僕と彼女の心理テストな午後
「あなたは、今目の前で人が倒れたらどうしますか?」
「は?」
突然の問いかけに面喰って振り返ると、一冊の本を手にした彼女がフローリングの床の上をごろごろと転がっていた。
「なんだよその、小学生の作文の冒頭みたいな」
「心理テストだよ心理テスト。たまにはいいでしょ新鮮で」
「なぞなぞはもういいの?」
「これからは心理テストブームだぞー」
楽しそうに言う彼女に、そりゃまた面倒くさいブームが到来したなあと辟易してため息をつく。
まあでも、なぞなぞよりはましだろう。一体何冊のなぞなぞ本を消費したのかわからないくらい一週間毎日出題されて答えをせがまれるのはなかなか精神的にくるものがあったし。おかげでなにごとに関してもひねくれたものの見方をするのが癖になってきてしまった。
「で、どうするの? もし目の前で人が倒れたら」
「無視」
「うわー薄情」
いやまあ、冗談なんだけど。
蝉の声が日に日に減り始めた9月半ばの、西日がまぶしいとある午後。
高層マンションの一室で、僕と彼女は今日も怠惰な一日を過ごす。
毎日毎日、起きるのは大抵正午を過ぎてから。特にすることもない僕らは、だらだら床に転がったりぼーっとテレビを鑑賞したりオセロやらトランプやらの娯楽に熱中したり、ダメ人間の典型みたいな生活を絶賛営み中である。
まだ9月だというのに部屋の中心にはこたつが置いてあって、その上には季節はずれのみかんの皮やら本のカバーやら彼女のリップクリームやらコンビニのレシートやらが乱雑に散らかっている。掃除しなきゃなあなんて頭の隅でぼんやりと思いながら、じゃがいもの皮をピーラーでむいていく。
デニムのホットパンツに薄黄色のキャミソール一枚という薄手な格好をした彼女は、無造作に伸びた長い黒髪を床にまき散らしてまだ床に転がったままだ。投げ出された細い手足の白さがとてもまぶしい。
「とりあえず声かけて生きてるのか死んでるのか確認するんじゃないかな」
「君も大概つまらない人間だねえ」
ものすごいナチュラルに罵倒された。なにやら個性的な返答を望んていたらしい。口をつぐむ僕に、彼女はちょっぴり得意げに微笑みながら、立てた人差し指をメトロノームみたいにして左右に揺らす。
「わたしならまず救急車を呼ぶよ」
「お前も大概つまらない人間だな」
「ふあー」
ねむいのかあくびをひとつこぼして、目尻にたまった涙をごしごしとぬぐう。今日は珍しく10時に起きたから、まだ寝足りないのかもしれない。
「で、この心理テストからなにがわかるの?」
僕が尋ねると「んー」彼女はだるそうにぱらぱらとページをめくり始める。
「あなたが死んだあと、一番最初になにをされるかがわかります」
「そりゃまた随分縁起の悪い心理テストだこと」
というかその心理テスト、心理のテストじゃない気がするんだけど。死後どうされるかなんて自分の意思に関わらないし。
「君は声をかけられて生きてるのか死んでるのか確認されるし、わたしは救急車を呼ばれちゃうんだね」
心底どうでもよさそうな適当な物言いで言ってから「あーもーつまんなーい」ばーんと本を投げ出して床の上で大の字を書く。
僕と一緒に暮らし始めてからというもの、どうやら彼女はいつもいつも暇を持て余しているらしかった。まあそうだろうな、家事全般を僕に押し付けてるわけだし。
いやあそれにしても年頃の女の子が自分の下着を歳の近い男に洗濯させることに抵抗を抱かないのは少しどうかと思うんだけど。というか僕が気まずいからやめてほしい。
「ねーかまってかまってー」
「じゃあ夕飯作るの手伝って」
「やだー」
ずっとこの調子なのだ。初めは当番制を訴えてきた僕も、最近ではすっかり諦めておとなしく主夫の道を極め始めている。
「暇ならなんかゲームでも買ってくれば?」
「そんな金はないのだ」
脚をばたばたさせながら、はーとため息をついた。
「あーあー一億円くらい手に入んないかなー」
大層なことを呟いて、くるりとうつぶせになり、床に頬杖をつく。
「ねー一億円ちょーだーい」
「…………」
無視。
「ゲームくらい僕が買ってきてあげるよ」
「だめ」
間髪入れずに却下されてしまった。彼女はくすくす笑いながら、くりくりとした大きな瞳を挑発的に僕に向ける。
「君はここから出ちゃだめなんだよ」
口元に浮かぶ愉悦。
「……あっそ」
まあ、もとより許可されるとは思ってなかったけど。
前より嫌悪感を抱かなくなったあたり、僕も彼女の過度な束縛に対して徐々に慣れつつあるらしい。うーん、なんというか、僕もだんだん道を違えてきてしまっているみたいだな。
「心理テストふたつめー。あなたは今公園にいます。すると猫がやってきました。いったい何匹でしょうか」
「三匹」
「ふーん、ほー、へー」
ページをめくりながら、意味ありげに彼女がにやにや笑う。
