汚い大人の矯正社会見学
「ようやく姿を現したか、嘴から生まれし鬼子め! 最近姿を現さないのでどんな悪事を働いているかと憂いていたぞ。しかーし、その毒もようやく浄化する時がきたようだな!!」
シャリシャリと口の中でアイスを齧りながらその場で静止する私とジャックにプラスしてケトレ、セバリー、テスラ。警察署は商店街を南に抜けた少し先にあって用事もないので普段は通りかかったりしないが、こっち側にアイス屋が出ているという話を聞きつけたもんだから買いに行こうぜとなったわけで。
口の中のアイスが消えると、ふと物足りなくなってケトレのアイスに目をやる。
「ケトレ、オレンジ味一口頂戴」
「はー? やだし。俺回し食いとかマジ無理。間接キスになるじゃん」
「何言ってんの。そんなことで将来女の子とキスする時にどうするつもりさ。男が細かいことを気にするんじゃありません」
「そうよ、そうよ! そこはもう口移しの練習までやってもらいたいくらいだわ!」
「ほらー、テスラに病気の燃料なんか投下するから発作出したー。ロッカのせいだからな」
「チョコで我慢」
ジャックが口元に持ってきたやつに首を振って断る。アイスが暑さに溶けて手を汚していく。
「違う。私は今、柑橘系が食べたいの。ということでセバリー、レモンを一口」
「塩アイスなんてゲテモノ選ぶからだ。一口だぞ。絶対一口だからな」
「お子様は分かってない。アイスは塩こそ至高なんだよ」
「私イチゴ味大好きぃ」
おかしなポーズをキメたサンドバック無能性悪胸糞マザコンお巡りがいる警察署の前から歩き去りながら夏休み気分を満喫する。
暑い夏の日の出来事であった。
アーサー宅の玄関に立つサンドバック無能性悪胸糞マザコンお巡りを胡乱な目で見上げる。
「今日はどんな難癖のご用で?」
「悪道に堕ちし少年よ、最近急に警察署に来なくなったと思ったら子供を唆して悪の道に引きずり込もうとしていたとは、何を企んでいるのだ」
「ああ、最近仕事忙しいのと暑さが相まってそっち行ってなかったけど、まさか催促しに来るとは思ってなかったわ」
「誰も催促などしておらんわ!!」
玄関から出て扉を閉め、扉に寄りかかって腕を組む。
「忙しいって言っても受けていた依頼はオールクリアーしたから昨日からちょっとした夏季休暇なんだけどね。まとまった金も手に入ったし。とはいえ私はもうちょっと貯金を増やしたかったんだけど」
営業がノリに乗ったので依頼を大量にとってきてあげたら、休みがとれないって文句ばっかり言うんだもの。なにさ、たかが二十九連勤如きで根を上げよって。
「何!? 私の知らない間にどんな闇取引を」
「でも私も休暇堪能して服も新しく一着買っちゃったんだよねえ。布団にしようかも迷ったんだけどぉ、それ買っちゃうと一気に懐が寂しくなるから布団はコツコツ貯金で買うことにしたんだー。雑貨も色々欲しかったし」
ちなみにこっそり迎えた私の誕生日に女物の服もこっそり買っちゃった。かといって気軽に着れないしユアン宅にコソッと隠してあるんだけど、いつ着ようかなあ。
「く、やはり野放しにしている間に刻一刻と悪に町を蹂躙されていたのか!」
「でもさぁ、夏のアイス、あれは卑怯だね。食べちゃうもん。店に置いてて驚いたわ。冷凍庫とか無いのにどうやって作ってるんだろう。理科の実験で何かやった気もするけど理科苦手だったからなあ」
「やはり審判をくだすのは今! 良いか、巨悪の芽たる少年よ。明日はお前のしてきたことを懺悔し生まれ変わる機会とするべく、署長にお時間をいただいている! 今日は見過ごしてしまったが、明日は必ず我が聖地、警察署に来てもらおうか」
「署長?」
何か耳にしたことがない役職名を聞き取ったせいで、関係無い話でイライラさせて煙に巻いてサヨナラしよう作戦を中断してしまう。あそこに署長なんていたの? なんとなくこのサンドバック無能性悪胸糞マザコンお巡りがこの町の警察トップだと思ってたけど。
サンドバック無能性悪胸糞マザコンお巡りが誇らしげに胸を張る。
「正義と秩序を守る上で大変重要な席につかれている素晴らしい方だ。国の警察中枢本部から南部の署長として新任された方だが、現在我が町の監査に来訪しておられるのだ! 智に優れては他を圧倒し、不徳に対しては厳正。その経歴たるや幾多の悪行高い組織を」
「じゃあ、そろそろ肉じゃが煮えた頃合いだから失礼するわ」
