毒を以て毒を制す
目が覚めて体の違和感を感じる。背中にピッタリそった温もり、後ろから回された太い腕がお腹を締め付けている。それを寝起きの頭で眺めてからゾッと血の気が引く。カーテンの中、いつもの定位置に私はいる。上に目線をやればカーテンの外から胴体が侵入していた。頭の上に曲げられているのは膝頭。
「ううん」
体が跳ねた刺激で引き寄せられた。背中に隙間なく押し付けられたのは胸板。
「き」
寝心地を求めて尻に擦り付けられてるのは、多分顔なわけで。
「きいやあああああああああああああ!?」
朝から酸素を絞り出した。
正座をしたジャックの首に縄をつけて天井へ通し、椅子の上から立ったまま声をかけた。
「で、辞世の句は思いついた?」
ジャックの代わりに朝食をテーブルに並べるアーサーが「俺の部屋で処刑は止めような」と述べた。とうのジャックは顔をうつむかせて「だって」との供述だ。
だってじゃない。東の壁側にはトイレと台所が並んでいるので、北の窓際がアーサー、北西が私、南の玄関前がジャックという定位置で布団を敷いて寝てるわけだが、部屋の真ん中にはテーブルがある。私の縄張りにあんな形で侵入しようと思ったらわざわざ角を曲がってカーテンで区切ってる中に頭を突っ込まなきゃならない。しかも尻まで。ちなみにジャックの寝相は非常によろしい。
アーサーが席に着いてジャックの言い訳を促した。
「それで、ジャックはどうしてロッカを抱き枕にしてたんだ?」
「窓に人の顔が張り付いてたから怖くて」
サラッとジャックが答えた内容に今度はアーサーがゾッとしたのか「えっ」と自分の腕を抱いて窓を振り返る。
「覗き!?」
「とりあえず、ロッカの所まで這いずって行ったら安心したので、寝た」
「俺が不安になったがな!? 変質者を放置して寝ないで起こして窓に近い俺を助けようか! 窓突き破ってこられてたらどうすんだ、お前は!?」
掌を口元にあててジャックが、あら、というジェスチャーをとった。
アーサーが手をこねてから恐る恐る窓を触る。
「結界は解けてない……どういうことだよ」
私は縄を持って床に降り、構えた。
「理由は分かったよ。じゃあそろそろ処刑しようか」
ジャックはお腹に手を当てた。
「朝食と情状酌量を」
反省とか絶対してないジャックをしばき倒すために椅子に片足乗せて縄の先を振りかぶった瞬間、玄関扉が勢いよく開かれた。
「ロッカ、無事か!!」
雪崩れ込んできたお子様達がテーブルにぶつかって、最後の子が慌てて扉を閉める。そして一番に飛び込んできたエベリンが部屋に顔を巡らせて私を見つける。
「いた! ロッ…………」
見つけたものの言葉を失ったらしき少年は目をそらし、俯くと「SM?」と呟いた。
アーサーがお子様全通しだった扉に張り付き「なんで!? だから結界は!?」と騒ぐ。それに負けないくらいお子様達が口々に雄叫びを上げて飛びかかってきた。
「アレが出た! アレが家に」
「いやいや、あんた達とアレだけで通じる程の付き合いなんてないから。分からないから。あのさ、ちょっと今処刑中だし後に」
「アレだって! アレ、アレ、アレ、アレ!!」
「ちょ、落ち着きなよお子様達」
扉をちょっと開けた女の子が悲鳴を上げる。
「やっぱり来てるううううう!!」
それを合図に少年達が私の両脇を固めて上に持ち上げた。ああ、少年私の身長よりやや上回ってるから。
「とにかく落ち着いて作戦が練れる場所まで引き離すぞ!」
いやいやいやいや。
「悪いけど私ぼちぼち皿洗いのバイトがあるから遊んでやれないんだって。日給二百円とはいえそれが貴重な朝食代に」
「二百円くらい私が払うからぁっ!」
スカートのポケットに手を突っ込んだ少女の会心の銭投げが貴重な朝食を吹っ飛ばす。それと同時にジェットコースターばりの浮遊感が我が身を襲った。
