揺
館内は暗く、明かりが必要だった。
「…こっちだ」
降ってきた声に仰ぐと、正面にある階段の踊り場に、小瑪が銀の燭台を手に立っている。
蝋燭の小さな炎が、ユラユラ…ゆらゆら……
階段は一段ごとに軋んだ。上りきると左に折れ、真っ直ぐ進む。扉が一つ、二つ……一番奥の三つ目で止まった。右手にある扉を、小瑪が開けてくれる。
そこは、ルーシャンが寝かされていた部屋だった。
「…ここが一番マシな部屋」
小瑪は、燭台を窓辺の机に置いた。
「…荷物はそこ」
小瑪の指の先、チェストの横に荷物がまとめられている。ルーシャンはそこに荷物を下ろした。
「…残りの荷物を持ってくる。ここで待っていて」
つと、ルーシャンの脇を通り過ぎた小瑪。微かな潮の香りがした。
独りにされ、ルーシャンは落ち着かなげに視線を迷わせる。
机上の蝋燭が、怪しく炎を踊らせ、部屋を照らしていた。しかし、部屋の隅は明かりが届かず、暗い影が蟠っている。
ふと、本棚に違和感を感じ、その元を探した。
「……」
最初に見た時は気付かなかったが、厚い本や薄い本に挟まれて宝石箱のような物がある。あまり装飾はされておらず、玄い箱は白い茨に覆われていた。上蓋には、真紅の薔薇が一輪咲き誇っている。
ルーシャンは近くで手に取って見たくなり、踏み出し──
ギィキイィィ……
ビクッと止まった。
「…ここにある服は、好きなように使って……どうした?」
固まっているルーシャンに、怪訝な視線を注ぐ小瑪。ルーシャンは何でもないと頭を振り、微笑した。
小瑪はさして気にした風もなく、荷物の中身を確認し始める。ルーシャンはこっそり息を吐いた。
「…服はそこのチェストにしまっておくといい。何も入っていないから」
説明しながら、自分の服が入っている紙袋をひとつ除ける。
「…出ていく時は持っていってもいいし、いらないと思ったら置いていくといい」
静かな、何の感情も籠らない声。ルーシャンは衝動的に、小瑪の腕にしがみついていた。小瑪は僅かに目を見開く。
「…何?」
ルーシャンはパクパク口を動かした。“声”がないから、微かな音も出ない。
『私…ここにいてもいい? 出て行かなくてもいい?』
「…そう言ったと思うけど」
ルーシャンは言葉を探すように翡翠の瞳を彷徨わせた。
「…君はどこから来た? どうして倒れていた? 声がないのは、何故?」
冷たく流れた質問には、すべて答えられない。
ルーシャンの瞳に浮かぶ恐怖を見つめ、小瑪は声調を改めた。
「…訊かれたくないんだろう?」
ルーシャンは俯き、唇を噛む。
「…別に聞くつもりはない。誰だって、話したくないことはある。僕は、行く当てのなさそうな君を放り出したりはしないよ。…ここが嫌なら他を当たればいいだけだし、出ていきたい時に出ていけばいいんだ」
右腕にしがみつくルーシャンの手に、小瑪は自分の手を添えた。ルーシャンは、瞳を上げる。
「…追い出しはしない。落ち着いて。君はここに居てもいい。僕は、君を詮索しない」
儀礼的に並べられた言葉たち…だけど、声はルーシャンを気遣っていた。
『………ありが、とう…』
何とはなく、頭を下げたルーシャン。どうにも答えようがないのだから、仕方無い。
…大丈夫。正体はばれない。ここに居られる。
なのに、ルーシャンの心は満たされなかった。求めている、何かを──
…私は、どうしたいの?
胸の内で、自問自答する。
…小瑪に、気付いてもらいたいの? 私が、人魚だということを?
それも、ある。が、確かめたいのだ。
もうひとつの、人魚の物語を──真実を………