください」
ユアンが立ち上がってこっちに向かってきた。力づくで連れて帰るつもりだ。大事な仮面が消えたんだからいつもみたいに撃退されてればいいのに。
もう、捕まって家に帰る?
この漠然とした不安を永久に抱えたまま。
後ろに足をずらすと床が大きく軋んで、私は身を翻し暗闇を真っ直ぐ走り出した。
「なっ」
壁にぶつかって曲がる。前に腐り落ちた床穴を避けて、何かにつまずく。転がって、立ち上がって、すぐにまた駆けだす。捕まっちゃ駄目。行かなきゃ、何か見つけなきゃ。そのために来たんだもの。連れ戻されたらもう来る勇気なんて出ない。
行かなきゃ、見つけなきゃ、前は辿り着かなかった……奥までっ!
やっぱり私は酔っておかしくなっているのかもしれない。
そんなに長くない距離を走って廊下の壁が消え、開けた場所に飛び込んで柱にぶつかった。息が乱れて柱から離れようとした瞬間、後ろから強い力で肩を柱に押し付けられた。
「いい加減にしろよ!?」
二つ分の乱れた息が重なってランプを持つ腕を握り締められる。身動きが取れない体勢のまま二つ分のランプが照らす境内の壁を視線で辿っていくと仏像らしき物が並んでいるのが見えた。一体だけじゃなくて大量に並んでいる。ここが最奥だろうか。ところどころ私のよく知る寺とは違うし雰囲気も異質に感じる。
やっぱりどう考えても地表から落ちてきたとは考えにくい。
地表と地底の距離がどんなものなのかは未知だけど、落ちてきたんなら粉々だろうし、自然落下なら上下だって逆さまだろう。そんなこと言えば私だって粉々じゃないとおかしいけど。
基礎工事は鬱蒼とした草に隠れているけど、この建物はしっかり建っているように見える。念仏だって地底に根付いてるくらいだ。これはあっちから来たんじゃなくてこの世界で建てられたものだ。この仏像にしたって輪郭が微妙に知っている物とは違う。
「あれ、もっと近くに寄って見たい」
手が緩まない。無言の圧力が背中に加わって、腕をつかむ手の拘束が余計に強まった。
痛い。
でもここで抗議したらユアンもそろそろ切れるかもしれない。
「お願い」
もう切れてるかもしれないけど。
少し時間をおいてユアンの手が緩んだ。自分の腕を前に持ってきて握り締められていた腕をさすりながらユアンを振り返る。
「こっち見んな」
大きく顔を背けたユアンには仮面がついていなかった。仮面を吹っ飛ばしてもすぐに手で覆い隠されるこの素顔が寝ているわけでもないのに目の前にある。皮膚が完全に溶けた側を頑なに隠す角度だけど少し引き攣れた左側は晒したままだ。ランプに照らされて瞳が色を変えてしまってるのが惜しい。
「さっさとしろよ。見たら絶対にすぐ帰るからな」
「うん」
視線を床に落として気持ちを切り替え仏像の方に体を捻ったら、後ろから手を握られた。ユアンに顔を戻したら顔を背けたままだった。だけど「君は嘘つきだからな」と言う。
やたら握る手にかいた汗。
挙動は不審。
「怖いなら追って来なきゃ良かったのに」
「そういうわけにはっ、いや別に怖くて手を繋いだんじゃないぞ!? 君が千鳥足で走って壁に激突したりするから仕方なくだ!」
更に言い募ってくるユアンから仏像に視線を移して近寄る。いや、仏像と言ってもいいのか分からないな。足の無いズッシリとした体躯の像からは腕が大量に伸びていた。頭も何もなくただ大量の腕が花みたいに上に向かって指を広げて咲いている異様な姿だった。
隣にあるのもおよそ人の形をしていない。首から上が無いと思ったら自らの腕に頭を抱いて、やっぱり足は無い。
その隣は顔から全てのパーツが無い。代わりに足元に散らばって……どれも造形がやたら細かくてリアルなのがなんか腹立つ。
「こっちの世界の仏像ってグロテスクが標準なの?」
「これは仏像じゃなくて土地神だろ。違いなんて聞くなよ。熱心な信徒じゃあるまいし住職にでも聞くんだな。こんな朽ちた寺じゃ住職なんていそうもないけど」
魔物を陳列した棚を横に移動していき、真ん中の見上げるくらいに大きな像の前にくる。大きさは三メートルか、これにだけは足がある。交差させた手には一つずつ玉が握られていた。
