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人目は批判のみならず

 エベリンと並んでテスラがお茶を飲む。今朝のテーブルはパン屑一つも見当たらないお茶しか存在しない悲しい様相だ。そこに「ぷー」と満足気な声を漏らして一息ついたテスラが籠から山盛りの手作り菓子をテーブルに並べ始めた。

「それでね、今日は手作りのお菓子を作ったからロッカ君に食べてもらおうと思って来たの。朝御飯の代わりになるでしょう? あ、ジャックも食べて良いよ」

 うちの菓子入れになみなみと移されていく菓子は小さなお花畑のようにカラフルで、一見食べ物に見えない日本人にはきっついやつだった。一つ摘まんで鼻先まで持ってくると微かにチョコの匂いがする。市販で売っていそうな見事なコーティング技術が駆使されているおよそお子様が作ったように見えない一品だ。この真っ青な着色料何使ってるんだろう。

「へー、テスラは女の子らしいなあ。お菓子得意なんだ」

「えへへー」

 テスラに見えない位置で激しく首を振っているエベリンにより嫌な予感しかしないけど、お子様が作ったものを無下に出来る程鬼畜ではない。顔の筋肉を笑顔で固めて覚悟を決めるのよ、六花。一言目は美味しい。二言目はでもちょっとこうした方が美味しいかも。三言目はテスラも食べる? 四言目は後でみんなで食べさせてもらうね。これでいこう。

 よし、よし……。

「どう、ジャック美味しい?」

 手が怖がって口に進んでくれない私の横でジャックがモリモリお菓子を食べていた。

「うん、いただきます」

「やだあ、いただきますは食べる前に言うんだよー」

「ごめんなさい」

 きゃっきゃと喜ぶテスラ。手を出さないエベリン。平気で食べてるジャック。

 恐々と口に入れた。

 その時、私に脳天まで刺激臭が突き抜けた。酢でも入れたのか! 違う、これは、いや、なんだ!? しまった、噛むんじゃなくて丸呑みしていればっ……く、口の中に残ったこの塊を飲み込むことを喉が拒否している。鼻にくる痛みで苦しくなる息。甘いのに酸っぱくてスパイスみたいな汁が滲み出る。黙ってモリモリ食べるジャック。テスラがテーブルから身を乗り出して「どうしたの? 美味しい? もっと食べて」と口に塊を押し付けてきた。エベリンが合掌している。涙が滲みそうになるのを根性で飲み下してテスラの手を押しやった。

「ごめん、ちょっと苦手だった。ちょっと酸っぱいかも。て、て…………テスラも食べる?」

「えー。そっかぁ。エベリンもそう言うんだよ。男の子の口には合わないのかなあ。じゃあ、これジャックにあげるね」

「ありがとう」

「な」

 なんて化学兵器生み出してんだ、このお子様はあ!? 強烈過ぎてせっかく好意で持ってきてくれたお子様に配慮しきった大人の返答が出来なかったわ!! それをジャックは平然と片付けていく。いくら朝食が無いとはいえ、奴の口と表情筋はどうなってるんだ!?


 慄いている私の助け舟か、エベリンが話題を変えに割って入ってきた。

「そういえば今日は王子と仮面がいないんだな」

 一目で見渡せる部屋を見回しても他に人影は無い。四人分の椅子は私とジャック以外は本日お子様達により埋められている。「王子?」とジャックが首を傾げるから、私はまだ残る衝撃に口元を押さえながら天井を指す。

