発
男は目を丸くし、怒りを露わにする乙女を見た。小瑪も緩く振り返る。
「なに暢気に話をしているの!? エミールは!? 話をしている場合ではないでしょう!! エミールを助けてよっ!!」
眉を吊り上げたルーシャンは、光の球体を示し、男を睨んだ。
「その手の光は何!? 何か力があるなら、エミールを助けてよ!! あっ!」
と、男の掌に光が集まるのとエミールが発光し始めたのがほぼ同時であったことを思い出す。
「その変な力で、エミールをどうかしたの!?」
仮にも相手は十一代目国王であった者だというのに、ルーシャンの勇ましいこと。
相手に反論の隙を与えぬ速さで舌を回す。
「愛していると言ったでしょう! どうして、エミールにこんな事をするの!? みんな、嘘だったの?!」
朱くなったり蒼くなったりと、コロコロ変わるルーシャンの忙しさに、男は吹き出し、くつくつと肩を揺らした。
「?? なに……どうして笑うのよ? 笑ってないで、早くどうにかして……助けて!!」
無礼千万だとばかりに鼻を鳴らすルーシャン。
もし、戻れなくなったら……焦燥感が募る。
「ルーシャン……」
「なにっ!?」
細波のような小瑪の声に呼ばれ、訊き返すが、相当余裕がないようで、
「なに!!!?」
もう一度性急に繰り返し、一瞬だけ瞳を移した。
「な──えっ????」
男を逃したくなくて目を光らせていたが、その一瞬に驚くべき光景を見る。映像を脳に運び、脳がその映像を分析するまでに多少時間が必要になったくらいだ。
「え、ええ?? どうし、て……え? 何? どうして、エミール……????」
ルーシャンは口をパクパクさせ、小瑪の腕の中にぐったりするエミールを凝視した。
いつの間にやら、光の球体ではなくなっているエミール。変わらない白金の長い髪、白蓮の肌、苺のように甘酸っぱそうな唇……文句のつけようがない美貌である。
しかし、腰からは銀の尾鰭ではなく、人間の足が続いていた。
「なに? どうなったの?」
確か、エミールはすべてを取り戻したはず。
なのに、何故また人間の姿になっているのだろう……
ただただ混乱し、狼狽するルーシャン。
小瑪は片方の手を口許に当て、何か堪える仕種をした。
「なに? ……小瑪? 貴男まで、何を笑っているの??」
くすくす、と、小瑪の唇から笑声が洩れている。
ルーシャンは疑問符を眉に浮かべ、ムッとしながら、小瑪の横顔を見た。
健康的な小麦色の肌、凛凛しい唇、鋭い双眸……もうどれひとつとて、エミールには似ていない。
「……小瑪、男前ね」
見惚れて、正直な気持ちを零す。
現状を考えると、そんな事を言っている場合ではないのだが。
「前よりも、格別にいいわ」
思った事を口にせずには居れないルーシャンであった。それが、小瑪の事であるから尚更。
まだ可笑しく笑い続ける小瑪は、ルーシャンの方へ顔を向け、目許を和ませた。
「本当に、その瞳と髪の色は変わらないのね」
劇的というか必然というか……そんな、エミールとの再会時、憎しみ狂ったエミールが言った事。
その通りだ。
艶やかな黒髪と瑠璃の瞳。
ルーシャンは感慨深げに呟き、ほうと吐息した。
「ルーシャン、声……」
「え?」
微笑む小瑪が促す。彼女は片眉を上げ、キョトンとした。
「声……?」
スと喉元に触れ、判らず反芻する。
「───!!」
すると、ようやく気がついたのか、みるみる双眸が見開かれた……開けるだけ、限界まで。
息を肺一杯呑み、浅く早く呼吸をする。呼吸も儘ならない程、驚愕する事だった。
「あ……私の、声……?」
咽喉に触れる指先が、フルフルと震える。
さくらんぼのように可愛らしい唇から、それに見合った声が溢れていた。
エミールの“声”ではない、ルーシャン自身の声。
春日の如く、麗しい音。
「私の……? 本当に……?」
だが、完全には信じられず、未だ咽喉を撫でるルーシャン。
つんつんと袖を引かれ、小瑪は視線を落とした。そして、微笑み、頷く。
「ルーシャン」
奇妙に眉を寄せたまま振り返り、小瑪を見、薄い月長石の輝きに表情を一変させた。
「エミール!! 大丈夫?」
喜色と気遣いに、翡翠の波を揺らす。
小瑪の腕の中で意識を浮上させたエミールは、傍に膝をつく心優しい乙女に笑みを見せた。自然と空気を柔らかくする笑い方である。
「ルーシャン」
口を開いたのは、小瑪。
「君の声は、初めから君の中に在ったんだ」
「え……」
「皆が自分だけの声を持っている。君もそう……ただ、エミールの“声”のチカラに邪魔されていただけ……」
ルーシャンは僅かに瞠目し、また喉元に手を持っていく。
「……在った? 最初から、私の中に……?」
じわり、と、睫毛を濡らし、雫を溢れさせた。
「そう……私は、見つけてあげられなかったのね。ずっと、自分の声だと思い込んで、探すこともしなかった……」
自嘲的になるルーシャンの泪に濡れる頬に、エミールは手を伸ばし、撫でる。
ルーシャンはエミールを見、エミールが何か言うのを待った。エミールは何かを言いたそうに、微かに唇の端を下げる。
「仕方がないよ」
エミールが何かを言う前に、小瑪が続けた。その一連に、ルーシャンは驚き、怪訝そうにする。
「エミールの“声”は、君のモノとして存在していたのだから」
エミールはまだ一言も発さず、エミールが喋るのかと思えば小瑪が喋った。
まるで、エミールの言葉を小瑪が代弁しているようだ。
何故、そうなのか……そうする必要があるのか。
ルーシャンは考えた。破裂してしまいそうな一杯一杯の頭で。
そうして、少し時を溯る。
『すべてが揃っていなければ、受け入れられぬか?』
『俺は読唇術が得意ですから、問題ありません』
男と小瑪の会話。
少ない会話の中に、含まれていた意味は何か……
「……読唇術…………声?」
出さないのではなく、出せない。だから、小瑪が代わりに話す。
「エミール、……声が、ないの?」
驚愕で掠れた問いかけに、エミールは肯定を示すように口端を上げた。
「───」
男に視線を巡らせると、
「……」
相手は申し訳なさそうに目を細める。
「エミールの声と人魚の姿は、私が持って逝く」
それは、罪滅ぼし。
父親として、子を幸せにするため……
王として、愚かな願いの後始末をするため……
彼に残された、すべき事。