気づかず芽を摘む無粋者
「ロッカ!」
カーテンを開けて大きな声で飛び込んでくるジャック。私は愕然として背中を向けたまま振り返った。こっちは着替え中の上半身裸だ。
「きゃー!? 親しき中にも礼儀ありー!」
ハリセンで顔面をどついてカーテンを閉めた。
「いいかな、ジャック。私がカーテンを閉めてるのは視線を回避するためだ。着替え中に覗かれることがいかにストレスとなるか分かる? 嬉しかった時、悲しかった時、人は誰かと分かち合いたい、それは分かる。でもさ、カーテン閉めてる時は駄目なわけ。時には一人で処理すべきこともあるの。大人は行動に責任を持って周りと接っすることで初めて社会人と認められてるの。分かった? 分かったら次は唐辛子スプレーで目潰しするから無闇に私の縄張りに飛び込んでくるんじゃない。さあ分かったら分かったって言いなさい!」
「分かった……」
正座で鼻を押さえたジャックが頷く。私は目の前で唐辛子を擦りおろして水に溶いた物をスプレーの中に注ぎ入れた。
寝床からこちらを見ている土手っ腹に穴のあいたアーサーが暗い顔で口を挟む。
「あの、ロッカ君。ここに重病人もいることだし、屋内で大量に唐辛子を擦りおろされると傷に染みてきた気もするんで、そろそろ止めてはくれまいか」
ちなみに唐辛子は意外と町中で大量に自生しているのでいつもせっせと摘んで台所で重宝している。後はサトウキビとか生えててくれたら都合が良いのに。
改めまして。
「これ、俺が図案描いたやつ、ユアンが作ってくれた」
ジャックが勢いこんで突きつけてくる。受け取ると眼鏡の枠だった。最近何処かに通ってると思ったらユアンの家に遊びに行ってたらしい。眼鏡は木彫りで、縁こそシンプルだがサイドは繊細に蔦が絡み合って立体的になっている。
「ブランドで通りそうなデザインじゃん。お洒落眼鏡過ぎて会社にはつけていけないけど、プライベートには有りかも」
かけても特に問題点はみられない。小さい鏡に映してみる。
良い。
強面の天然ぼんやり青年を見上げる。
「ジャックはその辺の才能を無駄に腐らせてたか」
嬉しい? 褒めて? と言わんばかりにソワソワするジャックは感想を催促してきた。
「気に入った?」
「あー、これならレンズ込みで五万までなら出すかも」
「合格した」
嬉々としてジャックは両拳を握り小さくガッツポーズをとる。そして次々と私の前に紙を並べていき、床をパンパンと叩く。見ろってか。
目を眇めて両手をついて這いつくばるように紙を見る。順次見ていくが、どれも眼鏡のデザインみたいだ。
「どれなら俺の人相良くなる?」
上半身を起こしてのっぺらぼうを確認し、ここからだと驚きの白さを実現する紙に視線を向ける。
一つ良いだろうか? 眼鏡だけであんたの長年のコンプレックスが解消出来るとは限らないからそんな過剰な期待でいっぱいにならないでくれ。
「ジャック」
「ん」
気に入ったデザインらしきものが数枚こちらに寄せられた。
「えー……人相は分からないけど、これとかカッコ良いんじゃない? マフィアっぽくなくて」
私は視線を背けて答えた。紙を拾ったジャックは鏡の前に座ると、絵に描いた眼鏡を器用にハサミで切り抜いて顔に押し当てると自分の顔をじーっと見たまま聞いてくる。
「どう?」
「いや見えないし」
仕方なく鏡に近づいて至近距離で覗き込む。そこにはジャックの顔が映ってて当然私の顔も……。
「嘘でしょ!? シミ出来てるじゃん!!」
ジャックを押しのけて私は鏡に張り付き愕然と鼻を押さえる。いやいやいやいや、ないわ、やばいわ、涙出そう。二十代も後半、確かに子供子供詐欺には厳しい肌の曲がり具合だとは思っていた。小ジワなんていう年ではないけど肌のキメ細やかさが十代と言い張るには無理があるって。でもシミは、昨日まで私にシミはなかったのよ。
「ロッカ」
「ああ、ほらぁ、こことか、こことかも。どうしてこの短期間で急にこんなことに!? いや原因は分かってるよ。化粧水に保湿液、美容液、ボディクリームというスキンケア用品が無い上、仕事は荷運び。でも太陽の無いこの地底では紫外線なんて存在しないはずだって現実逃避してきたんだよ。でもどこかで本当は分かってた。昼間は明るく夜は暗いんだから地底にもそりゃあ類似物質はあるよねと!」