「ああ、子供の間でのアーサーのあだ名が王子なんだって。超ウケるよね」

「おい、そこで何故天井を指した」

 エベリンのツッコミにガタリと天井裏から音がした。エベリンは天井を凝視しだした。

「ちなみに仮面は別住居だから普段はいないよ。私とジャックは激安の宿に居られなくなったもんだからアーサーんとこに居候してるけど」

「こんな狭い所に男三人でっ!」

 期待に満ちたテスラ「仮面さんの家の方が広いのに、どうしてあっちに住まないの? あそこなら男四人でちょうど割れるのに」と言い出す。

 割り算が出来たからどうした、テスラ。

「だってあそこ生臭いんだもん」

 ジャックと見合って「ねー?」と呼吸を合わせた。宿に住めなくなった時、そもそも頼る相手がまずアーサーしか思いつかなかったんだよね。あの頃はユアンが嫌いだったから頼ろうなんてまず思わなかったんだもん。会えばウザいし、仮面だしツンデレだし社会不適合だし仮面だし偉そうだし不器用だし臆病だし仮面だし、後はえーっと。

「男の人の一人暮らしだからだよ。代わりにお掃除してあげたらきっと大丈夫だよー」

「たまに押しかけて掃除しに行ってるんだけど、毎日やらなきゃ駄目だよ、あれは」

 換気する時は取っ組み合いになるんだよね。あーあ、やだやだ。


 テーブルを叩く。

「さて、そろそろジャックはメリーさんとこで仕事。今日の晩御飯代しっかり稼いできてよね」

 ジャックが素直に頷いて身支度に取り掛かる。だがしかし、まず最初に帽子にサングラスから取り掛かるあたり外出はジャックにとっても不安なことなんだろう。服着る時に必ず引っ掛けるんだから最後にすればいいのに、ほらサングラスを取り落とした。毎度毎度、学習能力ついてるのか、こいつだけは。

「ロッカもバイトじゃないのか?」

「今日の私は一人で営業回りでっす」

 立ち上がって私も出る準備に取り掛かる。と、その前に、天井へ顔を向ける。

「依頼はなんとしてでも捻じり取ってくるけど町の外では戦闘要員必須なんだから、夕方にはいい加減に出てきてよね、ヘタレ王子」

「やっぱりいるのか、天井裏に!?」

「立て篭りなんて無駄な抵抗を止めて自主的に降りてこなかった場合、あんたのパンツは順次闇ルートへ流して生活資金にするからね。無傷でニートやれると思うなよ」

「闇ルートってなに!?」

 おっと、未来のお巡りさんの前でうっかり。


 支度をすませるとお子様も一緒に外に出してからしっかりと戸締りをする。後ろからエベリンが責める口調で話しかけてくる。

「お前なぁ、王子虐めてやるなよ。天井裏から嗚咽が聞こえてたじゃねえか。テスラから聞いたけど、昨日、その、まあ可哀想なこともあったみたいだし優しくしてやれよ」

 私が塗り固めた笑顔で少年を振り返るとビクリとエベリンが後退した。

「ごめんねー? でも私にも昨日ちょぉっと腹が立つ不幸な出来事があったもんだから、一発くらいかましとかないと気が済まなくてさー?」

 お子様達に向かってジャックが「シー」と一本指を口元に当てる。




 ジャックとはメリーの喫茶店で別れた。とりあえず私はこれから縋り付いてでも依頼をとりにいくわけだが、何故かお子様達はまだ付いて来ている。

「テスラ、極自然にジャックと接してたけどもう慣れたの?」

「うん、大人しくて優しいし、全然大丈夫」

 子供の順応力半端無いわね。昨日の今日だぞ。

「それで、営業って何やるんだ?」

 通り過ぎるのっぺらぼうがこっちを見てる気がするのを全力でスルーしながら、目元に力を込めて目的の場所を思い出す。

「前に仕事くれた店なら私の顔を覚えているだろうから、片っ端からそこに仕事をまわしてもらえるよう頼みに行く」

「王子無しで子供に仕事くれるのかなあ?」

「駄目だったら奥の手使うしかないね」

 不安そうにしていたテスラが一気に高揚する。

「奥の手!?」

「うん」

 少年ごっこ止めて大人として営業をまわる。私生活での子供だから特典は捨てることになるが、その代り交渉相手としては取り合ってもらいやすくなるはずだ。ただ、今は出来れば使いたくない手段なので本当に最終手段だね。

