悪魔と対価
『五月五日』
有り得ないことに、驚くことに、悪魔が実在していた。
何よりも黒く、影のような存在であった。人の形をとってはいたが、全体が黒い染みのようなもので、生きているモノとは思えなかった。
だが、それこそが悪魔であった。
当然だが、人間ではない。人間ならば、壁を自由にすり抜け、部屋を行き来することなど不可能。
驚くことに、悪魔は黒い染みのくせに人の言葉を話す。どこから声が出ているのかは分からないが、確かに私と悪魔は『会話』をしたのだ。
そうして、私は物語にでもあるように悪魔と契約を交わした。
確かに人の形をしただけのソレと会話をすることは、恐怖でしかなかった。
しかし、いやに友好的な悪魔は私の言葉を真摯に受け止め、親切にも細かな忠告をした上で契約をした。
そう。今日、私は全てを手に入れたのだ。
『四月四日』
最近ふと思うのだが、何かを忘れているような気がする。だけども、悪魔に願ったことは確かに叶っている。
全てを手に入れた私の心は幸せである。
今の幸せがずっと続くと思うと恐ろしい。だが、その恐怖もすぐに多幸感に包まれて薄れて、どうでも良いと思えるほどだ。
日記を見返して見る限り、私は悪魔に、影に対価を支払っているはずだが、それが何なのか思い出せない。
私が思い出そうとしているのは、忘れていると強く思うのは、このことなのだろうか?
まあいい。何を忘れていようと私が幸せであることには変わりなく、悪魔には感謝してもしきれない。
『三月三日』
私は幸せです。毎日、毎日、幸せな気持ちで、毎日幸せな気持ちです。
どうして私はこんなに幸せなのでしょうか? 私だけこんなに幸せなのでしょうか?
そうじゃないなら、私はみんなに、この幸せを分けてあげたいです。どうやったら、みんな幸せになってくれるのでしょうか?
そういえば、何かを忘れているような気がします。気のせいでしょうか?
気のせいだと思います。こんなに幸せなのだから、私は何も忘れてはいません。
だって、大事なことを忘れていたら幸せにはなれないって、だれかが言ってましたから。
「ニがつ二にち」
幸せです。
わたしはとても幸せです。
おとといも、昨日も、今日も、同じ幸せです。
きっと、明日もあさっても、しあさっても、ずっと幸せなんだとおもいます。
こうやって日きを書いていても、幸せでわらってしまいます。
今日は、ずっと前の日付の日きをよんでみました。
いみがよくわかりませんでした。
でも、幸せだって日きには書いてありました。
まい日幸せだって書いてありました。
きっと、わたしじゃないだれかが日きを書いて、幸せを分けてあげようとしていたんだとおもいます。
その人はやさしい人なんだとおもいました。
「いちつきいちにち」
きょうもわたしはしあわせです たくさんたくさんしあわせで わたしはしあわせです
しあわせでとてもうれしいです しらないひとにしあわせそうだね といわれてわたしはとてもしあわせです
きょうもわたしはしあわせです たくさんたくさんしあわせで わたしはしあわせです
しあわせでとてもうれしいです しらないひとにしあわせそうだね といわれてわたしはとてもしあわせです
きょうもわたしはしあわせです たくさんたくさんしあわせで わたしはしあわせです
しあわせでとてもうれしいです しらないひとにしあわせそうだね といわれてわたしはとてもしあわせです
きょうもわたしはしあわせです たくさんたくさんしあわせで…………
最早童話でなく、ただの山なし落ちなし意味なしの、怖い話になりそこなったような何かです。
しかも、やはり良くある展開です、ハイ。
何かを期待してしまって目を通した方…
有難うございます。