はー、この体勢辛いわ。胡座をかいてるジャックを椅子にして鏡を横取りする。鏡と向き合い毛穴が見える至近距離で自分を熱く見つめる。
「一部は乾燥してザラザラ。ありえない。毛穴だって問題デカ過ぎ。これはいよいよ馬鹿にしてたキュウリやレモンの輪切りに手を出すしかないか? 蜂蜜パック、いやしかし私に食べ物を粗末にする余裕は」
アーサーが後ろで苦笑する。
「シミって。ちょっとソバカスが出来ただけだろ。むしろ愛嬌があって良いじゃないか」
強張ったまま振り返りアーサーへ非難の目を向ける。
「いいよね、何もしなくても綺麗な奴は」
「な、なんだよ」
「事の重大さが何も分かってない」
大人しく椅子になっていたジャックが私の顔に手をかけて伊達眼鏡をかけてきた。
「ちょっと隠れる」
「ほんのちょっと目立たなくなるだけでしょうがぁ」
「見せて」
背もたれが離れて鏡を覗くジャックと目が合った。本当こいつ目付き悪いわー、と思ってたら頭に顎を乗せられて生え際の辺りに柔らかな唇の感触がした。
「ジャック」
「むー」
唇がついてることに頓着していなさそうな無表情のジャックが鏡の中から目を合わせてくる。
見下ろしたとこにデコがあったらチューしたくなる気持ちは分からなくもないけど、衝動的にそれやっていいのは小さい子にだけだから。しかもよっぽど親しい小さい子だけだから。本当あんたの中で私の年齢設定はいくつになってるんだ。お腹に回された腕に気づく。
「離しな、降りる」
片足をついてジャックの顎を上に押し上げて腕を引き剥がす。
そんな折りにアーサーの寝床の横にある窓がガタガタ鳴り始めた。アーサーが鍵を開けると窓が開き仮面が部屋に押し入ってきた。
「不審者」
ジャックが指をさす。
「玄関口でまた女連中がたむろしてたんだ! 仕方ないじゃないか。それで、何してるんだ、君達」
中へ侵入を果たしたユアンが近づいてきて私の首根っこをつかまえるとジャックから引きずりおろされた。そのまま部屋の隅にある私の陣地まで強引に連れてかれると、しゃがんだ状態で仮面に至近距離で迫られた。
「いい年して関係も持ってない男の膝に乗るのは駄目だろうっ。酒が入ってるわけでもあるまいに、もうちょっと慎みってものをもてないわけ?」
額を付き合わせながら囁き声で応酬が始まった。
「まともな指摘をされてるはずなのにその仮面を目の前にすると叩き割りたくなるのは条件反射なのか」
今しがた自分でもちょっと軽率だったと思ってただけに他人から罵られると腹が立つ。
「理不尽か! いいからもう女だって告白して健全なお付き合いに修正していけよ。もうなんだかんだで付き合いも長くなってきたんだし、アーサーとジャックも流石に女だからって忌避したりしないだろうよ。それにアーサーの周囲は性別関係なく危ないんだし、僕には性別を伏せる必要性が分かりかねるっ」
「ああ、それね。そろそろ気づいてもいい気がするのに疑問に思わないらしい周囲が一周回って楽しくなってきたもんだから、最近はもう気づくまで徹底的に子供設定遵守してやろうかなと思って」
「そんなことで女としての生活を捨てるとか馬鹿か君は。他人の変化に疎いジャックとアーサーが本気で疑問を感じ始めるのなんてせいぜい君の小じわが目立ち始める数年後なんだぞ」
仮面に手刀を叩きこんだ。
「ぎゃああああ!!?」
ユアンは顔面を押さえて床を転がりテーブルに激突、仮面がはずれて床に取り残された。
今、一番聞きたくないワードが聞こえた気がしたわ。仮面を拾って両手に力を込めて破壊を試みる。片手で顔を押さえながら腕を伸ばし「そ、それだけは止めてくれええ!!」と懇願するユアン。結構硬いから私の筋力だと割れないのよねぇ。踏んづけたら割れるのかしら。
「く、そんな態度で良いのか? せっかくロッカに良い物を作ってやったのに」
「良い物?」