「奥の手なんてなんか凄そう。どんなの? どんなの!?」

 なにせ女に過敏な拒否反応を出しているアーサーの反応が予想つかないんだもんなあ。

「……内緒」

「えー?」

 ちょっとくらい疑ってくれてればバラしやすいのに、昨日あんな弟にでもやるような無体かましやがったってことは、アーサーはやっぱりミジンコも私を女だとは疑っていないんだよねぇ。そんなに努力して隠してるわけでもないのに、あいつら四六時中一緒にいるのに本気でおかしいと思わないのか。こんなもん実際問題どのタイミングでバラしゃいいってのよ。しかも尻丸出しにされた後でさぁ…………。

「ねえねえロッカ君、ジャック、さっきの喫茶店で働いてるの?」

「そうだよ」

「えー、見に行きたーい」

「一番安いメニューだと二百円くらいだけど」

「お小遣いで余裕で行けるよ。今月、私まだ二千円残ってる」

 私の日給の十倍かぁ。

「俺は五百円しか残ってねえから行くなら他の奴を誘えよ」

「えー、エベリンも行こうよぉ!」

 精神攻撃は止めておくれ、お子様達。


 しっかし、いつまで付いてくるつもりなのあんた達。

「二人共遊びに行くか勉強でもしに帰りなよ。仕事の依頼が取れても私はそのまま市場調査をするから、今日も遊べないよ」

 メモを取り出して今日の予定に頭を切り替えた。

「何見てるの?」

「何処でどういう物を仕入れてるか確認してるんだよ。商品、値段、材質」

「そんなの調べてどうするんだ?」

「何処で仕入れてるのか聞いて、どれくらいの値段で買ってくれるか聞きたいからだよ。仕入れが定期的ならうちから買ってもらうように契約出来れば、安定した収入が出来る。不定期でも高額商品でうちが扱えるものなら、こっちから売り込めるっしょ」

「あんまり調べられてないね」

「アーサーについてった店で物珍しそうに店を凝視してる分には何も言われないけど、買わないのにあんまり店をじっくり見てると目が悪いせいで万引きと間違われるんだよ。アーサーはそこまでしなくてもとか言って協力的じゃないし、なかなか思うように進まないんだよねぇ」

 メモを覗き込んでいた二人が頷き合う。

「よし、調べてくればいいんだな」

「見てきてあげるね」

 エベリンとテスラが脱兎駆けていく。

「え、ちょ」

 人に紛れてすぐに分からなくなって止める間もない。調べてくるって、一体どこの店でどんなこと調べてくる気だお子様達よ。今のメモで全部察したというのか。

「はあ、あの特攻力があの男共にあればなあ」

 髪をぐじゃぐしゃ掻きまぜる。




「調べてきたぜ」

 昼もとっくに過ぎて空腹の気怠さに苛まれながら店から出てきたところを得意そうなエベリンとテスラに待ち伏せされていた。よく私の場所が分かったもんだ。

「へへん、感謝しろよな。俺とテスラで一気に七軒も集めてやったからな」

「いっぱい書いといたよ」

 渡された紙の端切れが手に集まる。

「へー、それは凄い」

 どんな風に調べてきてくれって指示をしたわけじゃない調査票だかんなぁ。顔を近づけて解読すると案の定、商品内容と値段だけが羅列されて一体どんな物体なのか大半が分からなかった。だって私、こっちの商品名を見てピンとくるレベルではここの文化に馴染んでないんだもの。これだと肝心の素材がまったくもって分からないのにこの情報で店に何を売り込めと言うんだ。というかテスラ、この可愛くて丸い玄関に吊るすやつって、何!?

