気
小瑪は黙したまま、エミールの背に回す腕に力を籠めた。憎悪に塗れたエミールの表情が、瞬時に弛む。
「……偶然“声”を宿した貴女を、私は救うことができました。こうして、貴女が地上に出てくる前に、何度も機会はあったのです。でも……判るでしょう?」
エミールは、ルーシャンの視線を捕らえて放さず、痛ましく微笑した。
「どんなに愚かな願いをしたのか、身を以って知ればいい……苦しみ……どんな過ちを犯してしまったのか、後悔し続ければいい…」
………………
……許サナイ……
…私ダケニ、スベテヲ押シツケテ──幸セニナルナドッ──!!!
………………
「私は、憎しみから逃れられなかった。憎しみ以外の感情を、思い出せなかった」
ルーシャンはコクリと唾を飲む。咽喉が渇き、苦しかった。だが、……。
「……ずっと、貴女を、国を観察していました。不幸になるよう願いながら……」
しかし、ルーシャンは皆に愛され、エミールを嘲うかのように、健やかに育っていく。国にも、禍が降ることはなかった。歌声は同属を惑わさず、地上へ行くのも許されていない。苦しみを味わわせてやれなかった。
ルーシャンが皆の目を盗み、地上に出るまで、エミールは腸が煮えくり返る思いをする。ルーシャンが地上へ向かうよう、手を出すべきか考えた。
「でも、私が細工をする必要もなく、貴女は地上に出ました」
その後は、思う通りに事が運んだ。
「そうして、貴女は自ら人間を呼び寄せ……」
『私は、人間を呼び寄せてなんか…』
「いいえ。歌声は、自身が拒んでいたとしても、人間を呼び寄せます」
『……』
「また、貴女には人間を見てみたいという好奇心もあったはずです」
ルーシャンは言い返せなかった。その通りなのだ。地上、空に興味があったのと同様に、人間にも会ってみたい気持ちがあった。
「……人間に捕らえられた貴女を、いつまでも見ていたかった。人間に悩まされる貴女を見ては、愉悦に浸っていました」
だが、あまりに永い時間を起きていたせいなのか…いつしか疲労を覚えるようになった。
闇に縛られ不幸を見ることに喜びを感じても、疲労は少しずつ蓄積していく。
「…もういいだろうと思い、貴女の前へ…」
ルーシャンを助け……タダではないが……早く終わらせようと。
終わらせて、眠りに就こう。
………………
……虚シイ……
………………
エミールの中で、闇が弱くなり始めていた。
「……すぐに小瑪の元へ行かなかったのは、空を忘れないため…どんなに嘆いても、自然は美しいから…」
…やっと、すべてが終わる。
闇に呑まれた身なれど……今度こそ、すべてを背負って逝ける。
柔和な表情に、ルーシャンは悔しげに唇を歪めた。
──だが、もっと苦しいのはエミールなのだ。
『……どうして、そんなにキレイなの……?』
エミールが困惑気味に首を傾ぐ。
『私は、貴方が嫌いだったのに…!』
「今でも、私が憎いでしょう?」
『…判らない……判らない!!』
フルフルと頭を左右に揺らし、亜麻色の髪を波打たせた。
『嫌い、だった……』
小瑪の心を捉え続けるエミールが。
完璧な美を持ち、恋人までも手に入れている。
(私には、どちらもない……)
初めて恋した相手には、すでに恋人が居た。
(小瑪…)
しかし、小瑪の相手がもう存在しないなら望みはあったのだ。なのに、現れて……小瑪も、それが判っていたかのように待ち続けて……
(私が、出る幕はなかった……)
ついに二人は永い時を経て再会した。
『──貴方が、本当に悪い人なら…心の底から憎めたのに!!』
ルーシャンはエミールを、エミールはルーシャンを……視線を合わせたまま、気持ちを奔流させる。
『……貴方なんか嫌い──でも、キレイ…!』
拙い言葉に、エミールは怪訝そうにした。
「…私は、キレイではありません。私はすべてを憎み、貴方を不幸にしました。小瑪も、殺そうと……」
『私は、不幸ではなかった! 確かに、見世物にされたのは辛いことだった……でも、小瑪に逢えた!!』
ルーシャンはハッとしたように、目を瞠る。