浮き世の沙汰も顔次第
灰色の空の下。
淡い桜絨毯の上を、
白い顔の少女は青いため息をつきながら歩いていた。
彼女は田中昭子。十五才。
三編みに眼鏡、眼鏡の奥には淡白な一重。
少し太めで微妙に短い体躯。
地味で垢抜けない……昭和の香りがする少女である。
昭子は立ち止まり、手首にある傷をそっと見る。
「高校では鉛筆で刺されることはないといいな……。」
彼女は小さく呟くと、地球の重力に逆らってまた歩き出した。
――新学期の賑やかな教室で。
昭子はクラスメイト達の奏でる弾けるような明るい音をぼうっと聞き、
少し塗料の剥げた携帯を弄っていた。
スマホではない。ガラケーである。昭子が欠伸をしようが、
携帯を見ながらニヤニヤしようが、
何時までも続く少年少女達の生き生きとした言霊の調べ。
それ断ちきろうと、一人の中年女性は扉を勢いよく開けた。
なりやまない言葉の嵐の中。
彼女はカツカツと教壇へ向かう。
そして冬の空気のような声を大音量で発した。
「なぜ、貴女達はこの高校へ来てしまったのですか。
偏差値四十の、この高校へ。
浮かれている場合ではありません。
己を恥じるべきです。」
教室は、無音声映画になる。
昭子は携帯の電源を切り、ブレザーのポケットにしまった。
中年の女性教師は眼鏡をくいっと上げ、再び口を開いた。
「私は佐藤アリス。三十六歳。独身。貴女達の担任です。よろしく。」
佐藤は中肉中背、可愛い名前に似合わない昔懐かしい昭和な顔立ちである。
前から二番目の席の華やかな少女は。
黒いビー玉のような大きな目を細め、
茶色の髪をふわふわ揺らして笑い出す。
佐藤はその少女をまっすぐに見据える。
「母が名前だけでも可愛らしくという願いを込めた名前です。
笑わないで頂きたいのですが。」
「すみませんでした。」
素直に頭を下げる少女を見て、満足そうに佐藤は微笑む。
そしてすぐ皆に視線を移した。
「自己紹介を一人三十秒でお願いします。
趣味や得意科目とかざっくりでいいです。
出席番号四十番の和田さんから。」
ショートカットの勝ち気そうな目の少女は、
少し尖った声を発した。
「え。普通は一番からじゃないですか?」
佐藤は口の端を上げてニヤリと笑う。
「出来ないなら最後でもいいけど。」
和田は舌うちすると立ち上がり、覇気のある声を発した。
「和田春子です。
趣味はバスケットボールで、得意科目は体育です。
よろしくお願いします。」
……その後次々と生徒が自己紹介をし、
ついに昭子の出番が来た。
彼女は額に汗を光らせ、上ずった声で話し出す。
「た、田中昭子です。趣味は……読書で……得意な科目は……。」
昭子は下を向き、小さな声でぼそぼそと答えた。
「特に……ないです。
……よろしくお願いします。」
彼女は席に座ると、ため息を吐いて俯いた。
佐藤は、そんな彼女を舐め回すように見つめ、
出席簿の昭子の名前に赤ペンで○をつける。
「ありがとうございました。次。高橋さん。」
先程佐藤を笑った茶髪の少女はスッと立ち上がる。
そして可愛らしい薄紅色の口を開いた。
「高橋麻里奈です。
趣味はお菓子作りで、得意科目は英語と家庭科です。よろしくお願いします。」
色白で小柄、華やかに整った顔立ち。
少し高く可愛らしい声。
おとぎの国から来たお姫様のような、光り輝くオーラを彼女は放つ。
教室の中の生徒……特に男子生徒は恍惚の眼差しで彼女を見つめた。
「はい。ありがとうございました。」
佐藤は頷くと、舞台女優のようなハッキリとした声を発した。
「これから体育館で始業式です。廊下へ出て出席番号順に並んで下さい。」
――体育館へ着いた昭子達は、一礼すると椅子に座った。
昭子は左右をちらりとみる。隣の男子生徒と目が合った。
男子生徒は舌打ちする。
昭子は顔を強ばらせて、
下を向いた。
そして、ハンカチで額と鼻の下をそっと押さえる。
「田中さん。よろしくね。」
昭子は、男子生徒から反対側から聞こえた少し高くて可愛い声に顔をあげた。
そしてはにかみながら小さくうなずく。
「こ、こちらこそ……。」
「うん。……そういえぱ、田中さんって、うちのおじいちゃんに似てる。」
「えっ?」
「私のおじいちゃんはね、弁護士だったんだよ。」
顔をひきつらせる昭子に気づかず。
小声で一方的に自分の祖父の話をし続ける真里奈。
