差
『…貴方のおかげで…小瑪と、数日だけど生活を共にできた……幸せ、だった』
ハラハラと、ルーシャンは泪を流れるに任せた。翡翠の瞳は、まるで小さな海のよう。
『…想いが伝えられないのは、苦しかった……でも、側に居ることができた……
幸せだったのよ…』
何度も頭を撫でられた、その感触が心地良い。
垣間見せる優しさが、いとおしい。
『声が失くて、大好きな唄も歌えなくて…覚悟をしたはずなのに、後悔して…辛かった……正体がばれると泡になってしまう…海に帰ると、もう人間の姿ではいられないのだと思ったから、海のみんなに謝って…謝って……辛かった──でも! でも、私の辛さは貴方と比べられるものではないんだわ!
私の辛さは、貴方よりも小さい…』
エミールもまた、偶然選ばれたのだ。
そして、あらゆる苦痛を背負わされ、生も死も許されない。
『私は、貴方のお蔭で、誰も殺さずに済んだ……“声”にそんなチカラがあったなんて、知らなかったけれど……』
もしも、“声”の持ち主が自分だったなら、どうしただろう?
ルーシャンは瞼を下ろし、ゆっくり呼吸して考えてみた。
もし、エミールではなく、自分だったなら……
…エミールのように、悲しみに暮れるばかりはしなかったろう。心が、いつか崩れて…
(私なら、すべてを破壊したかもしれない。人魚を殺す人間を憎み、理不尽な運命を与えたモノを恨み、何も知らずに生きるモノ達を呪い…)
この世界を、滅ぼしたかもしれない。
『私が貴方だったなら、怒り狂って、目に留まるすべてを壊しまくったと思う』
下ろしていた瞼を上げ、戸惑ったような表情をしたエミールを見据えた。
『貴方だから、世界は助かったのよ。たくさん死んだのだろうけど、世界は消えていない』
「…キレイ事はやめて下さい。そんなもの、都合のいい解釈です…」
ついと、エミールは視線を伏せる。淡く滲む太陽光に照る、浜の砂を見つめた。
ルーシャンの言葉を、読んでいられなかったのだ。
「私は、穢れています。貴女達と同じ生き物ではないのです。
……罰せられるべき罪を犯しました……」
歌声に惹かれ、人魚に興味を持つ人間を殺め…実の親までも、死に追いやってしまった。
そんなつもりは、なかったのに──いや、あったかもしれない。
誰も、同属は一人も、傍にはいてくれなかったのだから。
皮肉にも、人間であるデゼロや小瑪だけが、共に在ることを望んでくれた。
「──ちゃんと生きていた頃は、この運命を受け止め…私だけの人生で、誰も死なずに済むなら、それでいいと……」
しかし、小瑪への愛が死の恐怖を煽ることがあった。小瑪と一緒にいたいと想う気持ちも…本当は、生きていたくて…それらが、死を遅らせる。
「もっと早く…小瑪から離れられなくなる前に、命を絶つべきでした──いいえ! もっと以前に、人間と出逢ってしまう前に、地上に興味を持つ前に、死ぬべきでしたっ…」
今更、後悔しても遅すぎだ。機会はいくらでもあったのに。愛することを知る前に死んでおけば、辛酸を嘗めずに終われたのだ。
「……私は、やはり、禍だけでしかない」
『やっぱり、キレイだね…』
いつの間にかルーシャンが近くに来て、エミールの視界に入るように覗き込んでいる。
「──っ…キレイでは、ないと…」
『どうして、自分を犠牲にするの? 貴方だって、みんなと同じように、普通に生きてみたかったでしょう?
私は、死にたくないわ……今はちょっと、本当に、死んじゃおうかと思ったけど……』
きまり悪そうに肩を竦めたルーシャン。
『とにかく、怒って、暴れて…私を、否定するモノを許さない』
生きているモノなら、誰だってそうであるはず。
何も憎まずにいられるのは、聖人だけであろう。
『私だって、存在しているのよ』
四つん這いになっているルーシャンは、泪を拭い、晴れた瞳を上げた。