「待てーい! 明日こそ来ないと署長閣下の監査日程が終了してしまうではないか!? それもこれもこんな時に限って少年がなかなか来ないから予定が大幅に狂ったりするのだ!」
嵌めるために待ってたのに標的が来ないからって迎えに来ちゃったのか、サンドバック無能性悪胸糞マザコンお巡り。
「馬鹿の巣窟に優秀でまともな人が来てるんでしょ? 私元々そんなに賢くないし、危うきには近寄らずが定石だよ。それに権力とかあんた達の比じゃなさそうだし、警察の誇りを傷つけられたから逮捕とか強引にやられても嫌だし」
「そ、そんな小さいことを言っていては偉大になれんぞ!」
「小者で良いけど」
それに私、時々咎められそうなこともしてるからそこ押えられると不味いんだよね。普通の人に普通に怒られたら普通にへこむし。
「良い若者がそんな冷めたことでどうする!」
扉を開けて「ジャックー、肉じゃが焦げないようにもう鍋上げといて」と指示すれば二度頷いて台所に向かうジャック。
「もうっ、そもそも夕飯時に人を訪ねてくるとか常識なさ過ぎ!」
「仕事が終わったらこういう時間なのだ!」
「だったら手土産にケーキくらい買ってこれないのー? 良い年したおじさんが夕飯作ってる手を止めさせてお邪魔してるのに手ブラとかっ!?」
「ぬ、盗人猛々しい!! 私は正道を逸れし哀れな少年が正義の鉄槌を受けることで改心するよう、そう、全ては正義のために足を運んでいるのだぞ!」
「でもどうせ行ってもケーキすら出ないんでしょ? 出しても粗茶なんでしょ? せっかくの休日一個潰してケーキも無しとか行く動機無いもんなあ。あー、ケーキ食べたいなあ」
「ええい、出せば来るんだな!?」
「商店街で行列が出来てて女の子に大人気って看板出してるマーブルチーズケーキじゃなきゃやだ」
沈黙するお巡り。
「守銭奴のメリーさんとこの喫茶店に皿洗いに行くのでも給料プラスで焼き崩れクッキーがついてくるのに」
「く、来るのだな」
「人数分用意しといてね。えーっと、五、六、七、八」
「お、おいなんだね、その人数は!? 誰を連れて来るつもりだ!」
「明後日で休暇切り上げ予定だから、それまででよろしくー」
「待つのだ、少年よ!」
玄関に入って閉めようとすると扉をつかむ手が阻んできたので、手をバチバチ叩いて強引に閉める。そこで天井の板を外してアーサーが飛び降りてくる。皿に夕飯を盛り付けるジャック。いつの間にか壁にひっそりいるユアン。
「君、楽しんでるだろ」
「何言ってるのさ。入手困難なケーキで時間稼ぎしてる間にこっちも急いで仕込みしなきゃいけないし、お巡り共に泡食わせるのって凄く手間暇かかるんだよ。私も大変なんだから」
とりあえず明日のことは置いとくとして、席について今日もありつける夕飯に手を合わせる。
ジャックが椅子を両手にぶら下げて運んでくると「これで全員座れるかなー」と全員着席した。
「準備出来たよー。お巡りさーん、ケーキ出してもいいよー」
エベリンからネリまでお子様が六名、成人が二名の総勢八名で警察署の一角占領したった。
「こ、の」
言葉を失っているサンドバック無能性悪胸糞マザコンお巡りに、エベリンは「お茶ぐらい出したら」と視線も向けずに言い放った。
「お、お前、父に向かってなんて口をきくのだ!?」
「俺、今日はロッカとジャックの友達として加勢に来たから息子じゃねえし」
……父親が警察って言うから今まであえて聞かなかったけど、よりによってエベリンの父こいつなのか。いや、実はちょっと声が似てるなとは思ってたが。
「く、息子め、最近なにか反抗期だなとは思っていたが悪の道にすっかり引きずりこまれおって。未来の正義の使者を志していたのではなかったのか。悪い友達と付き合ってるって母さんに言いつけるぞ!?」
「ロッカのことは母さんも知ってるし、買い物中に会ったら井戸端会議する仲だぞ。三日前のデザートに食べた隣町で有名なプリンはロッカから貰ったやつだし」
うん。お中元の季節だし配ったね。
「サニアさんにはよくオカズのお裾分け貰ってるからこういうお礼くらいはと思ってね」
「いや、母さんめちゃくちゃ喜んでた。そういえば好物聞いてこいって言われたけど」
床にお巡りがくずおれる。
「いつの間にか家族が取り込まれてるううう!?」