さっきジャックにかけられた伊達眼鏡に手を触れる。懐かしき鼻にかかるこの重み。されど惜しいかな、分厚いレンズが入ってない分だけ非常に軽い。追加料金出して薄型軽量レンズにしたってこんなに軽くはならない。何故ならド近眼だから。
「眼鏡のレンズが遂に完成したって言ったら私はここで逆立ち前転した後にジャンピング土下座した上で靴を舐めても良いけど、伊達眼鏡の新デザインならいらないよ。私、これ気に入ったから」
「渇望し過ぎだろ!! 期待させといて悪いけど自重しろよ、君それでもオン……ッ」
ユアンが言葉に詰まり咳払いで誤魔化して、自分が入ってきた窓に向けて親指を向ける。
「ちょっとロッカ表に出て」
「別に良いけど表と言って何故窓を指す」
アーサーは黙って首を振る。諦めて受け入れるんじゃない。
なんだかんだいって良い物が気になるので素直に窓から路地裏に出る。ここはストーカー対策でアーサーが結界を張っているらしく人気が無い。家にかけてるものと同じだから玄関側には使えないんだと。路地の方も勝手に敷地内扱いしてる人払いの術だから、お巡りに不法占拠がバレたり近隣住民の苦情がくれば使えなくなる。
窓から降りるのは少し怖い。近眼にとってちょっとした高さから飛び降りるのは目を瞑って飛び降りるのに近い。少し迷って「ユアン、手を貸してよ」と手を伸ばす。面倒臭いな君は、とでも言われるかと思えば意外と素直に手をつかまれて反対の手もつかまれる。
「気をつけろよ」
「……うん」
着地して手が離される。私は無言で自分の両手を見下ろしてしまった。
「何?」
怪訝そうにユアンから問いかけられて私自身もよく分からないまま「ああ、うん別に」と答えた。
特に掘り下げられることなくアーサーのいる窓から離れて歩き出す。ちょっと好奇心で路地から玄関先を覗くと人だかりが出来ていた。何かを争って騒ぎになっている。
「あいつらに首突っ込むなよ。警察沙汰にする天才だからな、君は」
路地に引っ張り戻された。
「誰も好き好んでアーサー争奪戦に参加しにいかないわよ」
「どうだか。それより、仕事も無いし肌荒れがどうのって本気で悩んでるならちょっと来なよ」
返事も聞かずにユアンは狭くて普通通りそうにない家の隙間を縫うように先行しだす。
ユアンは自分の住処に戻ると「はい」と瓶に入った液体を手渡してきた。振ってみると液面は遅れて波立つ。粘稠性があって水ではない。
「何これ?」
「肌の手入れ用品だよ。化粧水とか保湿とかそういうの欲しかったんだろ? その辺で手に入る素材で作ったから店で売ってる高級品みたいな凄いものは入ってないけど、無いよりはマシだろ。後これリップ」
後出しで手渡され、驚いて手の中身に視線を走らせ唖然としてユアンを見上げる。
「な、なんだよ」
「恋人でも出来たの!?」
「は……はあ!? 急に何を言い出すんだよ」
「ユアンに、ユアンに限ってそんな気の利いたことをするはずが無いでしょうが!!」
「君って奴はたまにゃジャックくらい素直にありがとうと言えないのか! 可愛らしく!」
手に入れた瓶に頬ずりする。朝のジャックみたいに浮かれて笑みが零れた。
「嬉しい、ありがとう」
自分で催促しておいてユアンが動揺する。
「え? 何、気持ち悪い。どうしたわけ。お腹痛いの?」
ユアンの腹に裏拳を叩き入れる。
「グホォ!」
「たまには年齢に見合った包容力で、どういたしましてと言いながら空中三回転して着地後にカッコいいポーズの一つも決めたらどうなの」
「それやったら絶対何してんだこいつって顔してキモいって言うだろうが!? しないよ! もとい出来ないよ!」
「鏡何処?」
「ネタ振っといて無視は駄目だろが!」
鏡が見当たらないのでテーブルについて手首に試し塗りを始める。問題なさそうなのを確認して両手で顔に押し付ける。
「あああ、じんわり水分が染み込んでくるこの感じ。それで? 本当、急にどうしたのさ。そりゃ物凄くこういうのも渇望してたけど、ユアンの前で口にしたことなんてあったっけ?」
「ふん……僕自身が目について仕方なかったんだよ。肌はボロボロ、栄養は足りてない、女の癖に化粧もしてない、服装は可愛げのない三着で着回し」