「はいじゃあ心理テストみっつめー」
「えっ、なに結果教えてくれないのもしかして」
「バケツに水が入っています。どのくらい入っていますか?」
僕の言葉は完全スルーだ。仕方ないのでじゃがいもの皮をむきながら適当に答える。
「半分くらい」
「へー、ほー、ふーん。じゃあよっつめねー」
「いやあの、だから結果」
「ルビーの味は?」
「甘い」
「はいじゃあいつつめー」
「一体僕の心理は何回テストされなきゃいけないわけ」
結果を教えてもらえないまま20近い心理テストを受けさせられ、ようやく飽きてくれたのか彼女が無言になった。
やっとじゃがいもの皮をむき終え、ざくざくと切っていく。切りながら、そういえばまだなにを作るか決めていなかったことを思い出して、相変わらず床に転がったまま本を読んでいる彼女に声をかけた。
「肉じゃがとカレーだったらどっちがいい?」
「なあにそれ、心理テスト?」
「うんもう心理テストから一回離れようか」
えー、と不満げな声を漏らしながら、むくりと起きあがった。そのまま立ち上がって、ぴょこぴょこ飛び跳ねながらキッチンに立つ僕の隣にやってくる。
「これ、たべてみていい?」
と言って指差したのはまだ調理していないたまねぎで、面白半分で僕が承諾すると彼女は嬉しそうに口元を綻ばせる。
「いただきまーす」
目をきらきら輝かせながら手を伸ばしてたまねぎをつまみ、口に放り込んだ。
……あ、ほんとに食べるんだ。
「にが!」
目をぎゅっとつぶって真っ赤な舌を突きだす。そりゃ苦いだろうなあ生だし。もしかしてこいつ生のたまねぎ食べたことなかったのか?
「……まずい」
「熱くわえると甘くなるんだよ」
「うえー」
嫌そうな声を上げながら食器棚のコップを取って、水道の水を注ぐ。ごくごくと一気に飲み干して、思いきり息を吐き出した。
「カレーがいいかな」
「えっ、あ、うん」
突然すぎて一瞬なんの話かわからなかった。そういや献立の選択権を彼女に委ねたんだっけ。
「でもルーなんてあったっけ」
「少しなら残ってるよ」
「ふうん」
心底興味なさそうに小さくうなずいて「近々買い出しに行かなきゃね」彼女がひとりごとのようにぽつりと呟いた。
当然僕はその買い出しに参加できないんだろうなあと思いながら、もくもくとにんじんを切る。
「ついでにいろんななぞなぞ本も仕入れてくるかなー」
「やめてくださいお願いします」
これ以上僕をひねくれ人間にしないでください。ていうか金ないんじゃなかったのかよ。
「いいじゃんなぞなぞたのしいんだからー」
ふわふわ笑いながら、彼女が後ろからその細い腕を僕の腰にからみつけてきた。
「…………」
肩の上に彼女があごをのっけているせいで僕はうかつに顔を動かすことができない。くすくすという微かな笑い声で耳元がこそばゆくて、少しだけ身をよじる。
「……あのさあ」
「なーにー」
「過度なスキンシップは良くないと思うんだよね」
言いながら僕の腰に絡みついている腕を引きはがすと「んー?」彼女は僕の言葉にわざとらしく、不思議そうな声を漏らす。
「もしかして、わたしに愛着でも湧いてきちゃったの?」
ひょこんと横から僕の顔を覗き込んできた。なにも答えない僕をじっと見つめて、にやりと口端をつりあげる。
「ストックホルム症候群ってほんとにあるんだね」
「……んなわけないだろ誘拐犯」
ため息をつきながら切り終えた野菜を鍋に投入する。
「そうかなー。その包丁をわたしに向けてこないのは、つまりそういうことだと思うけど」
物騒な事を言いながら、彼女は機嫌がよさそうに僕の周りをぴょこぴょこ飛び跳ねていて、正直邪魔だからさっきみたいに床に転がっててくれないかなあとぼんやり思う。
「僕がここに来てから何日経った?」
「んー、2か月くらいじゃない?」
「僕はいつ解放されるの?」
「身代金が振り込まれたらかなー」
「もし、振り込まれなかったら」
「ふふ」
彼女の口元からもれる妖しい含み笑い。
「その時は、わたしが責任もって君に“声をかけて生きてるのか死んでるのか確認”してあげるから、安心してね」
にこやかに言う彼女の言葉に、さっきまで彼女に抱きつかれていた背中がひんやりとつめたくなった。
……いやだなあ、こういう寒さは真夏の怪談話のときだけ味わいたいのに。
「そうそう、それとね」
僕の耳にかかった髪を、彼女がその細い指でかきあげる。
鼻をくすぐる甘い香り。
彼女の冷たい唇が耳に触れて、ぞわりと鳥肌が立つ。
「猫の数はきみが刺される回数、水の量はきみが出す赤の量、ルビーの味はきみの味」
「…………」
「期限まであと一か月だね」
恍惚を帯びた声に、僕はひどい頭痛を覚える。顔をしかめてこめかみを抑える僕を見て、彼女は心底楽しそうにうれしそうに唇をゆがめながら、僕の顔を意地悪く覗き込んだ。
「さて、きみの命は一億円に見合うのかな?」