天井見ながら片手を掲げる中二病お巡りに「これが奴の手口ですっ」とか耳打ちする金髪お巡り。金髪であのシルエットだから多分、隣の奥さんと隠れてイチャイチャしてるのを五回目撃したけど正妻さん可愛いよねって世間話を振ったことがあるお巡りかしら。あんまり可愛いから買い物の時に挨拶する仲になっちゃったもんで、最近は脅しとか関係なくバラしちまおうか本気で悩ましいのよね。
それにしてもサンドバック無能性悪胸糞マザコンお巡りがサニアさんの旦那、もといエベリンの父親だったとは。財布一緒だろうし今度から鴨っちゃ駄目だな。密かに名前伸ばしていくの楽しんでたけど呼び方も少し配慮して変えるべきだろうか。サニアさん可愛いのになんで寄りによってこんな中二病を選んだんだろう。料理上手なのに男のセンスはめちゃめちゃ悪いんだなあ。
「それでケーキは」
「ちょっとケーキケーキ言い過ぎ!? ここに来た目的を思い出せ! 馬鹿なやりとりをしている間に署長がずっと待っておられるのだぞ!!」
「私の悪行や慇懃無礼、威力業務妨害を白日の下に晒して裁くんだっけ?」
中二病お巡りは声のトーンを上げて嬉しそうに「そう、そうだ! やっとまともに話をするつもりになったか」と言うので、他人のフリしてる周囲のお巡り共を指でくいくいっと笑顔で呼び寄せる。
「では証言者、前へ」
「な、何を勝手に進行しとるか!? もう署長はあちらに先程からお待ちいただいているのだぞ!!」
片膝をついて両掌で指し示された方のテーブルで、お茶を飲みながら書類をバリバリと書き殴りまくってる人がいた。隣には一人男が控えていて、その署長がこちらも見ずにペンを動かして口を開いた。
「構わん。聞いているから続けていろ」
年輩の女性の声だ。おっどろいた、署長って女なんだ?
「い、いやでも署長」
「はい、じゃあ議長ケトレね。誰から証言させる?」
「ぎちょう?」
「司会ね」
「じゃあ一番遠くで人の陰に隠れようとして視線逸らしてる茶髪のお巡りさんからいこうかな」
「ひいっ」
「なかなか良いチョイスするな、ケトレ」
私はウインクして親指を立てる。
「く、早速堕天せんとする悪に影響されし少年が。スミス! この際だから今までの想いを含めて全て証言するが良いぞ!!」
滅茶苦茶ノリ気じゃないスミスが素直に前に出てこないので、私は少し助け船を出してあげた。
「えーっと、私が知ってる言いがかりで一番古いのは私達が森で発見した殺人事件だけど、第一発見者として通報した時にとりあえず犯人だと思うから捕縛するって私の腕を捻り上げたのがスミスだったっけ。私、あれで絶対に名前忘れないようにしようって一番最初に頭に刻み込んだんだー」
「あれはっ、俺だけじゃなくて警察全体がそういう方針だったからっ」
「ジャックが犯人だって決めつけ捜査してくれちゃうもんだから、こっちが囮捜査申し出て、私は命懸けで真犯人炙り出したんだよね」
「その仕返しに警察署前の道いっぱいに毎日毎日毎日気持ち悪い落書きしやがって、しばらく悪夢にうなされた職員もいるんだぞ!! その影響で町民がどれだけ警察署に寄り付かなくなってたことか!?」
「どんどんエスカレートして滅茶苦茶苦情がきたんだからなっ」
一気にお巡り共が喚きだす。退屈そうに体を揺らしているネリに向かって肩を上げてお道化てみせる。
「チョークで道端にお絵かきするのが違法なんて知らなかったなー、ネリ」
「えー、どうして? 壁にやると怒られるけど地面なら良いのよ。雨降ったら消えるし。そして呪術で人は捕まえられないの」
ちなみに呪術要素が落書きに加わったのは途中からネリがノリノリで手伝ってくれたおかげだ。
「万引き疑いで絞り上げてやろうって迫られたこともあったなあ。怖かったあ」
途端に若いのが三人ばかし慌てて言い募る。
「あれはちゃんと話を聞いたじゃないですか!」
「暴力沙汰も言われた通り取り締まったし」
「そういえば食堂にいる可愛い店員さんとは進展あったの、パース? あのお姉さん名前なんていったかなあ。お喋り出来ない奥手のパース、私に任せればあんたの武勇伝をあることないこと話して気を引いてあげるって話はもしかして受ける気になったのかなあ?」
「ロッカさああん!?」
あそこら辺は劣勢にならん限り反旗を翻さないだろうから適当に脅すくらいでいいわね。他の奴らも分かってるわよねえ? 余計なこと喋り出した奴から根こそぎ公開処刑で心の傷を抉ってやるんだからね、きしゃあ!