「わーるかったわね、女要素激薄で」
顔がテカッてないか確かめたくて部屋を動き回って鏡を探す。
「ただでさえいい年してるくせに危機感なさ過ぎるんだよ。嫁の貰い手を見つけるのがもう絶望的過ぎて哀れで仕方ないから、暇だったのもあって作っ……何家探ししてるんだよ」
「はいはい、自分の方が問題な奴に上から目線で言われたくないわよ。そういうことは婚約者が出来てから言ってちょうだい。ねえ、この家には鏡が無いの?」
「僕は結婚なんてメリットが無いことをしたくないだけだ!」
「それ嫁の貰い手うんぬん言ってる奴の台詞としておかしいでしょ」
「女なんて……それに収入だって少ないのに共倒れになるだけだし、自分のことで口出しとかされたくないし」
「あーはいはいそう。メリット無いなら私も結婚しなくたっていいじゃない。どうせ結婚出来ない女なんでしょ。そもそも異世界で男として生きてる時点でもう結婚とか諦めてるし、お一人様どーんとこーい」
ユアンは今までの憎まれ口を閉じて、静かに意見を翻した。
「ロッカは……結婚しようと思えば普通に出来るだろ」
「相手もいないのに何を言い出すのか。ねえ鏡は」
人の質問に答えない奴ね。振り返ると何かムッとしてるらしいユアンを見て溜息が出る。
「あのね、そんなこと言ったらあんただって努力次第というか、こういうのって恋愛しようという気持ちの持ちようでしょ?」
「アーサーやジャックはともかく僕には無理なんだよ。わざわざ誰がこんな顔と一生を共にしたいと思うんだ」
こいつどんだけ結婚に夢見てんだ。
「私は別にそんなこと問題に思わないわよ」
「君は目が悪いからよく知らないだけだ」
胸がざわめく。知らないから平気なわけじゃない。私が何度ユアンの仮面を剥いでると思ってるのさ。何を知らないっての。右目の瞼は完全に無くて剥き出しだってとこ? 皮膚が溶けて口が半分裂けてるとこ? 皮膚が爛れてるってとこ? 左目の下に泣きぼくろがあるってとこ?
せっかく久しぶりに浮かれていたのに気分が一気に下降した。何か言い知れない苛立ちが湧いてくる。
「そういう言い訳出してくるなら私だって男として生活してる内に年齢も上昇していって、そういう対象にはならなくなるんじゃないの? それとも私がお嫁に行けなきゃ誰かさんが貰うって言ったりするなら断言してくれてもいいけど」
言ってから若干後悔する。私は何を言い出すんだ。
馬鹿にされる前にこの話題を終わらせよう。そう思って何か別の悪態を考えながら口を開く。
なのに、真面目な声に全て塗り潰された。
「断言ね。してもいいけど?」
「は、え!?」
何か予想外のやり取りに突入して声が裏返った。心なしか心臓が強く打つ。まさか、いやいや何これ。
変な汗が背中を伝う。
あれ? どうしてこんな話になったんだっけ。
「ロッカに嫁の貰い手がなくても」
相変わらず薄暗くて解体で出る嫌な臭いが立ち込めた部屋で、私は手を握り締めていた。
「ジャックなら年が離れてようが気にしないし、あれだけ懐いてるんだ、嫁に貰えって言えば速攻で頷くよ。むしろ女だと分かれば自発的にプロポーズしてくるかもな。最近ジャックは色々頑張ってるみたいだし将来的にも良いと思うけど」
真顔でユアンを見た。相変わらず仮面だし、どうせつけてなくも私には顔なんて見えないけどムカつく仮面を装着した男だった。
大股で近づいて仮面の上から全力でデコピンをかます。
「てえ!? って、ちょっと君ねえ! 人がせっかく有益な」
自分の顔面を片手で強く押し潰して俯いたまま捨て台詞を吐く。
「……馬鹿ですか」
そのまま貰う物は貰って即刻この家から出て行く。背後で「馬鹿とはなんだ馬鹿とはっ! これだからロッカは」と聞こえてきた。確かに今のは私が馬鹿だった。間違いなく世界一の馬鹿だった。誰が何言うと思ったの。この仮面がかい? こん畜生。
もう色々虚しくて寄生先に帰宅した瞬間、アーサーの「あ、おかえり」をかき消し、私は頭を抱えて天に向かって叫んだ。
ああ、もう!!!