「これは」
「土地神の親玉的なもんじゃないのか。僕は宗教なんて詳しく無いぞ」
こいつ現地人のくせに不信心過ぎじゃない? 私も仁王像と千手観音くらいしか分からないけども。
「寺に何が安置されてるかよく分かったな。じゃあもう帰るぞ」
手を引かれて安置されている像の前から引き剥がされる。部屋を注意深く見回しても靄らしきものは見当たらない。
さっきの光が引きずり込もうとしていたのは、やっぱり地下だったのか。
手を引かれてユアンの左側を歩かされる。
ユアンを見上げながら歩いていたら前を向いたまま「こっち見るなって言ってるだろ」とイライラをぶつけてきた。
「どうせ見えてないから良いじゃないさ」
「良くない。前を向いて歩け」
暗闇の中でこっそり頬を膨らませて床に目をやった加減で腐り落ちて大きくあいた穴が目に入った。落ちないように避けて通過する時にランプで照らした地下で動く物は見当たらない。通り過ぎた後に左に目をやると前と同じく暗い地下への入口が開いていた。
この寺の中枢はお堂ではなく、多分この地下。
立ち止まって入口に手を触れる。
声はしない。
「おい……何立ち止まってるんだよ。そこは土蔵だ。見る物なんて無いからな」
警戒したユアンの声に握られた手を見下ろす。
本当に何かいたら、どうする?
実際に訳の分からない力を使って攻撃してきたことのある幽霊がいるかもしれない場所。接触してこようとした声。
引き時かもしれない。最後までいって帰ってこれなかったら、それはやっぱり怖い。私も、帰りたい。
でも形にならない不安がここでハッキリする予感もしてる。何も無いかもしれない。それならそれで何も無かったって諦められる。漠然としているのが一番精神的にくる。だったら酒の勢いでこのまま突っ込んで後から後悔した方が…………でもその自己満足のためにここで呪われたり取り憑き殺されたとしたら? 一緒にいるユアンを巻き込むの?
「ロッカ!」
大きな声でユアンに焦点が合う。
「最近ずっとおかしいけど今日は本当におかしいぞ。取り憑かれでもしてるのか?」
大きく深呼吸をする。
「分からない。私、どうしたらいいの?」
不安が声に出た。
ずっと正面を避けていたユアンが私の方を向きかけて、その背後に人影が見えた。
「わあっ!」
場違いな脅かす声と共にユアンが押されて倒れ込んできた。酒で心もとない足で踏ん張れずにそろって階段に倒れ込む。頭を抱え込まれて背中を壁で打ちながら階段を半分落ちるように駆け下りて、足が地面から離れた状態でユアン越しに壁にぶつかった。
「ぐっ!!」
「あうっ!?」
ランプを何処かに取り落として完全な闇に包まれる。ユアンの呻き声にゾッとして胸板を押して見えない顔を見上げた。壁をずり落ちていくユアンに抱えられたまま一緒に座り込んでいく。
「うわっ、ヤバ。だ、大丈夫かあ!?」
階段の上から人が駆け降りてくる。
「悪い悪い! ちょっと脅かそうと思っただけなんだけど」
階段の上で落としてきたらしい私達のランプを二つ手に持って暗闇から現れた姿に唖然とする。
「アーサー?」
暗い中で明るく照らされているシルエットは私のよく知る相手だった。衝撃の後、私はユアンに急いで視線を戻す。けど至近距離にあったユアンの顔を目にする前に目元が叩きつけられる勢いで塞がれた。
痛い。
「……僕を、殺す気か」
「いやー、はっはっはっはっは」
アーサーは誤魔化し笑いで追求に答えずに話を逸らしてきた。
「それはさておき驚いたなあ。二人はこんな所でデートか?」
本日最高の声量でユアンが怒鳴る。
「酔っ払いの回収だよ!」
私はユアンの手を振り解いてユアンの服を両手で握り締めつつアーサーを見上げる。
「なんでこんな所にアーサーが」
首を傾げたアーサーがしゃがんで目線を合わせてくる。
「そりゃあ、あれだ。こんな時間にロッカは何処に行くのかなっと心配で付いてきてたんだよ。で、喧嘩してるから仲裁しようと思ったらな。怪我してないか?」
