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人魚姫  作者: 霜月黎夜
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 館から随分と離れた頃、若い男が苦々しく吐き捨てた。

「何だあいつは!」

「…あまり、関わらないことだ」

 壮年の男が疲れた様子で、若い男に言う。

「あれは、人魚との交流があった頃から生きていると云われている…」

「まさか!」

 若い男は呆れ顔で、半歩遅れて歩く壮年の男を振り返った。

 …それでは、人間であるはずがない。

 が、壮年の男の顔は暗かった。

「人魚にまつわる、もうひとつの物語」

「もう、ひとつ…?」

 若い男は眉を寄せる。聞いたことがない。

「まあ、余所よその国から来たお前は知るまいよ…」

 壮年の男は、雨具の下から暗雲たる空を仰ぎ見た。

「…人魚を殺した男」

 その言葉に反応を返すかのように、雷公が激しく駆け抜けていく。



 太陽が顔を出すころ、ようやく空は落ち着きを取り戻した。激しい雨音に睡眠を邪魔され、街の人々は寝不足の顔で仕事に向かう。中には、そんなものも意に介さず、ひたすら睡眠をむさぼった者もいるであろう。そんな者は、羨望と恨めしげな眼差しを注がれること請け合いだ。

 そうなると、小瑪ささめもその一人になるのだろうか。昨夜は雨の中を散歩し、林の中で乙女を拾い、寝ずに夜を明かした。にもかかわらず、彼の顔に寝不足など微塵も感じられない。が、健康体には見えにくい。青白い頬をして、今にも倒れてしまいそう……人々の眼差しは羨望や恨めしげとは違い、奇異なものが多い。もうひとつの人魚の物語を知っている者に至っては、畏怖の眼差しを向ける。

 小瑪はいつもの喫茶店で、いつもと同じ隅の席に座り、紅茶を啜っていた。相変わらず、声をかけてくる者は一人もいない。小瑪も、誰かに話しかけようとはしなかった。静寂を好むのか、ただ億劫なだけなのか…はたまた、もうひとつの人魚の物語が真実であるのか、小瑪は他者と隔絶してしまっていた。いや、世界、と言うべきか……

 街の人々は、不平を鳴らしながらも、楽しげであった。笑い、泣き、怒り、また笑う。様変わる人々の表情かおは、見ていて飽きない。見ているこちらは幸せな気分になれる。しかし悲しくもあり、だから小瑪は孤独を望む。人々と交じってしまったら、きっと辛くなるから……

 小瑪は、ひとつ吐息した。

「…駄目だな。あの女のせいで、ひどく感傷的になってしまっている」

 ポツンとこぼし、カップの中で生まれる波紋を見つめる。

 今は何をしても見ても、心が落ち込むだけかもしれない……

「…こんな時こそ、普段しないことをしてみるのも悪くない」

 紅い唇に微苦笑を湛え、あの乙女を思い出した。

「…家には、女物の服はないからな。裸のままでは困る」

 買い物をしよう。必要最低限の衣類しか持っていないから、彼女に貸すことはできない。ならばこの機に、衣類を買い替えようか。増やしてみるのもいいかもしれない。

「…勿体ないような気もするが、まぁ、思い切りが大切だろう」

 肩をすくめ、小瑪は席を立った。

 心が少し軽くなった気がする……


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