苦
小瑪は、ルーシャンが独り泣き崩れているのも知らず、二度と逃がすまいとてエミールを抱く。
あの時は、腕の中に閉じ込めていても消えてしまったから。
「…私は、待っていた……何のために…?」
エミールが、また繰り返した。探すように、声が彷徨う。
「すべてを取り戻すために、だろう?」
おかしくて、小瑪は咽喉の奥で微笑った。
自分で言っていたことなのに、何度も疑問するエミールが可愛い。
「私は、どうして、生きて…?
あの時、確かに、消えたはずなのに…」
小瑪に命を託し、世界から消失した。
「…お前は、確かに消えた。だが、“玉”は教えてくれた。まだだ、と…」
小瑪は言う。“玉”が熱を帯びる度、エミールの存在を叫んでいた…と。
「…まだ、終わっていない」
小瑪が死ぬことを諦め、それなりに生活を始めた時、“玉”は静かに存在するだけとなっていた。
「けれど、ある日“玉”は、この身を裂きかねない程の力で、俺の意識を奪った…」
それはあまりに突然で、抵抗も何もできずに、“玉”の力に引っ張られていた。
小瑪はエミールの肩に顎を預け、語る。
「…暗い、心が凍てついてしまいそうな、昏い場所で…俺は流され続けた…」
意識が沈んだ中、誰かが囁いた。
…マダダ…
一言、明確に、小瑪の心に刻み込んだ。
暗闇が回転する。小瑪はずうっと堕ちていった。
──何故だ!?
──何故、そなたがここにおる!?
──そなたが愛した…瑞樹の末裔でさえ、幸せを与えられなかったのか…!
嘆く声は、もはや王とは無縁の、ただ一人の親としてのものだった。
憔悴し切っていて、どうしようもなく苦しい…
──…それとも、我を責めに来たのか?
──終わらせぬと、言うのか…?
──簡単には、忘れさせぬと…?
己を責め、病んでいく…
つられて、小瑪は重たい瞼を懸命に押し上げた。
薄く開けた視界を通過していったのは、輝かんばかりに純白の人魚の像。
──…エミール…
真っ暗闇の中、ポツリと深海の王が項垂れて……
唐突に、目を覚ました小瑪。埃っぽい床にぼんやりと伏したまま、夜に染まっていく室内を見るともなく見ていた。
蕭然と、紅をはいたような薄い唇を動かす。
「───…エミールが、戻ってきた…」
…結局、独りでは逝けなかったのだろうか。
しかし、戻ってきたなら会いに来るはず。すべては、それから訊けばいいだろう。
「…やっと、会えた。
“玉”が知らせる度に、胸がしめつけられた…」
小瑪は、エミールの背を、白金の髪越しに撫でた。
「…エミール。何故、戻ってきたんだ?
──俺はっ…」
撫でるのを止め、さらに強くエミールを掻き抱く。
「俺が、どんな想いで…お前を追うのを諦めたと思っている!?」
永い年月、蟠っていた想いを吐露した。
「──ご、めんな…さい…」
申し訳なさそうに、エミールが嗚咽を呑み込む。
小瑪は眉尻を下げ、首を左右に動かした。
「…すまない。お前を責めるつもりは、なかった……」
一呼吸置き、
「何故、戻ってきたんだ…?」
想いと共に抱えていた疑問を零す。
「な、ぜ………」
エミールは、記憶を手繰るように、反芻した。
「…なぜ…
私は、すべてを取り戻すために、戻ってきました…
何も…何も、ありませんでしたから──」
突如、月長石の瞳を丸く円く開き、虚空を見据えた。
「私の意識は、途絶えた──あの瞬間、確実に──なのに…そのはずなのに、私の意識は、また浮き上がった…」
ハァ、ハァ…と、短かな呼吸をするエミール。
「──そして、気がついた…声がないことに…
持って逝かなければならなかったのに…
あの声は──私の声は、命を殺してしまう──他の誰でもない、私に宿った“声”…私が、最後まで持っていなければならなかった!
もう何も失いたくなくて…これが、私が生まれた理由なんだと思い、死を望んだはずなのに…」
無意味に終わった。