ユアンが憮然とした声で顔を背けて「死んでたら呪い殺してたところだよ」と言う。とりあえず死んでないらしい。本当に危なかった。まだ心臓がバクバクいってる。
無事を確認して立ち上がったアーサーがランプで地下通路を照らす。
「ふーん、地下って結構広いんだな」
そう言ってランプを二つとも持ったまま、なんと奥に向かって歩き出した。
「お、おいアーサー、上に戻るぞ!」
ユアンは止めるが聞いてない。灯りが奥に向かうと段々周りが暗闇に閉ざされていく。本当にまったく何も見えない空間が近づいてきて、ユアンが舌打ちをして私を抱えて立ち上がる。
「この性質が悪い酔っ払い共がっ」
アーサーの背中を追って歩くユアンの後に続く。
エベリンが落ちた穴の部屋とは別の道に進んで行く背中。前と違って声は何も聞こえない。
「奥に何があるのかねえ」
アーサーの能天気な声にユアンが「少なくとも金銀財宝じゃないだろうよ」と皮肉る。行き着いたのは石壁に囲まれた部屋だった。真ん中には円柱が生えていて近づくとそれが井戸だと分かる。いや、多分井戸? アーサーが井戸の横に立つ。
「ここで終わりみたいだな」
「なんだ、それ。気味が悪いな」
私は井戸を覗くアーサーの隣に立つ。手だけは離さないユアンに片手をつかまれたまま。私も井戸を覗くとアーサーがランプを上にかざしてくれた。でも井戸の底は見えなかった。遥か下の方に黒い何かが波打っているようにも見えるから石でも落とせば水音が聞こえるかもしれない。
そこで吸い込まれるような感覚がして眩暈に襲われ、吐き気が込み上げてきて我慢出来ず口を押えて座り込む。
「ロッカ!?」
井戸の縁を持って床に膝をついて大きく深呼吸をする。
「気持ち悪い」
「……ほらみろ。悪酔いしてるんだ。さっさとこんなとこ帰るぞ」
ユアンが私を起そうとする手をアーサーが止める。
「まあまあ、こんなに気持ち悪そうにしてるんだから少し休ませないと可哀想だ」
「こんな所で休んでたら気が休まらないだろ!?」
「そうは言っても、な?」
ユアンが本日何度目になるか分からない舌打ちをした。
部屋にそれぞれ座って休んでいるとアーサーが喋り出す。
「ロッカは土地神について知りたいんだったよな」
「何処で聞いてたんだよ」と呆れるユアンに「静かだったからよく聞こえたんだよ」と答える。
「あれな。土地神っていうのは地球のことなんだよ」
意外な単語に戸惑う。
「地球?」
「星も生き物みたいなもんでな、マグマはいわゆる血管。冷えて詰まったら星が死んじまう大事な生命線になってるわけだ。星の中にあるものってのはなんだって役割があるんだぞ。人間だってそうだ。人間が使う術ってのは世界に充満する要素を消費する」
「それが星になんの関わりがあるの。人間が生活するために使ってるだけでしょ」
「エネルギーってのは使わないと貯まる一方だ。循環してもらわなきゃ。人間以外にもそういう役割は存在して、それが働くことで昼に光の要素が大きく消費されている。それでも地球にとっては要素をエネルギーで還元しきるには不足だ。だから人間には役割があるというわけだ。術による要素の消費が追いつかなかったらどうなると思う? ガスが密閉空間で貯まったら」
「破裂するね」
「そう、世界に穴があく。地球は大出血だ」
世界の穴。
「マグマは地球にとって大事だ。でもな、血管から出た血は止めなきゃな。じゃないと大量出血で死んじまうだろ? 星の中身は大事な体の一部だ。マグマはその体の一部を焼いて潰して埋め尽くす。そうそう、星が破裂するのは一番弱っている薄い部分からだ。マグマってのは一番低い窪地がヤバーい。そういう場所は繰り返しやすいんだ。よく覚えとくといい。一番、低い、場所だ」
地球の地盤が一番薄い場所。
「ところでようやく土地神に立ち戻るわけだが」
「え」
「人間だって出血したら傷を塞ぐ治癒力が働くだろ? 星にもあるんだぞ。どう考えてもマグマが周辺を焼き尽くしてから冷えて固まるのを待つより早く治ったり、そもそも穴が開かない内に修復した方が良いもんなあ。人間の傷を塞ぐのはカサブタだ。それじゃあ地面の穴を塞ぐのはなんだと思う?」