土管に滑り込んだお子様達は私の額を入り口で激しく叩きつけたことを謝りもせず身を固く寄せ合って震え上がる。
「なんかタンコブ出来てるんだけど。それで、何が来たって?」
「寺にいた幽霊だよ!」
額を撫でながら少年に目をやる。将来女を泣かせそうなちょい悪系の顔だな。
「あんた名前なんだっけ」
「覚えてねぇのかよ!? 次は教えねえからな!」
一時幽霊とやらを忘れて怒りつつ名乗られた。私の額を鈍器に打ち付けた片割れケトレ、その名は二度と忘れん。
「俺はセバリー」
ケトレの共犯者が自発的に名乗る。「テスラ」「ネリ」「ヘッツェだよ」「エベリン」と全員が続いた。待て、いっぺんに覚えらんないから。朝食に銭投げやったテスラだけ辛うじて覚えた。
最後に土管に入ったエベリンが深い溜息をついて頭を仰け反らせる。
「ふー、なんとか全員無事だな」
「私のデコが無事じゃないんだよ」
反論への返答がないままお子様達は一様に俯き、すすり泣く声が漏れ出す。エベリンが重々しく告げた。
「あの寺で見たアレが俺達の家に来たんだ。窓が開いてたセバリーの家には入ってこようとしたらしい」
「急いで閉めたけど」
窓に張り付いて覗いてたとか、壁から大量の腕が生えて今にも入ってきそうだったとか、親は見えない、はよ寝ろと取り合ってくれないだとか口々に体験談を吐き出し始める。どうやら昨日から神経を擦り減らしている徹夜組もいるらしい。
幽霊ねぇー。肝試しやった後日に冗談めかしてこういうことを言い出すメンバーは大学の頃にもいたなあ。
「あの時いたメンツの所に現れたっての? 私の所には来てないみたいだけど」
「目の前にいてもお前いないとか言うじゃねえか!」
朝食取り損ねたせいで子供のハイテンションに付き合うの辛いわ。ただでさえ朝にジャックのせいで無駄なカロリー消費してしまったし。
「とにかく朝になって親が有無を言わさず窓開け放ちやがったから入ってきて」
「うちも」
「あたしのとこもだよぉ」
「子供が怯えてるのにフル無視だったし」
「あんな大人にはなるまい」
「ねー?」
まー、それで朝から町を走り回って友達の所に逃げこもうとしたらオバケも増えて大パニックというわけか。
「幽霊って明るい往来にいるもんなの?」
「こっちが聞きてえよ……」
とにかくこれからどうしよう、と黙り込む一同。子供に押し潰されそうな私も一応唸って考える。こういう幽霊騒ぎって結局お祓いみたいな儀式を踏んで、もう解決しましたよーって雰囲気出さないと安心してくれないのよねぇ。
「エベ、エ、エベリン」
少女が一人震え声で沈黙を破った。うん、なんか駄目な感じの沈黙の破り方だな。
「何か思いついたのか?ネリ」
その答えよりも前に次々と悲鳴が合唱した。
「あああああああああああ!?」
エベリンの方向を指さしているけどエベリンが更に後ろを振り返って悲鳴に合流したので、多分土管の入口に何かあるっぽい。
「あ、ああああああああああ!?」
「ああああああああああああああ!?」
「やああああああああ!?」
「きゃああああああああああああ!?」
お子様達が一斉に反対側に押し出しにかかってきた。それで体勢を崩してしまい膝が地面につく。血の気が引いた。
「あ、待っ……!」
パニックな後続は待っちゃくれない。私は膝を擦りおろされた。
「て、ぐぎゃああああああああああああああ!!?」
私だけ別の悲鳴を上げて土管から出た瞬間、今度はテスラとネリに両手をつかまれた。両膝から血を流して走らされながらも、私は現在可能な限りの優しい声を振り絞って聞いてみた。
「何が、見えた、のかなあ?」
「どか、土管の上からアレが、上から、覗き込んで」
「土管の上からいっぱい手が、手が迫って」
「ふ、ふーん」
何事かと振り返る大人達の中を叫びながら走る集団。この体勢とお子様の組み合わせは危険過ぎる。なんとか解放されたい!