そして頬を赤らめ、満里奈をチラチラ見詰める男子。
昭子は腐ったパンに挟まれたシーチキンのような気分になった。
(ジョルジュ・ド・サンド……。)
「そこ! 私語はやめなさい!」
苦し気に固まる昭子へ、
中年男性教諭の鋭い眼差しが刺さる。
「す……すみま……せん。」
ぼそぼそと謝る昭子の声に、高橋の可愛らしい声が重なった。
「すみませんでした!」
中年男性教諭は目尻を下げる。気をつけなさい、と一言言うと、教師行列へ帰った。
高橋は昭子を軽くつつき、両手を合わせてぴょこっと頭を下げる。
いちいち動作も愛らしい彼女。
昭子はひきつり笑いをしつつも、小さな声でいいよ。と呟いた。
――始業式やホームルームが終わり。
教室の中では賑やかにグループ作りが行われていた。
「へぇ……中原中学校出身なんだー!」
「おう。それにしてもあのクソババアムカつく。あんなブスが担任かよ。ありえねーな!」
圏外の昭子は慌ててリュックに荷物を入れ、
逃げるように教室を出ようとした。
「あっ、田中さん。バイバイ!」
「う、うん。」
美少女アイドルユニットの中の麻理奈の声に、
青いリュックを背負った昭子は微笑む。
そして男子生徒が張り付いていない方のドアを走り出た。
……その時だった。
「田中さん。用事がなければ視聴各室に来て。」
そうっと振り返った昭子の目に、腕を組んだ担任の佐藤が映る。
「は……はい。」
昭子がちいさく返事をすると、
佐藤は踵を返し、カツカツ歩き出す。
その背中が見えなくなると、昭子は小さく呟いた。
「もう、帰りたい……。」
消えそうな蛍光灯のように元気のない顔で、
昭子はゆっくり歩き出した。
視聴覚室には、先客が数名居た。
昭子は、キョロキョロ部屋を見回すと隅っこの席にそっと座る。
そんな彼女の頭上へ、遠慮がちな声が降ってくる。
「……佐藤先生に呼ばれたの?」
昭子は体をビクつかせながら、小さく頷く。
「は、はいそうです。」
とても背の高い猫背の少女は、小さく手を振る。
「あ……タメ語でいいよ。私も一年生なんだ。」
昭子は少女の名札をみる。『今田曜子』という文字列の下に、
昭子と同じ緑の線が横一列に走っていた。
「あ……わたしは、田中。よ、よろしくね。」
「私は今田曜子。こちらこそよろしくね。……隣、いいかな?」
昭子は大きく二回頷く。曜子はゆったりと椅子へ腰掛けると、首を捻った。
「それにしても、何で私達は呼ばれたのかな……。」
「さあ……。」
唸る二人の周りに他の少女も集まるが、
答えは出ない。
そうしている間に解答時間はあっという間に終了した。
呼び出した張本人の佐藤が、ピンク色のクリアファイルを持って教室へ入って来たのだ。
「はい。では出席を取ります。……田中昭子さん。」
「はい。」
「今田曜子さん。」
「はい。」
「鈴木梨々香さん。」
昭子よりもボリュームのある少女は、元気よく手を上げる。
「はいっ!」
「中村峰子さん。」
かなり細身で落ち窪んだ目の少女はギスギスした動きで手を上げる。
「ハイ。」
「山田和泉さん。」
暗い眼差しに魚の骨の髪飾りの少女は、やる気なさげに手を上げる。
「はい。」
「これで全員ね。……私が貴方達を読んだのは……。」
五人の少女は息を飲む。
「貴方たちがちょっとブスだからです。
ブスの先輩として、今日から貴方達を鍛えてあげます。
宜しく!」
少女たちは、口を開けたまま、氷の彫像のように固まった。
0たし、エリーゼ・アドリアーノ!天才魔同士!魔王を倒しに来たんだけど出張中な事が多くてマジやってらんない★
でも、時々庭を履いている四天王、ジェネリックくんにひとめぼれ↑どぉしたらいいのぉ↓
「どうしようもないですね。」
上からの冷たい言霊に、山田和泉は体をびくっとさせた。
左手のペンを机にカツンと取り落とす。
彼女はそっと声元を見上げた。
佐藤が冷えた眼差しで腕組みをしている。
「小説らしき其の文字列。
日本語として色々可笑しい。
授業をちゃんと聞くなら、後で添削してあげる。」
周囲の乾いた笑いが、和泉にまとわりつく。
和泉は踵を返して歩き出した佐藤の背中を目でメッタ刺しにした。
そして、二週間前の事を思い出していた。
――ブス宣告を受け、黙って下を向く少女五人。
佐藤は、冷徹に続けた。
「今まで差別を受けたことはありませんか?