「うわー、ありがとう。助かるわー」

 ザックリとした紙の切れ端を有り難く仕舞う。

「ロッカ君はお仕事貰えた?」

「まあね、二件ゲットってとこ。割と良い金額になるから金が入ったら今度来た時はお茶じゃなくてジュースを出してあげよう」

「本当に!? 良かったあ。じゃあ、御飯しばらくちゃんと食べれるんだね!」

 あ、そうか……私、察し悪過ぎだわ。

「無駄遣いすんなよ。お前らの仕事って安定職とは程遠いんだからな」

 この子達、今日は私の仕事を手伝うつもりで訪ねてきてたんだ。遊びにも行かずに、何かやれることないかって考えて。

「……お子様達、抱き締めても良いだろうか?」

「急に何言い出してんだよ。後なんでお前はいつも年上目線なんだよ」

「ロッカ君とエベリンが、抱き合う!?」

 許可がおりなかったから頭だけでも撫でまくろうと試みる。「止めろ!」とエベリンが逃げ出した。ああ、お子様かっわいいなあ、もう!


「おい、なんかちょっと待て、あっちが不穏な感じだぞ」

 逃げるエベリンが立ちどまって往来の道の向こうを見て立ち止まる。私の手がエベリンの頭を捕まえて髪を撫でまくる。

「ざわめき加減に覚えがある。何か落ち着かないような雰囲気、人が避けて道を譲るあの動き」

「あ、ジャックだ」

 目の良いテスラがいち早く探し当てた。ちょっと抜きん出た長身に帽子とサングラス。最近は喫茶店でこそメリーのキャラに牽引されてチャラ眼鏡で受け入れられつつあるが、世間一般じゃまだまだ危険人物扱いのうちの子である。

 ジャックもこちらに気付くといそいそと寄ってきた。

「ロッカ」

 嬉しそうにジャックが説明も無しに紙を突き出してくる。それはまず受け取るけども。

「どうしてバイト中の奴がこんな所にいるのさ。何がどうした?」

「バイト中に俺、お客さんと話したんだ。それで、仕事とってきた。師匠が報告してきて良いって。それ見てっ」

 驚いて紙に目を落とす。そこには珈琲豆、人参、レタス、砂糖ってこれ喫茶店の買い出しメモじゃないのよ。……次の紙をめくる。そこには確かに素材屋としての仕事の依頼内容が書いてあった。依頼主は商売人じゃなく一般人みたいだけど。

「お客さんに営業したの?」

 ジャックが?

 紙はもう一枚あった。依頼は二件。


 なんだと。


 一般家庭からの依頼、高額依頼ではない。それでも、これは、かなりの成長と言っても良いんじゃなかろうか? 若者の成長の早さ怖い! 仕事の依頼が無い時の稼ぎ頭から営業までやっちゃえるようになりつつあるの? それはもしや、あれか。現場では大して役に立たないけど営業面では割と活躍できるつもりでいる私の存在意義とか脅かされてたりするのか。

「へー、凄い……」

 そもそもこいつ、単に諦め癖があっただけでやる気さえ出せば割とやれる子なんだよね。冤罪をかけられても結局逃れ続けてるわけだし。

 肩を叩かれてジャックを見上げると無言で見下ろしながら期待に満ちた気配を飛ばしてくる。

「あー」

 これはあれか。もっと褒めてくれと。

 犬みたいな催促しよってからに。あんまり至近距離だと見上げるのも大変で、ジャックに対する時は腰に両手を当てて反り返るのが収まり良い。傍から見ると物凄く偉そうな感じになるけど。

「あー、偉い! 家計が大変なことを察してこんなに頑張ってくれていたなんて私は衝撃を受けたよ。この調子でいけば真人間まで後一歩だよ、偉い偉い」

 巨体がしゃがみこんで顔を傾けて私の顔を覗いてくる。

「嬉しいの顔ー」

 大体表情の無いジャックが、歯を剥き出して眉根を寄せてサングラスの厳つい男が威嚇してるようにしか見えない顔になる。お子様達から「怖っ!?」と悲鳴が聞こえた。私はジャックの眉根に指を置いて皺を引き延ばす。