「分かった、こうしよう。私が後ろのソレにアタックかけてどうなるか試す。何事もなければ一安心、あんた達も落ち着けるということでどうさ」
「馬鹿野郎!!」
エベリンが速度を落として遅れがちなネリの手をつかみ、並走しながら怒鳴りつけてくる。
「勇猛と蛮勇は違うって親に習わなかったのか!」
習わなかったかな、あいにくと。
「えーっと、じゃーあー!」
セバリーの家の玄関先で台所から拝借した塩をボール一杯振りかぶった。白い放物線が宙を舞う。葬式、店先、相撲の取り組み前、悪い物を清めると言えばやっぱこれでしょう。
「ってことで、どうさ!?」
振り返るとお子様達が全員猛ダッシュで逃走しだした。
「えー? 駄目ー?」
ボールをセバリーのお母さんに返して「すいません、なんか食べ物粗末にして」と頭を下げお子様達を追う。
「次ぃいいい!!」
「次の手は!?」
テスラが「はい! はい! お経を唱えるー!」と叫ぶと一斉に手を擦り合わせながら出鱈目なお経合唱が始まる。そして意外にも最年少っぽいネリがスラスラ本物っぽいお経を念じ始めた。一応参加しておくべきか。
「でもそういうの私全然知らないからなぁ。えーっと、南無南無南無南無」
唱え終わったネリが走りながら「成仏出来た!?」と後ろを確かめる。その結果「駄目だったああああああ!!」と加速。
つ、ついていけん。私は空腹で眩暈がしてきた。
「お腹も減ったしそろそろ駆けっこ休憩しない? それかさあ、魔除け、エクソシスト、陰陽師の類は頼れないの? 魔法があるくらいだしアンデット向きな術を使う神職さんとかいないわけ?」
そんな私にお子様が歯ぎしりをしてくる。
「なんでこんな状態で呑気。ここまで見えないことが羨ましいと思ったことはない」
「見えなかったら気づいた時には至近距離だぞ!」
「どっちもやあだー!」
ネリが本格的にむせび泣きだした。こっちも泣きたいよ、おチビちゃん。
そこで不意に私は周りを見回して閃いた。決まった道順じゃないから自信が無いけど、ここはもしかして。
「一つだけ魔除けになりそうなポイント知ってるから、もうそこ行こう!」
よく知ってる建物の前で息を切らせながらここ、と指差すとお子様達が扉を激しく叩き出す。私は息を吸い込んで腰に手を当てて仰け反りながら叫ぶ。
「助けてユアーン! 追われてるから早く家入れてー!」
椅子が倒れ扉に駆け寄る音がした一瞬後、扉が細く開かれて隙間から仮面が覗きウンザリとした感じの溜息を吐いてくる。
「あのさあ、その訪ね方やめてくんない? 嘘だと分かってても結構ドッキリす」
ユアンの台詞が終わらない内にお子様達が強引に扉を開け放って障害物に体当たりをかました。そして私は誰かに引っ張り込まれ、玄関の扉は三人がかりで木が割れんばかりの不吉な音を出しながら閉じられた。
「ロッカ、これはなんのつも…………」
床で潰れた蛙みたいになってるユアンがモソモソと起き上がり、玄関先のお子様達を視界に入れた。途端に座った姿勢のまま節足動物を思わせる動きで後退すると倒れた椅子を盾に裏声で罵声を飛ばす。
「なんてもの連れてきてんだー!?」
その言葉にお子様達が扉から一斉に跳んで逃げる。いや、幽霊じゃなくてあんた達のことだと思うよ。
「なんだ! いねえじゃん。ビビらせやがって」
ケトレが顔を乱暴に拭いながらユアンの方を見る。そこらで明るい表から薄暗い部屋に飛び込んだ目が慣れてきたのか、薄暗い中にボンヤリ浮かぶ白く怪しい仮面の男を視認、その途端今度は扉の方へお子様達が一斉に逃げる。
「なんてとこに連れてきてんだー!?」
お子様達からも苦情が飛び交った。
私は切れた息を整えながら椅子に座って襟元を引っ張ってパタパタ空気を入れる。
「だってここが一番魔除けになるっぽいんだもん」
頬を膨らませて顔をそらす。
「もんじゃねえよ! 都市伝説になってる仮面の不審者ん家じゃん! 確かにオバケも逃げていきそうな感じはあるけども!」
「おい、僕ん家の何処が魔除けだって言うんだ!? ……え、都市伝説?」
テーブルに置いてある冷めた珈琲をグイッと飲み干し、私は迷いなく扉の一つに手をかけて開け放つ。
「具体的に言うとココが」
ユアンをあからさまに警戒しながらお子様達が壁伝いをゾロゾロ移動して真っ暗な部屋を覗く。その辺のランプを「はい」と差し向けてやると、そこには壁いっぱいに仮面が。
「ぎゃあああああああ!!!」
そろそろ喉が限界をきたして一部咳き込む子がでる。
「お前、ここに入れってか!?」
ドン引きのお子様達。
「おい、待て、それ僕のコレクション部屋だぞ! 何勝手にガキなんて危険物を持ち込もうとしてるんだ!?」
部屋の中へどうぞと手で示すが、お子様達はしばし考えた後エベリン主導の元扉を閉じてしまった。ついでにケトレが両手で扉を左右に斬る。
「封、印!!」
あんたら……実は結構余裕あるでしょう?
