別
笑われたことに、ルーシャンはばつが悪くなり、むっつりと俯いた。
「そうだ」
はたと、男が思い出したように声を上げる。
「ルーシャン、だったね? 君の身体にかかっていた呪は、もうない」
「シュ……?」
すぐにはその言葉の意味が理解できず、頭を傾けるルーシャン。
「呪……正体が人魚だとばれると泡になり消えてしまう、という……」
「ああ!」
ようよう、合点がいった様子で、大きく頷く。傍で笑声が洩れているのは、この際置いておいて……
「いつの間に……?」
「少年だ。以前、瑞樹の者に雇われた十二、三の」
説明されて、あの日を思い出す。
小瑪の館の玄関でへばっていた、もうひとつの人魚の物語を話してくれた少年。
帰る間際に見せた笑顔がとても印象的な……だが、その瞬間は物語の真偽に囚われていて、あまりはっきりとは覚えていない。
「あの子が、何を……?」
少年とは声を交えただけだ。呪を解くとか何だの、そんな件はなかった。
「話をすることで、君の呪が解けるように施していた」
「へぇー……」
ルーシャンは、男の手際の良さに、感心したように間抜けた反応をする。
「そんなに以前から……」
驚いた呟きに、ルーシャンは視線を移した。
「……ねえ、小瑪は、私が人魚だって、判ってた?」
なんとなく訊ねる。
訊ねてみたかった……気付いてほしかった……
「ああ。初めから」
答えは一時も待たずに返ってきて、ルーシャンは僅かに目を見開いた後、鮮やかに微笑んだ。
「……では、私はそろそろ逝くよ」
和やかな雰囲気に、男は眩しそうに双眸を眇め、息を吐いた。
三つの視線が注がれる。
男はいまや、霞がかかったように影が薄くなり出していた。
消える……誰もがそう思った刹那、白金の輝きが男との距離を掠める。
『──父上ッ!』
それまで大人しく小瑪の腕に納まっていたエミールが飛び出し、必死で唇を動かした。
男の……父の許へ、駆ける。
「エミール……」
男は瞠目し、体当たりするように飛び込んできた我が子を抱き留めた。
『……父上……』
そこから何と言葉を続ければよいのか判断がつかない様子で、エミールは別れの淋しさに悲痛な面持ちをしている。
『父上……』
ぎゅうっと、草臥れた雨具を握り締める。
まるで、行かないでと甘え縋る小さな子供のようだ。
「エミール」
男もまた、そんな幼子をあやすかの如く、長い白金の髪を梳く。
「今度こそ、幸せになれ。お前の幸福だけを、私は願う」
穏やかな眼差しで、真実いとおしそうに、エミールの白い頬を濡らす雫を拭った。
『父上ぇ……』
ハラハラはらはら……泪は溢れ続ける。
「エミール……泣いてばかりで、しょうのない子だな……」
男はくつくつと肩を揺らした。
『父、上……ごめんなさい……ごめんなさい』
「私は、お前の笑った顔が見たい。ちゃんと……」
エミールは苦しげに声のない嗚咽を呑みながら、笑顔を見せようと四苦八苦する。
「ありがとう……私の子で在ってくれて。ずっと、愛している」
男には、もう時間がなかった。身体は、魂は、ズイズイとこの世ではない世界に引っ張られている。
『私も……大好き……父上、ありがとぉ……』
やっと、やっと笑顔を見せることが叶った。泪で汚れているけれど、最高の……
男も笑み、最後に強く子を抱く。
男は霧のように消えていき、エミールの腕から感覚が失せていった。
温もりだけが、内に残る。