「笑顔はまだまだ要練習だね」

 そういえば、やる気を出してもこればっかりはまったく上手くならないけど。

「お前あんな顔よく出来るな」

「あれ、笑顔なの!?」

 テスラに口元を抓られて物理的に「笑顔ってもっと、こうだよ」などと弄られ出すジャック。昨日の今日でよくもまあ子供の変わり身の早さよ。


「どけえ!!」

 この平和的な光景の外、往来の向こうからの怒鳴り声が突っ込んでくる。警戒心で顔を向ければ人を突き飛ばしながらすり抜けようとしている奴がいる。

「引ったくりだ!?」

「ちっ」

 遠くからの声に私はすぐさま犯罪者の通り道から壁の方にお子様達の肩を押しやる。その後ろでジャックが逆に往来の真ん中に歩み出した。

「は? え、何してっ」

 私は意表を突かれてジャックに手を伸ばして空ぶる。数歩、追いかけてジャックを道の端に引き戻すより先にジャックが引ったくり男の腕を鷲掴みにする方が早かった。走ろうとしている体をつかめば当然引ったくりは体勢を崩す。そこから引ったくりの反応も早かった。体を強張らせた引ったくりがジャックを見るやいなや手を振り上げてて。


 アーサーが刺された光景がフラッシュバックする。


「ジャック!!」

 引ったくり男は荷物をジャックに投げ付けた。その攻撃にジャックが怯んで手を離した隙に引ったくりは逃げた。それと同時に追いついた私は首を突っ込んだジャックに強い怒りが沸いて背中を拳で殴る。

「あいた」

 何があったわけじゃないのに怖くて手が震えた。この地底に来てから道端で襲われること複数回、一瞬嫌なことを思い出したせいだ。そういえば漬物屋が近い。糞、あの女のせいで。

「ロッカ?」

 そう毎回トラブルに発展するわけじゃないのに、暴力的な相手との接触が久しぶりでつい過剰反応した。そうだ、ただの引ったくりなのにそこまで怒る必要ない。

 ちょっとした自分の変化に戸惑う。無言で小突かれたジャックはもっと戸惑ってる。


 引ったくりが来た方向から人を避けて男が走り抜けかけた。何かこの町では見かけない毛色の服装でよそ者だと一目で分かる。地面に落ちた荷物は箱だった。これぶつけられたら痛かったろうな、ジャック。素材屋の仕事では怪物を解体するとちょうどこんな風に箱詰めにしたり、袋詰めにして運んだりしている。

 盗られた箱がこちらの足元に落下しているのに気付いて男が立ち止まり、こちらを目指して駆け寄ってくる。男に渡してやろうと思ったかジャックが箱を拾い上げた。そのジャックの前まできた男に違和感を覚える。勢いが緩まないんだ。それにジャックが箱を持っている姿で完全におかしかった点に気付けた。普通引ったくるなら鞄だ。こんな箱は引ったくりにくいし中に財布が入っているとは思えない。だったらどうしてこんな物をピンポイントで狙って奪ったりしたのか、箱の中身は?

「あぐっ!?」

 勢いのまま奴はジャックの顔面を拳で振りぬいた! 不意のことでまともに一撃を入れられ、顔を覆ったジャックの手元から壊れたサングラスが落ちる。そこへ続けざまに拳を振るう暴漢。

「な!?」

「てめえなんで俺の荷物持ってんやがんだ!! 殺すぞ、この」

 殴る腕に全身で飛びつく。後ろでエベリンの焦る声が飛んできた。

「ジャック! ロッカ!」

「そっちが何やってやがんのよ!? 引ったくりから取り返してやった礼を言われこそすれ、ちょっと、止めろつってんだろうが!?」

「テスラ、警察呼んで来い!!」

「うんっ!」

 太い腕に振られて地面に跳ね飛ばされる。強かに背中を打った。

「ぎゃふっ!!」

「失せろブス! こっちは失敗したら埋められるんだ。横取りなんざさせるか、舐めやがって!」

 脇腹に蹴りが突き刺さってわずかに体が浮いた。強烈な痛みに咳き込んで身を丸くする。

「ロッカ!?」

 攻撃対象をジャックから私に移した暴漢が砂を巻き上げながら大股で詰めてきて私の肩口を引っ張り上げ、半分吊り下げられた状態の私の顔に暴漢が拳を振りおろした。反射的に顔を背けて身を固くした。

 いや、ビビッてたまるか! こっちだって、その顔面の肉に爪を立てて抉り取ってくれるわ!!