椅子を持ち上げて気配を消しながらユアンが私の背後に寄って小声でまくしたててくる。
「年代を間違えた交友関係を繰り広げるのは君の勝手だが、あんな残酷な生き物をよくも僕の前に連れてきたな! 家を知られた僕は明日からはガキ共に怯える日々を送らなきゃいけなくなったぞ。面白半分で襲撃され、僕の静かな毎日はもうお終いだっ」
「幽霊騒ぎでナーバスになってるから逆に都市伝説の怪人になんか近寄らなくなると思うけど」
「ガキの適応力舐めるなよ。その内、ロッカみたいに仮面を剥ぎにかかってくるに違いないんだ。そして顔を見た連中が化け物と罵りながら僕を町から」
「来た!!」
お子様の声に顔を上げる。扉の左上から差し込む陽の光が薄暗い部屋を照らしている。
「だ、大丈夫だ。とりあえず戸締りさえしていれば奴らは腕以外はすり抜けられないんだから」
安心させようとしたエベリンの声から一拍後、その台詞を裏切るかのようにテスラが叫んだ。
「オバケ入ってきたあああ!」
ユアンが椅子を落とした。
「う、うわああああああああ!?」
お子様に混じって悲鳴を上げたユアンが私の二の腕を鷲掴みにして仮面の部屋へお子様達もろとも押し込んで扉を固く閉める。
よろよろと窓の無い仮面だらけの部屋の真ん中で身を寄せ合う。その塊で一緒に座ってる私の肩口にユアンが顔を埋めて引きつった声で問いかけてくる。
「何アレ」
「あ、ユアンにも見える感じなの? 私には見えないけど」
「幽霊ってもっとあやふやなやつだろ。なんであんなに大量なんだよ!!」
「首元で喋らないでよ! そこ弱いんだから」
パニックが発生する。
「どうして!? 今までは」
「多分ここに入った時に扉を歪めて隙間ができてたからだ!」
「完全に囲まれた!」
「扉から白い手が伸びてる! かなりの数だぞ!? この部屋全然魔除けになってない!」
ケトレめ、身も蓋もないことを。
「じゃあ魔除けって身に付けることで効果があるっていうし装着してみたら? とりあえず人の心が残ってたら、そんな怪しい相手に近づきたくないだろうし」
各々が壁に走って仮面を勝手に選んでかぶる。
だが、エベリンがここで立ち上がった。深呼吸をして私達の一番前に進み出て構える。
「くそ、こうなったら、あの時からなんとなく効きそうだからと思って修行し始めたばかりのやつを食らわせてみるしかないみたいだな」
「あ、あれをか!」
「でもそれは」
お子様達がどよめく。
なになに、やっとクライマックスしてくれんの?
エベリンは深く息を吐きながらスタイリッシュなボーズを取って、どう見ても無駄な動きで舞ってから両手を扉に向かって突き出して叫ぶ。
「闇を払う力を、光よ!!」
手首から指先までを包み込むような丸い光が瞬時に膨らみ、扉に向かって一直線に飛んでいく。
え、本当に出るの!?
エベリンから放たれた光が扉に当たると弾けて星空みたいに無数の光の粒が部屋に飛び散った。扉に変化はなく、ただ隙間風が唸る音はどんどん音量を上げていく。鼓膜に響く程に!