「土、とか、石とか」
「でも土は地面の穴を塞ごうという意思も移動能力も持ってない。だから土で出来た神様が穴を塞ごうと働きかけるんだよ。大災害を収めてくれる神様、それが土地神」
「それ、そういう神話なの?」
「まあそうだな。で、地球を守る土地神様は穴を埋めるために移動能力を持った土の役割をする御使いを送り出すんだけどな、災害の起こる直前にいちから土で一つの生物を創造してたんじゃ間に合わねえだろ? 人間が成長して言葉覚えて生活出来るようになるまでに何年もかかるのに、それこそ災害地点に着くのに何年かかるんだっつう話だ。だったら何かを基礎にして作った方が手っ取り早い。そこでロッカに一つ問題。あそこに並んでた神像は何の形をしてた?」
気持ち悪さが増大する。
全部違う形だった。何の形と言われてもあんなものを私は見たことがない。外で見かけるどの怪物とも違う形。もしも、もしも無理やり共通点を挙げるとするならば。
「人間の」
「死んだら生物は土に還る。土地神はカスタマイズする部品を大量に何処ぞからでも調達出来るというわけだな」
ランプの火が揺れる。
「おっと、そろそろ燃料が切れそうだぞ。歩けそうか、ロッカ?」
床に置かれたランプを手にアーサーが先頭に立って地下の階段に向かう。もう一つは後ろを歩くユアンが。今日分かったことを頭の中で整理していた。頭の芯が痺れるような感じがする。吐き気は止まらないけど歩くしかない。
「階段気をつけろよ」
ユアンが後ろから注意してくるのに頷いて、とりあえず壁に手をつきながら上がった。何度かつま先を段に引っかけたけど転げるようなことにはならなかった。全員が階段を上がりきった所でアーサーが立ち止まって私と相対する。ユアンは帰り道がどっちだったか思い出せずに左右にランプを掲げた。
「ああ、ランプはロッカに返しておくよ。暗いから気をつけて帰らなきゃな」
言われて上の空になったまま手を伸ばす。そのせいだ。ランプを受け取り損ねたせいで灯りが床に落下し、ランプは今度こそ無残に全壊して横に倒れてしまった。
「あっ!」
運悪く燃料と火が腐って乾いた木に燃え移った。一瞬で燃え広がって寺の内部を明るく照らす炎。どうしようかと思う間にアーサーがその火に向かって両手をかざした。ユアンが振り返るよりも前に炎に泥が勢いよくかぶさって目の前が暗幕を落とした様に暗闇へ閉ざされる。一瞬の出来事だった。
光源がユアンの持つランプだけになった。
「ああ」
わずかな光で暗がりに見えるアーサーのシルエットをしたのっぺらぼうが言った。
「間違えた」
アーサーの姿が後退して光が届かなくなった。違う。光を当てても多分もう見つけることは出来ない。消えたんだ。
ユアンの手をつかみ直して私は全力で走る。
「お、おい!」
寺の外に飛び出していつかの少年達のように私は階段を踏まずに跳んだ。ユアンの手をつかんだまま今回は引っ張り合うようにしてぶつかって着地する。
「急に走り出して、な、な、なんだよ。ま、ま、まさかまた何かいたのか!? おいアーサーついて来てないぞ!!」
寺の中に向かってユアンが焦って「アーサー!?」と叫ぶ。
来るわけがない。
「違う。あれはアーサーじゃない」
ユアンは黙り込む。ちょっとはそんな予感がユアンにもあるのか、それでも信じられないから肯定もしないのか。立ち止まったまま寺を見据えても、寺の奥には何も見えない。
「あれは人間ですらない」
私はユアンと繋いでいた手を見下ろした。ユアンもつられて視線をそこに落とす。意識をすると指の毛穴から浮き出すようにもろもろと泥が浮き出て次第に指の形が崩れるとボロボロと指が地面に落ちて繋いだ手が離れた。地面に落ちた指は元の形なんて分からない泥だった。肌色と赤黒い血の色をした泥。
崩れた手を持ち上げて手を握り締めて意識すれば、グズグズになっていた泥が指の形に落ち着いて何事もなかったように私の指が元通りに生えていた。違和感も何も無く握れて、開けられる。
「それに、多分私も人間じゃない」
掠れた声が出た。