「はーい、そこまでね」

 強く目を瞑って突き出した爪が刺さらずに鼻先を押し潰すだけの状態で、突然その場にそぐわない軽い声と強烈なビンタくらいの音が乱入した。目を開けると私を殴ろうとしていた男が白目を剥いてのしかかってくる!

 支えてやる義理などあるものかと身を引けば、真っ直ぐ地面に全身を打ち付けて砂を巻き上げて暴漢が倒れた。

 殴られずに、すんだ?

「診療所の外で悲鳴が上がっているぞと思ったら、なんとまあ君達かね。またこりゃ何をやってるんだね」

 暴漢の陰から現れたシルエットは小柄で白衣に身を包んだ初老の男だった。声も合わせて見覚えがある。ここ最近アーサーが世話になってた医者だ。

「……能動的に騒ぎを起こしたみたいに言わないでくれる?」

「いや実に危なかったじゃないか。これあれだよ? 医師協会流派において神の手と言われる者にのみ使用許可が与えられる秘奥義、麻酔拳がなかったらその細こい首は折られとったあれだよ」

「そういうのいいか、ら」

 脇腹にかけた痛みに背を丸めて耐える。

「ロッカ!」

 ジャックのいつもより大きな声に顔を向けるとよろよろと寄ってきて大きな体で陰に覆われる。怖い顔が一層険しい。押さえている脇腹の手の上にジャックの大きな手が重なってきた。あーあ、ジャックのやつ口が切れてるじゃないの。完全に不意を突かれたもんなぁ。

「俺……」


 何か言おうとしたジャックの小さな声を不揃いに駆け付けてくる複数の足音と無遠慮にでかい声が吹き飛ばした。目線を運べば人の隙間からお巡りらしき連中が見えてくる。

「関係無い奴はさがっていろ! ええい、大人しくしろよ、通り魔というのは、む、ぐっ」

 視界が開けて私達を確認したお巡りが見るからに怯んで立ち止まった。

「騒ぎと通報があったと思えばまたお前らなのかあ!?」

「またって言いたいのはこっちの台詞なんだけど。この町の治安はどうなってんだってね」

「おい、とりあえずこいつら全員連行しろ! 糞、面倒くせえ」

「ああ!? こっちゃ被害者なんだけど!?」

 苛立ちのままお巡りを睨み上げた時、こいつらを呼びに行っていたテスラが飛び出して叫んだ。

「ジャックどうしたの!?」

 振り返るとジャックが顔を覆って俯いていた。テスラがお巡りを突き飛ばしてジャックに接近すると忙しなく体を触って「大丈夫? 痛いの?」と不安そうに気遣う。ジャックは首を振っているが手の隙間から見えるその目にはみるみる涙が溜まって水道管みたいに雫をボロボロ落としていく。涙を拭いながら、それでも溢れてくるのを止められないようで。

「また、俺のせい、で」

 苛立ちで沸騰しかけていた心が一瞬で冷える。

「ちゃんとしようって、頑張ろう、と、思ってる、のに、出来なくて。悪く、言われないように、でも、結局悪くしかならなく、て、他の人が普通に出来ることなのに、そんなことも、出来ないのが情け、なくて、ロッカ怪我させたのに、それなのに俺自分のことばっかり考えてて」

「ジャック……」

「これだけやっても、まだ努力が足りないのかって。そんな、そんなに、他の人より駄目な人間なのかなって。変わりたいのに、なんで、いっつも、こんな風に最後は、迷惑ばっかりかけるような、こと」

 堰を切ったようにジャックはいつも呑み込んでいたのであろう言葉を漏らしていく。もう我慢出来なくなるまで呑み込んで、その弱音を、不安をまともに吐けるところがなかったから。


