姉と魔女
昔々あるところに、大きな国が二つありました。
キャリアとユベンストという国でした。その二つの国はとても仲が悪く、年がら年中、互いを潰そうと戦争をしていました。
そんな国の一つ、キャリアと呼ばれた国の、そこだけは静寂に包まれた一室でのこと。
赤黒い髪を短く切った少年が、静かに本を読んでいる時でした。
「ただいま、アレク!」
軽快な声と共に、赤いドレスをまとった女性が楽しそうに部屋へ入ってきました。
彼女の姿を認めた途端、少年は顔を引きつらせます。
けれど、そんな彼とどこか似通った面立ちをした女性は気付くことなく、その赤黒い長髪をなびかせて近づいていきます。
「ねえ、さん。お帰り」
「ああアレク! 寂しくなかった?」
「だ、大丈夫、だよ」
あからさまに身体を引く弟を気にすることなく、彼女はただただ、その顔を心配そうに見つめています。
そして、彼が顔を小さく頷かせた途端、表情が晴れて満面の笑みになります。
「ごめんなさい、アレク。敵を殲滅するのに時間がかかって、遅れてしまったわ」
「い、いいよ! ところで姉さん。怪我は、ない?」
「ええ! アレクったら、なんて優しいのかしら! こんな私を思ってくれるだなんて!」
ところどころ、生地の色よりなお赤黒い体液を張り付かせたドレスを、彼女は嬉しそうにその身ごと抱きしめました。
問いかけた、弟の真意に気付くことはありません。
姉でもあり、キャリア随一の魔法師でもあるカタリナ。彼女は放たれた言葉を額面どおり受け取り、弟の優しさに胸を打たれていました。
『キャリアの戦姫』『キャリアの魔女』
両国での、彼女の呼び名でした。
今は誰一人として、彼女の名前を口にしません。
実の父親や、弟でさえ。
日増しに激しくなっていく、二国間の戦い。
それぞれがそれぞれの理想の未来を抱いて、それを誰かに託して死んでいきます。
怒号や歓声、金属音などが響き渡る平原のこと。その中でも特に屍が密集した一角に、彼女は立っていました。
「アレク、アレク! 貴方に近づく人間は、全て排除しないと!」
死体の山を築く女性が、そこにはいました。
周囲でどす黒く燃える炎と同色の髪が、生暖かく腐臭漂う風に煽られてそれは綺麗に舞い上がります。
「ま、じょ、め!」
「汚い手。アレクに見せないで頂戴」
聞こえてきた微かな、死に掛けた声に容赦なく、魔女は魔法を放ちました。
止めを刺すには十二分の威力を持った炎を受けて、小さな小さな断末魔と共に、彼の腕が吹き飛びました。身体は黒く、炭になりました。
理想を抱いて死へ落ちた屍がまた一つ、増えます。
「早くアレクに会いたいわ」
炭となってしまった哀れな死体が着ていた鎧、それが自国のものであると、彼女は理解しているのでしょうか?