「それならばこちらも言わせてもらうがな、暇潰しに署へ通ってきてはネチネチ嫌がらせと嫌味三昧、あれは明らかに威力業務妨害で立件可能だからな! 本来ならそれだけで逮捕事案なんだぞ!」
「えー、嘘八百の言いがかりならともかく普段から迷惑かけられてるんだから苦情くらい当たり前じゃなーい?」
「警官を脅しているという証言もこちらでは得ているぞ!」
「おやおや同僚に知られると非常にまずい秘密だろうから黙っててあげた方が良いか確認したことかなあ。穿ったとられ方して私悲しい、なっ」
思い当たる複数のシルエットに目をやると一斉に首を振って俺じゃないと無言で強調してくる。とはいっても弱味がつかみきれてない敵意丸出しの奴もたくさんいるので、そこはいつも通り相手が喋る言葉にかぶせてマシンガントークの威圧合戦で迎え撃つ形になる。
気分が高まって立ち上がってお互い一時も静まらない醜い罵り合いってなもんで、お子様が段々椅子をずらして物理的に遠くへ離れていってる気配がする。あー、これ椅子の距離に比例してお子様達と心の距離が開いていってる気がするけど気のせいかしら。
「このガキ、いい加減に」
気の短いお巡りに襟首を掴みあげられて足元が浮く。
よーし、手を出したな! 良いさ、ほれほれ殴りなよ。殴ったらこのまま警察の評判にトドメ刺して「止めろよ!!」
横合いから力強い手がお巡りの腕を払いのけて私は後ろに押しのけられる。前に踏み出してお巡り達の正面に立ったのはエベリンだった。血がのぼって白熱し過ぎ手が出たお巡りの方も中二病お巡りに下げられ、父子が対峙する構図となった。
「みっともないことはもう止めてくれよ!? これが俺の目指してる警察なのかよ。本来なら先入観で誤認逮捕なんてあっちゃいけないことだろ。ミスを認めないのが警察のプライドかよ!!」
「違う! 今までは証拠がつかめていないだけで日頃の行いからみても確実に悪の気配は存在しているのだ! 私達はそれを暴くまで諦めず戦っているに過ぎんのだ!」
「確かにロッカはやり方が捻くれてるし正直性格に難がある。性格が悪い!!」
自覚はあるけど強調し過ぎじゃないか、エベリン君や。何で二回も性格言及した?
「でも謝ったらロッカもジャックもスッキリした奴だよ。俺だって父さんから聞いてたし、見た目で最初は思い込んだんだ、こいつらが悪い奴だって。だからこそ間違ったら謝って今度は正しく相手を見据えることが大事なんじゃないのか」
エベリンは私とジャックを振り返って頭を下げた。
「前に人殺しだって決めつけて町中で石を投げつけられたことあったろ。あれ最初に石をぶつけたの俺なんだ。ちゃんと知り合ったら全然そんな奴じゃなくてさ、恥ずかしくて仕方なかったよ。あれで自分がどれだけガキだったか思い知ったんだ。なかなか言い出せなかったけど、あんなことやって悪かった!」
石ぃ?
「ああ……あれエベリンだったのか!」
数カ月前に襲われた暴徒の件を思い出す。そういえば最初は子供が投げてきたような気もするわ。え、ジャック知ってた?
顔を向けるとジャックが頷いた。知ってたのに今までまったくそんな気配見せなかったのか! あんた心広いわね!?