「そんなことないよ!」

 テスラが大きな声で否定した。エベリンがジャックを突き飛ばす勢いで突っ込んできてつかみかかる。

「あそこで他人のために犯罪者に立ち向かったのはお前だけなんだぞ! 駄目人間なんかじゃねえよ!」

「頑張ってるのに情けなくなんかないよぉ!」

 お子様達が必死に慰める。私は、頑張れ、ばかりで多分言ったことが無かったんだ。頑張ればかりじゃ息切れするなんてこと知ってたはずなのに。

 引ったくりだって聞いた時、私は真っ先に巻き込まれたくないと思った。いつも厄介な目に遭わされて割に合わないって。だから困っている人を助けようと反射的に動く学習能力の無いジャックに怒りすら覚えた。でもそれって、この町によくいる事なかれ主義の野次馬共とまったく同じ思考回路じゃない? 私達が殴られている時に周りに男手は何人もいたのに、割って入ったのは初老のこの医者一人だった。

 ああ、トラブルの時に助けが入らなくても一部始終を目撃している野次馬はいつも結構いるはずなのに、どうしてジャックが極悪人みたいな悪い噂をたてられるのか薄っすら仕組みが見えた。目撃者自身はジャックが外見と違ってそう悪い奴じゃないって気付いてたりするんだ。それをわざわざ主張しないだけで。槍玉に挙げられている他人に関わりたくなんてないから。だから、声高に罵る声の方がよく広まっていく。噂になってく。そうして関係がない連中は声が大きい方に耳を傾ける。

 でも、それだけじゃない。そういう人ばかりじゃないんだよ!

 私は仁王立ちになって拳を握りしめる。

「頑張っていればその姿を見てくれる人はちゃんと増える。敵ばかりに見えるけど、メリーさんだったり、エベリンやテスラだったり、ジャックが声を掛けたら依頼をしようという気になったお客はそうじゃない。何も変わってないわけないじゃないさ! あんたは偉いよ。情けなくなんか、絶対に無い!」

「ロッカぁ」

 鼻をすするジャック。

「それでも確かにまだまだこうやって悪意は向けられるだろうさ。悪運にも程がある。もうそれはジャックの運命なんだから仕方ない。でも、それでも頑張るなら私が味方になってやるから、ジャックは自分が悪いんだなんて思わなくていい!!」

 涙が出てきて腕で拭う。お子様達も泣きながら「俺だって味方だからな! ジャック!!」「私も、私も友達だからねえええ!!」とジャックを囲う。地面に水溜りが出来そうなくらい心を一つにするお子様達。

 私は建物に隠れ切らない町の防壁を指さした。

「挫折しそうになる運命の試練も友達がいれば越えて行けるものさ。あれも青春、これも青春。そういう有り余る気持ちをスッキリ昇華する効果的な方法は先人が示しているよ」

 地底には太陽無いけど。

「さあ、西門に向かって全力で走って涙を汗に変えに行ってきな!」

「ああ!」

「そうね!」

「うん!」

 キラキラと輝く何かを振りまきながら走り出す三人。その目はただただ前を向いている。あの三人実は年齢そこそこ近いし良い友達になれそうじゃない。ジャックが二十歳でエベリンがもうすぐ十六だっけ。テスラはいくつなんだろう。そういえば私エベリンと一回りも違う。

 振り返りもせず消えていく背中。その場で見送る私はソッと布切れで目元を拭った。


 急に静まり返った往来。

 隣に立つ医者が「えぇっと」と呟いた声が割と大きく響いた。私は後ろで状況に置き去りにされていたであろうお巡り達を振り返り笑顔を向けた。

「さーて、お待ちどうさま。被害者代表は私がいるから若人達には友情をはぐくんでもらっといて、こっちは大人の話を始めようか。この傷害野郎の処遇から余罪の追及に至るまでたっぷりと時間をかけた有意義な内容のやつをね。連行でもなんでもやって腰据えて話してやろうじゃない。私が納得するまで、晩飯食えると思うなよ」

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