貴方達は外見にハンデを背負っているのです。
お洒落も勉強も人間関係も努力しないと人並みの幸せなんて得られません。」
鈴木梨々香は、まん丸の頬を流れる汗をブランド物の絹のハンカチで拭いながら反論した。
「うちのお母さんは、人間を見た目で判断するなって言ってました!」
佐藤は梨々香を見つめ。
一瞬懐かしさと苦々しさの混じった顔になる。
しかし、また無表情に無慈悲に続ける。
「確かにそうあるべきです。でもやはり第一印象は大きい。
貴方はパンチパーマで目付きの鋭いアロハシャツのオッサンと、
スーツ姿の穏やかそうな紳士なら、どちらに道を聞く?」
梨々香は目が泳いだが。小さい声で答えた。
「……スーツの人です。」
佐藤は頷き、残りの四人に視線を移す。
「他に意見のある方。」
今田曜子は長い腕を上げ、眉を少し吊り上げつつも、穏やかに口を開いた。
「面と向かって言わなくても……とは思いますが、
ブスだっていうのはわかってます。
でも……どうせお洒落したって
『ブスが調子こくな』とか『デカ女は只でさえ邪魔なんだから小さくなってろ』って言われます。」
佐藤はふむ、と小さく頷く。
「背が凄く高い人よりは小柄な人の方がもてるのも確か。
でも背は縮められない。
自己表現の為のキャンパスが大きいと思いなさい。
それに、ブスだからこそ、これ以上見苦しくないように、身形を整えないといけません。」
顔中に疑問符を浮かべて首を傾げる曜子。曜子が席に着いたと同時に。
山田和泉は立ち上がった。「黙れクソババアエラソウに死ね!」
「……むかつくけど死ねは言い過ぎだよ!」
「そうだよ。」
「私も腹立たしいけど、死ねって言葉はそう簡単に使わないで欲しい。」
梨々香、曜子、峰子は彼女をたしなめるが。
和泉は三人を睨んだ。
「わかってるけど他人に言われたくないんだよ! もうやだ!」
彼女の纏う空気は雹から霙になり。足元に雫を落とす。
昭子はそんな彼女にそっとティッシュと小さなビニール袋を渡した。
「グーテンターク……。」和泉は頭を軽く下げ、教室の隅っこへ走って鼻をかんだ。
「山田さんにはまた後で話をするとして。田中さん。貴方の意見は?」
昭子は一瞬動きが停止したが。
下を向いて掠れた声で言った。
「……先生の仰る通りだと思います……。ただ……。」
「ただ?」
「先生は未だに独身ですよね……。努力しても……。」
梨々香、曜子、峰子は思わず驚きの声をあげる。
佐藤は口の片端を上げてニヤリと笑った。
「いい突っ込みですね。
……私はね。普通の人と普通に出会って普通に結婚するのが夢だった。
だけどそれは出来なかった。私は普通の水準に達する女では無かったから。
地味な容姿だからだけじゃない。
性格もひねくれていて普通じゃないしね。
おまけにもう、三十六。」
ため息をつく佐藤。
梨々香は思わず前に歩み出て、佐藤の肩を励ますように叩いた。
「でっ、でも今は晩婚の人もいるし!」
佐藤は梨々香に優しく微笑む。
「ありがとう。
でも私はまだ諦めたわけではありません。結婚相談所にも入会しましたし、ギャルゲーと乙女……婦人ゲーも購入しました」
「ふ、ふじんげー??」
ざわめく四人。少しして和泉が戻ってくると、佐藤は五人をぐるっと見回した。
「人生で一番必要なものは体力です。運動部に入りなさいと言いたい所ですが。
皆さん運動神経が悪いようですね。
中学校の内申書を拝見しました。明日から美人ランニング開始です。」
山田峰子は、古くなった公園の遊具のように。ギスギスと関節を動かして手を上げる。
「……私は体が弱くて……。」
「失礼しました。
内申書にそうありましたね。では貴方は徒歩で構いません。
明日朝八時、学校近くの中原公園集合。今日はこれにて解散!」
――回想を終えた和泉は。千枚通しのようにボールペンを持ち、ギリギリとノートに押し付けた。クソババア……アタシは絶対お前を倒す…でも一人じゃむ……あっ。頭の回路に電流が走った和泉は、万年筆でさらさらと『打倒佐藤三か年計画』と記し。ニートな脳に鞭打って構想を練った。……とりあえず、こないだブス集会で出会ったみんなと談合しなくちゃ……。血判状も書かないと。そう決意した和泉は、昼休みにメール(昭子がダーウィン携帯のため)を雄叫びを上げながら撃ち抜いた。
――その日夕方。和泉達はゲームセンターに居た。
血判状はさすがに嫌だと言われ。ゲームセンターでプリクラを撮って代用しようと言われたのである。
「昭子ちゃん、そこじゃ映らないよ。私は背が高いから前に来ても大丈夫だから。こっちきて」
「う、うん……」
曜子は少し離れてぽつんとしていた昭子の手を軽く引いて自分の前に立たせ。てきぱきと写真用の陣形を整える。人当りの良い彼女は皆を下の名前で呼び、皆もついつられてお互いの名前で呼ぶようになっていた。和やかに五人はプリクラを撮ると、梨々花は休憩コーナーに行こうと言い出した。
「お母さんとクッキー焼いたんだ!」
「ご、ごめん私ちょっと用事が……」
割り勘にしたプリクラ代を払うと、何かに追い立てられるように昭子はリュックを背負って走り去る。消えた彼女を見て。峰子はぽつりとつぶやいた
「昭子ちゃんは重いものを背負ってる……」