「あの時はロッカがいてくれたから、そんなに悲しくなかった」
淡々とジャックが言うのをエベリンは俯いたまま「そっか」と返した。確かにあの後はやたらベッタリしてきてた。
「それに今はエベリンも友達だから気にしてなかった」
顔を跳ね上げたエベリンが声を掠らせる。
「ジャック……」
テスラがメモ帳を取り出してネリに叩き落とされる。
あー。
若者達よ。そんな眩しいことされるとお姉さん、こっから醜い泥試合再開し辛いです。
頬を掻いて目を逸らす。耳が痛いわ。
「んっんんー」
わざとらしい咳払いがちょっとおっさん臭かったかしらと思いつつ居たたまれなさそうなお巡り代表、エベリンの父を斜めに見上げる。
「さて。いやあ、美しい友情だよね。青春だよ。付け入る隙とかまるで無いわ。冷たい世間の風に翻弄されていた青年と正義を志す熱い少年との間に生まれた絆。これに水差しちゃうのは無粋だと思うなあ。これで締めてくれると綺麗に終わるんだけどなあ」
「ぐ、く、く」
さしもの中二病お巡りも息子にここまでやられたらグウの音も出なくなったか。仕方ない、ちょっと素直になりやすいようにしてやるか。
「あんた自身はどうかと思うけど、良い息子育てたよね。そこだけは尊敬してあげる」
そりゃさ、いつもは身内や気になる人の前で晒し者にしてやって大人げないなんてなんのその、こっちに手を出したら大火傷を負わせてくれるわというのが私なわけだけど、エベリンはもはや私の身内でもある。攻撃しただけ私も痛い。
胸中が複雑に荒ぶる中二病お巡りは憮然として身を翻した。
「当たり前だ。将来偉大な正義の使者となるべく全力で育てたんだからな」
その背中は確かに父という哀愁が漂って「終わったのか。では評価に移らせてもらおう」
「…………」
遠くで紙の束を重ねる乾いた音を立てて口を開いた女。そういえばこの署長とかいう女のこと完全に忘れ去ってたわ。紙を片手にコツコツと近づいてきてテーブルにそれを置かれる。
「双方からの報告書とマニュアルとやらに今の会話から得た新たな情報で修正し、矛盾点には印をつけておいたので各自再提出しろ。簡単に総評を述べる」
淡々としてはいるが頭上からかかる圧力で私の肩が思わず跳ねた。
「ロッカ・ミタライ、マニュアル化という着眼点は良かったが内容は頭が悪く、悪口などが余計だ。誤字も多い。だがその折れない精神力と効果的な策を練ろうと計算する姿勢は良い。もう少し真面目に就学し研鑽を積んで出直して来い」
「……いや、否定は出来ないけども」
宣言通り具体的に言い合うつもりは無しか女署長は次にお巡りを全体的に見渡した。
「今回の監査でこの部署における事件経過記録には不備が多くみられた。客観的証拠ではなく主観的な第六感という馬鹿馬鹿しい点や、事象に注視していたわけでもない目撃者の怪しい言質で動いている点がみられる」
「い、いやしかし、言質はもちろん、その場にいた何人もが口々に証言したものを証拠にしており」
「集団に聞けば集団心理が働き見ていないものも見た気になる。ここの部署には聞き取りをする際の環境について講義せねばならんのか。改善すべき点は書類に書いた。私に無駄な時間を取らせるな」
女署長は額に手を当てて首を振る。
「ここが終われば次の町でまた馬鹿の監査をしなければならない。まったく頭が痛くて割れそうだ。はあ、それと報告書で指摘した証拠部分を埋めることが出来なければ今後は現行犯以外でのジャック・プイへの過剰な監視と接触を禁止する」
「そ、そ、それでは今後この男が何か疑わしかった場合の捜査が」
「愚論を私に返す気か。簡単な話だ。完璧な裏を取ってから行動し、報告せよと命令しているだけだぞ。返事は一つだ。それとも返事の仕方から指導させるつもりなら、貴様ら全員別の部署で一から下積みし直すか?」
全員綺麗に敬礼した。
「出過ぎた発言失礼いたしました!! 向上心を持って不備を改めさせていただきます!!」
「うっへぇ、怖い女」
小声で言った私の背後でも、こっち側に渡された書類の束を読んだお子様達が「うわ、俺達の評価まで書いてる」「通知表かよ」「発言が少なく積極性無しって、私今日ケーキ食べに来ただけなのに」「連携不足って」なんて慄いてるよ。
しかしこれ結構凄い収穫が出たぞ。これって表面上は証拠が完璧に立証出来なきゃジャックを容疑者に出来なくなったってことだよ、ジャック!!
