狂
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………………
ア…私ハ…?
………………
ココハ…ドコ…?
何モ…見エナイ…
………………
寸分先も、自身の身体さえも確認できない、奈落の世界。
エミールの意識が浮上した。
………………
…私ハ…死ンダハズ…
ドウシテ…考エルコトガデキルノダロウ…
………………
時の流れも感じられない空間で、想う。
………………
…小瑪ハ、マダ泣イテイルノダロウカ…
……心配……
………………
耳が痛いくらい静寂に包まれたそこは、エミールが嫌った海の底に似ていた。
孤独が圧し寄せ、心を蝕んでいく。
………………
ドウシテ…チャント殺シテクレナカッタノ…
私ハ身ヲ挺シテ…世界カラ退イタノニ…
………………
身を縮めるように動くと、身体の存在が感じられた。
………………
身体モ…残ッテイルノ…?
私ハ…死ネナカッタノ…?
………………
キラリ、と、この世界にあるはずのない煌きが意識に留まる。
………………
何…カシラ…
………
アア…アレハ…小瑪ガ持ッテイタ短剣…
……懐カシイ薫リガスル…
………………
地底を蠢き、短剣を手にした。黒い影に、短剣が持ち上げられる。
白銀の刃は、世界をありのまま映し出していた。
エミールは口を開き、咽喉の奥から声を絞る。映った現実に、悲鳴を上げた。
ア゛アァア゛────!!!!
ザザザザザ、と、闇が退いていく。
天の光が届かない、深い、窈い海の底。
醜いエミール。まるで、妄執に取り憑かれた狂人のよう。
爛れた皮膚を引き攣らせ、白濁の双眸をまんまるに開いた。
「──…“声”…が……」
船と船がぶつかり擦れるような、樹々が腐敗に倒れるような、不快な程に掠れた音が口から洩れる。
「“声”が、ない…どうして?」
口を苦しげに歪め、ギチギチと胸を掻き毟った。だが、血が溢れることはない。
「あ゛ァ……どう、して…」
死ねなかった上に、声も、姿までも失った。
ギ…と、掻き毟る手を止める。
「──…“声”…」
“声”を持って逝かなかったから、戻された?
その罰として…だから、死も叶わず、こんなにも醜悪な姿で…?
「…どうして、私が…」
この“声”は誰が授けた?
何故、他の誰でもなく自分に?
どういう権利があって、自分だけを罰する?
「──私が、罰せられる謂れはない…!」
確かに、罪もない命を殺しただろう…だが、そうさせたモノが悪い!!
人間は、望んでもいないのに近寄ってくる!
「私は、悪くない…こんなチカラを望んだモノが悪い!
私は被害者だ!」
憎悪が迸った。
「ただこの世に生まれ落ちただけで、どうしてそのような枷を嵌められなければならなかった!?」
この宿命を与えた世界が憎い!
「私だけにすべてを負わせて、安穏と暮らす者たちが憎い!!
私は何だ!?」
何故、生まれた?
どこにも居場所がないのに…
まだ……すべてを取り戻すまでは、終わらせない!!
「…小瑪…」
何度も愛を交わした。
なのに何故、殺すことを選択した!?
「愛していると言いながら、例え私が望んでいた事だったとしても…!」
何故、完全に殺してくれなかった?
すべてが終わるはずだったのに、小瑪が狂わせた!!
「全部、貴男が持っているの…?」
小瑪が、すべてを奪った。
「返して───!!」
エミールの咆哮に海流が呼応し、激しく逆巻き出す。海水を切り裂くように、エミールを地上へ連れていった。
エミールは短剣をかたく握り締め、世界を睥睨する。
闇を纏い、二本の足で海原に立った。
陸上が目視できない海のど真ん中、新月を背に歩き出す。
どす黒い感情に、心を煮え滾らせて…
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