魔女と呼ばれた女性は、死肉に塗れた平原をうっとりと見つめて夢心地で呟きます。
「今日も沢山殺したわ。ああアレク、私を褒めてくれるかしら?」
その日、その数分後のことです。
彼女の暴走を止めようとした兵士が数人、理想のための犠牲となりました。
戦争は、まだ続きます。
完全に調和が崩れた戦争が続く、ある日のこと。
「王様! あの魔女を殺すべきです!」
「ああ、分かっている。分かっているが」
立派な格好をした王様は困り果てて、目をつむります。
戦争と言っても誰に誰が殺されているのか、全て知っている城内の人間たちは皆、疲労に心身ともにやつれた王様を一心に見上げていました。
「王様! 今更アレに同情するのですか! アレは最早敵味方関係なく、視界内に入った人間全てを手にかけているのですよ!」
赤黒い髪に、時折白いものが混じった王様です。
苦しそうな表情を浮かべた王様の口が、ゆっくりと開かれました。
「違う。違うのだ。最早殺すしかないことは理解している」
「では、何を躊躇って」
「だがな」
周囲のすがるような視線に、王様は首を振って、目を弱弱しく開きました。
「アレを殺すことが出来る人間など、我が国におるのか?」
その言葉に、そこに含まれる寂寥を感じて、周囲の偉い人たちは皆一様に口を閉ざしました。
誰もが分かっていました。
魔女を殺す方法は一つしかないと。
「お帰り、姉さん」
「ただいまアレク! まあ、貴方は体が弱いのだから、寝てないと」
静寂に満ちた一室に、軽快な声が響きます。
病弱な弟を労わりつつも、普段より豪奢な衣装を着込んだ彼を見て、魔女は微笑みを向けます。
「アレク、とっても似合っているわ」
「う、ん」
「どうしたの、アレク? 私、何か良くないことをしたのかしら?」
生返事に、魔女の秀麗な顔が翳ります。
ですが弟は首を振り、魔女と似た顔を無理矢理、笑みの形にしました。
「姉さん」
「なあに、アレク?」
笑み形をした目。その端から零れ落ちるのは透明な雫です。
彼女はそれに気づきません。弟の言葉を待つ、笑顔を浮かべていました。
「姉さん、姉さん」
「ええ、どうしたの? アレク」
「ごめんなさい!」
謝罪と共に、えいっ、と弟は魔女へと突撃しました。その小さな手に握り締められていたナイフが、勢いを付けて魔女へと迫ります。
銀色に輝く凶器を視認して、魔女の表情が切り替わりました。
微笑から、怒りへと。それはもう、綺麗に替わりました。
「うわぁっ!」
即座に業火の帯が現れました。それは弟へと、実の弟へと一辺の容赦なく襲い掛かります。
圧倒的な熱と、風が部屋の全てを巻き上げ始めます。
「お前アレクを騙ったのっ? なんてことをっ!」
「ねえさ」
「黙りなさい!」
怒りの表情で、魔女は炎を操って弟だったモノへと叩きつけます。
それは人体を軽く炭化させて、部屋の全てを同色に染め上げます。
「死になさい! 私のアレクはどこっ! 言いなさい!」
「ねえ、さ?」
弟は健気にも手のひらを魔女へと伸ばします。熱で溶けたナイフの柄が、その小さな手のひらに接着したまま離れようとしません。
熱風で浮かぶ赤黒い長髪を前に、弟は力尽きました。
一方、魔女のその目は、誰も映してはいませんでした。
「誰? 私のアレクを隠したのは誰っ!」
主の意志を受けて四方八方へと、炎が舞い踊ります。
異常に気付いた兵士や侍女たちが部屋へ突入しても、有無を言わさず炎の塊を受けて、すぐに炭に、灰になります。
そこに理想も何もありません。ただ、燃え尽きるだけでした。
「ああ、アレク、アレク、貴方はどこにいるの?」
すすり泣きと共に、悲劇の魔女は弟を探して隅から隅まで、城を燃やし尽くしました。
数日後のことです。
戦争をしていたキャリア、ユベンスト、両方の国が落ちたという一報が周辺各国へと広まりました。
それをやってのけたのは、ただ一人の魔女。
神の力を借りた、悪魔の魔女。
誰かの名前を呟きながら、目に付くもの全てを燃やし尽くした魔女。
各国はその実力を恐れ、自国へ禍が降りかからないように、と四方へと探索の手を伸ばしました。
ですが。
その魔女の行方を知ることは、出来ませんでした。
おしまい。
今回はそれなりにファンタジーらしさを出してみました。漢字も多用しましたが、改行も多用しました。
また、よくある展開で締めてみましたが、いかがでしたでしょうか?
相変わらずの描写不足は、童話だからと多目に見ていただけると有り難いです。