耳を両手で押さえる。
「何、これあの光の効果なの!?」
煩くて返事もよく聞こえない。それなのに何かの声が聞き取れる。
穴を閉じる
埋める物
次はあそこ
地震もないのに仮面が降ってきた。
「きゃああっ」
お子様達がしゃがみこんで頭を抱える。エベリンが頭を庇いながら逃げ帰ってくる。
「畜生、やっぱり効かなかったあ!!」
「怒らせてるじゃねえかっ!?」
「だから練習の時におっちゃんがポーズはもっと厳かなのにしろって言ってたのに!」
「多分そういう問題じゃねえよ!」
やっぱりあんた達、余裕あるでしょう。
そこで不意に、逃げるエベリンの後ろに落下する仮面とは違って空中で回転している物があるのに気付く。危険だと頭をよぎった瞬間、光のお返しとばかりにエベリンの後頭部めがけて回転カッターみたいな物が飛んでいく。私は間に合わなかった。
「ゲフッ!」
……私はだ。立ち上がるしか出来なかった私の横をユアンが飛び出して顔面の仮面で凶器を受け止めていた。甲高い音を立ててお互いを弾き、ユアンが倒れていく。カランカランと木の音を立てて飛んできたものが他の仮面に混じって地面に落ち、円周上に波打ちながら徐々に動かなくなった。
ノックダウン、ユアンは痙攣して蛙みたいに潰れたまま地面から起き上がらない。エベリンはユアンに押されて床に倒れてはいるが無傷だ。
私は大きく息を吸って扉に近づいた。後ろから「おい、危ないって!」と声がした。ええ、危ないでしょうとも。
「いい加減にしな!! こんなこと冗談で済まないよ!?」
外に向かって怒鳴りつけて扉を容赦無く叩きまくる。
「幽霊だかモンスターだか知らないけど、これ以上やるってんならあんた達の住み着いてる寺に火を付けて永久に安らかになれなくしてやるよ!!」
「ろ、ロッカ! 手に、手に触ってるから!」
私はブチ切れて蹴りも加える。
「こっちが何も出来ないと思ったら大間違いだ。気が触れる程の視覚の暴力を駆使して苦痛で攻めたててやる! 大体なんなわけ? 寺で見かけたごときでこっちを取り憑き殺そうってわけ? だったらこっちも死んだらハンデなんて無いんだから、あんた達その後どうなるか覚悟は出来てんだろうね!?」
大きく扉を叩いた瞬間、粘着質な水が飛び散って手と顔が濡れる。口を閉じて手を止めると隙間風が尻窄みに収まっていく。
「扉の手が」
メッツェが呟く。
「消えていく」
耳に痛かった音が全て止んでお子様達の息遣いだけが残る。扉には私の叩いた手の形がハンコみたいに無数についていた。濡れた手が粘ついて手を開くと床に泥っぽい物が滴り落ちた。
何これ。
背後でユアンの呻き声と起き上がる衣擦れの音がして振り返る。頭を振ったユアンは「きょ、強烈」と上半身を揺らしてまた床に戻った。仮面を外してお子様達が喉を鳴らし扉を見つめる。
「助かっ……た、のか?」
しばらくしてから扉を開いて、エベリンが外に何も無いのを確認してひとりひとり警戒しながら出て行く。家の外まで確認して、どうやら見当たらなかったらしく、難が去ったのか曖昧なままだがずっとこうしてるわけにもいかず解散、という形になった。
一応お子様達を家までは全員送り届けて、額に手を当て大きな溜息をついて私も今日の災難を締めくくる。
「デコ痛い」
呟いてから目の前に掌を広げて見つめた。
晩御飯が終わるとテーブルを台所の方に詰めて、ユアンが部屋の真ん中で寝袋を広げる。その隣でジャックが自分の定位置へ横になるなり不満を漏らした。
「狭い」
「僕なんて寝返りを捨ててコンパクトに収まってるんだから少しは我慢しろよ」
「ちょ、なんで台所の方に頭側持っていってのさ。こっちに足向けて寝る気!?」
「ロッカとジャックの顔が近過ぎるんだよ! そんなもん落ち着いて寝れるか!?」
「仮面の上にタオルでもかぶせときゃいいだけじゃん!」
「あ、あのさあ」
ぎゃいぎゃい騒いでいたらアーサーが声を引きつらせて質問を投げかけてくる。
「晩飯を食べていくとこまでは分かるけど、何ユアンは自然に泊まっていこうとしてんの?」
ユアンが挙動不審となる。
「た、たまには僕だって泊まったっていいだろう」
私は口元が緩むのを手で隠しきれずに意地の悪い笑いを漏らした。
「ふふふふふ、アーサー、こいつ一人で寝られないんだってさ。ぷー! オバケが怖いなんていい年しちゃって」
「あんなもん見た後はもはや年齢とか不問だろうが!?」
「怖くて眠れなさそうだったらジャックと手でも繋ぐんだね」
「そこまでは求めてない!」
アーサーは肩を落として横になりこちらに背を向けた。
「もう好きにしてくれ。俺は寝る」
という許可が出たので一切遠慮もなく言われた通り散々騒いだ後、一人また一人と眠りに落ちていく。寝床は本当に手狭で、隣の体温が感じ取れそうな気がする程で、不便だけどどこか安心するような心地がする。もうかなり昔、兄弟で並んで寝ていた時の様な…………。
翌朝、何故か私達の真ん中にアーサーが三角座りをしていた。
「アーサー、君、何してるわけ?」
ユアンが寝袋を着たまま起き上がりアーサーに声をかけると、アーサーはボンヤリとしながら乾いた声で「夜の間中、窓になんか張り付いてて、それが、人間じゃなくて、どうすればいいか分からなかったんだけど」と答えながらジャック、ユアン、私を指した。
「とにかくここが一番魔除けになるか、と思って」
アーサーがパタリと横に倒れ込む。