振り返ったら女署長の側近らしき男がお盆を片手にテーブルに近づいてきてケーキを丁寧に配り出していた。その動きを食い入るように見ているジャック。もはやさっきの空気はどこへやらケーキしか見てねえ。
「このたびは警察の不手際で多大なご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。残念ながら検証にまで手が回っていないため無罪とは言い切れませんが現時点では疑いの域を出ないとのこと。今回の監査により発覚した点を熟慮し、治安と厳正な法治の下で町が健全な状態となるよう指導していきますので、どうか今はケーキをお楽しみください」
ケーキに飛びつくお子様そしてジャック。
いや、ジャックは今結構重要なこと言われたんだからケーキ以外のものに反応しなさいよ。無心にケーキ頬張って、多分これ頭の中はケーキ美味しいしか詰まってないな……もう脳みそお花畑の能天気マイペースめ。
私も貴重なケーキに手を出そうとしたところで、手が阻んだ。何かと思って目を向けると女署長だった。
「稚拙な言葉で当たり前のことしか書いていない。こんなことが出来ない警察などいるものか、と思いたいところだが、バランス良く能力のある者ばかりとはいかないものだ。それでも組織のくくりで補えあえばそこまで機能不全には陥らんものだが、ここの性質は偏り過ぎて自浄作用も働かなかった。世の中馬鹿ばかりで嫌になる」
「一般人にそんなこと愚痴られましても」
「マニュアルというのは最低限の行動をさせるための指標となる。今回の監査で私の管理下にある者が想定以上の馬鹿であることを理解した。心得徹底を図るためにマニュアルの取入れは検討に値する。組織で作成に当たらせることにした、が、稚拙であっても一般人からの見解に目新しい視点も見受けられた。その自作のマニュアルの不備を埋めておけ。必ず受け取りに行くからな」
「げっ、そんな面倒くさい宿題みたいなのお断りですけど」
小難しい話を半分聞き流してたらこの女署長め、面倒臭いことを言い出した!
「ふん、警察のあり方に口出ししたのだ。相応の覚悟を見せてもらおう。出来が良ければ警察の学寮へ入学できるよう就学支援してやっても構わんぞ。将来を憂えるなら己で担え」
もう三十路も近いのに今更学校通えってか。
収入も安定しない、手のかかる仲間しかいない不良物件職とおさらばするには丁度良いんだろうけどさ。
「私も仕事仲間も相当欠点が突出した連中だけの集まりでしてね、補いあってなんとかバランス保ってる綱渡りレベルの馬鹿なんで、謹んで辞退しときます」
「どうするにせよ提出しろ。以上だ」
それだけ言って立ち去りかけた女署長が、ふと言い残したことがあったとばかりに顔を向けてきた。
「いや、もう一つ言っておく。お前の性格は確かに直情過ぎる。引ったくり麻薬事件の犯人を捕まえる際に泥を口に詰め込むのはやり過ぎだったな。下手をすれば窒息、殺人が成立していた。一度の激情で罪を犯したくなければ改善しろ」
つい最近あった引ったくりと暴漢の件。問題になった箱の中身は麻薬だったらしいけど。
「はあ? 言い掛かりですけど。私。そんなことしてないし、あの時、地面に手をついていた手であいつの顔面引っ掻きにいったからたまたま口に入った程度のことでしょ」
「泥は口いっぱいに詰まっていた、と記録にある。偶然では入らんな。気絶して飲み込んでいなかったのが幸いしたが、目が覚める方が早ければ死んでいた可能性もある。件のものは正当防衛でも済む話ではあったが、ゆめゆめ気をつけることだ」
そう言い放つと今度こそ服を翻して「出立の準備をしろ!」と嵐のように立ち去っていく。
記憶を呼び起こす。あの時、倒れた時、周りの地面は補整されていた。直近で雨が降ったわけでもなかった。たまたま手に大量の泥がついてるわけがない。
手を見る。
泥。
ここ数カ月そのキーワードが徐々に意識に引っかかってきてる。肌色と血の色が混ざり合った様なマーブル柄。人間が溶けて混ざり合ったみたいな。
「地術、土の魔法」
アーサーが風を使う時、エベリンが光を出した時とは何かが違う気がする。それはあのヘドロが頭を過るから。
あの色合い、私の帰り道を塞いだ人外が同じ色をしていなかったか? あれが地術? だったらあれは人間だったのか? あの時、あのヘドロは確か融解しているとか言っていた。
本当にこれは魔法なの?