呪
小瑪の手に握られた短剣はエミールの胸を貫き、深々と命を捕らえている。
「小瑪…」
唇を触れ合わせたまま、エミールが小瑪を呼んだ。
小瑪の瞳にも、泪が浮いている。
「…俺も、すぐに逝く…」
とめどもなく流れる泪。
「最期まで、見届けて下さいね」
エミールはそれに苦笑を返し、小瑪の顔を両手で包んだ。
エミールにとって思いもしない事態であったろうに、エミールはすべてを受け入れていた。
「泣かないで下さい。私は、ずっと貴男の側にいますから」
微かに頷く小瑪の額に口接け、また唇を合わせる。
「ありがとう、小瑪。私は、幸せでした。初めて、生まれてきて良かったと思えました。貴男の…貴男とデゼロのお蔭です」
エミールはくすくす笑った。息は途切れるようになってきているのに、決して苦痛を表に出さない。
「小瑪、これは私の願いです」
小瑪は短剣を握り締めたまま、泪を流し続けた。そんな小瑪を、エミールが抱き締める。
身動いだ小瑪は、短剣がこれ以上進でしまうことを怖れた。
「貴男は、何も悪くありません」
何がきっかけで小瑪が動いたのか…人魚の、しかも懐かしい、薫りのする短剣をどこで手に入れたのか…知らない。知らないけれど、これでいいのだと思う。
見ず知らずの者に殺されるより、愛する者の腕の中で果てたい。小瑪が今こうしていなければ、自分で命を絶っていただろうから。
独りで逝くよりも、誰かに…小瑪に、側にいてほしかった。
勝手かもしれない…でも、これでいい。
これで……
「…エミール」
小瑪を抱くエミールが、見る見る光となっていく。
「すぐに…すぐに逝くから!」
小瑪は声を震わせ、一時でも離れることに怯えた。
もし、いま離れて、再び会うことが叶わなければ…?
「大丈夫…大丈夫です、小瑪。だから、私の最後のお願いを、聞いて…」
さすがに耐えられなくなってきたのか、エミールが双眸を眇める。息が切れ切れに、短くなった。
「小瑪、愛しています」
泪も儚く消えていく。
「愛しています。私の分も生きて…」
「え…!」
小瑪は愕然と顔を上げた。
「何を! 俺もすぐに逝く!」
しかし、エミールは首を横に振る。
「いいえ。あなたは生きて…私が生きられなかった分も…貴男まで、死なないで…」
「馬鹿なことを言うな! お前なしで、生きていけるはずがない!」
「私は、貴男に呪をかけます。そうすれば、自分で死ぬことは叶いません…」
「───」
小瑪は、あまりに残酷な願いだと思った。そんな願い、聞けるはずがない。
「ごめんなさい。貴男に、選択の余地はありま、せんね…すべて、私の独断です…」
苦笑いを浮かべる顔が痛々しすぎ、小瑪は絶望で視界を揺らした。
「……エミール…どうして…?」
「貴男を、愛しているから…」
何度も何度も口接けを交わし、愛を囁く。
「私は、貴男に、生きてほしい」
「…俺は、お前と一緒に生きたい」
「でも、それだと、いつか、貴男を殺してしまうかもしれません…そんなのは、嫌です」
「俺だって、嫌だ!」
今こうしていることも、自分のためだと覚悟したのに…
次第にエミールの感触が薄れてきた。
「エミール!」
一緒には逝けない。小瑪は独り…エミールも…
「駄目だ、エミール!」
何もするな!
小瑪は必死に叫んだ。しかし、エミールが深く口接けてきて…
(ああ…)
完全に呪がかけられたことを悟る。
泪が溢れて、止まらない。
「愛しています、小瑪」
瞬間、エミールは光となって弾けた。
光の欠片が小瑪の周りで舞い、散り散りに消えていく。
キイィィン…と、小瑪の手から滑った短剣が“椅子”の上で跳ね、海の底へ落ちていった。