破
「───っつ!」
胸が、鎖骨の辺りが一瞬焔を上げたように熱かった。
小瑪はそこを押さえ、襟を開いて直に触れてみる。
鎖骨の中心には堅いモノが嵌っていた。それが、温かくて…
「エミール…?」
小さく零し、それを撫でる。
「これ、は…」
“人魚の玉”と呼ばれている、人魚の心臓。
エミールは心臓を小瑪に遺し、そうして呪をかけた。側にいるという言葉と共に…
だけど…
「こんなの、一緒にいることに、なるものか…!」
小瑪は身体を丸め苦しげに喘いだ。
短剣は海に落ちてしまっている。
「…生きられるわけがない!」
舌を噛み切ってやろうかと顎を動かした時、“玉”が熱を帯びた。
「……」
小瑪は思い止まり、“玉”を撫でる。
「…邪魔をするのか…
お前の熱を感じると、気持ちが挫ける…」
エミールは、自分で命は絶てないと言い遺した。
まるで、小瑪の内で息衝いているよう。
「お前が、いるようだ…お前は、もういないのに…」
小瑪が死ねば、“玉”は力を失うだろう。エミールの、完全なる死…だ。
「エミール…」
小瑪が生きていれば、“玉”は、エミールは存在する。
泪はまだ流れていた。
「…酷いな、エミール…」
だが、独りであることに変わりない。
愛する人も、友もいない…生きる意味が、あるのだろうか…
いや、あるのだ。小瑪が生きていれば、“玉”が生き続ける。エミールが存在する…それが…それだけが、残酷なまでの生きる意味。
エミールはいない…でも、小瑪の中に在る。
だから、死ねない。
「───っ」
小瑪は慟哭した。
天地を揺るがす程、けれど砕ける波の音に消されていく。
月が哀しみに濡れ、姿を隠した。
◇◇◇◆◇◇◇
ルーシャンは息を詰めて、状況を見守っていた。見守ることしかできない。
割って入ることは許されない、そんな雰囲気が流れていた。
短剣を伝う光は、エミールにすべてを返していく。白金の髪も、白蓮の肌も…ルーシャンが見た絵の通り、美しい、本来の姿に。
『ああ…』
その幻想的な美麗さに、ルーシャンは思わず吐息してしまう。
と、短剣が音を立てて砕けた。
シャアァ――ン…辺りに閃光も撒き散らす。
『っ!?』
ルーシャンはバッと身構え、目を固く閉ざした。
『……』
瞼の奥で、次第に光が失せていくのを感じる。
浜に打ち寄せる波と、啜り泣く声が音の世界を支配していた。
恐る恐る、ルーシャンは瞼を上げる。
光が霧散しただけで、やはり小瑪はエミールを抱き締めていた。しかし、今度はエミールも抱き返している。
小瑪の肩に顔を埋め、くぐもった声を絞った。
「…どうして……私は、何のために、ここ、へ…?」
ある事に気付いたルーシャンは、目を丸くする。
『え? …ささ、め?』
小瑪の後姿が、違う。髪が…艶やかな黒のままだけど…首筋までの長さしかない。見える限り、肌の色も健康的な小麦色に変わっている。体格からは、弱弱しさがなくなっていた。
『──どうして…?』
小瑪の内からエミールが流れ出たのだが、ルーシャンの疑問は誰にも聞こえない。
『──っ』
ひとつ、止まっていた涙が再び溢れ出した。
(私は、ここにいるのに…)
誰も、ルーシャンを振り返ってくれない。
人間に捕らえられていた頃は、嫌というほど視線を向けられたのに。
(もう、想いも伝えられない…)
胸元を握り、蹲った。息だけが、嗚咽となって零れる。
(イヤ…イヤよ…どうして邪魔するの!)
グと、下唇を噛んだ。
人間の世界からも、人魚の世界からも、見捨てられた気さえした。