再
ルーシャンが部屋を出ると、ちょうど小瑪も部屋から出てきた。
『小瑪…』
視線が合うも、逸らされてしまう。ここで逃したら、もう二度と逢えない気さえした。だから、小瑪が雲隠れしてしまわないようにと、早足で階段を塞ぐ。
「…何か用でも?」
フウと鼻から息を抜かし、前髪を掻き上げる小瑪。
ルーシャンは、小瑪の右手を取った。
『小瑪。私を“人魚の椅子”へ連れて行って』
「…それなら向こうの岬にある。ひとりでも行けるだろう」
『いいえ。小瑪も来て』
翡翠の瞳は、強い決意の光が宿っている。
…何の決意か。
小瑪はそれらすべてを見透かしたように、双眸を揺らした。
「…判った」
承諾を得、ルーシャンはひとつ華やかに微笑む。
『ありがとう』
決意をした者は、まことに美しい。それが、命を懸けたものならば───
白い砂の破片が宙に躍り上がり、舞い落ちる。
ルーシャンは生き生きとし、自らも舞いながら最期の場所へ向かう。
傍から見ていると、歌声と笑声が聞こえてきそうな微笑ましい光景なのだが。
(──熱い)
小瑪は鎖骨の中心をぎゅっと握った。額には汗が浮いている。
(…火に、焼かれているようだ…)
意識が朦朧として、身体のバランスを崩した。ガクリと膝をつく。
(いるのか、そこに…)
薔薇の唇を微かに動かし…
……エミール……
はしゃいでいたルーシャンは、小瑪の異変に気付く。
『小瑪!』
慌てて駆け寄り、砂浜に突っ伏しそうになる小瑪の肩を支えた。
『顔色が悪いわ…大丈夫?』
と言っても、小瑪は元から顔色が悪い。
ルーシャンは小瑪を労わり、背を撫でてやった。
『…小瑪。このまま進める? もう、後へは戻れないの…ごめんなさい』
本当にすまなさそうに、小瑪の顔を覗き込む。
狭まる視界の中で、小瑪はルーシャンの言を読み取った。
弱弱しく首肯する小瑪。
…小瑪も進まなければならないのだ。
ずうっと待っていたのだから…
立って歩むために、片膝を立てる。
「捜しましたよ、姫様。どうして、真っ直ぐ海に出なかったのです?」
前方からの美声に、ルーシャンは目を瞠った。
「貴女の姉君に怒られてしまいましたよ」
瞳を動かし、顔を向け…いつの間にか現れた足、腰、胸…謎の人がそこにいる。相変わらず闇を纏い、不気味に微笑んでいた。
自分の“声”を、別者の口から聞くとは…なんとも薄気味悪い感覚だ。
『…貴方が…どうして、貴方が私の“声”を…?』
思わぬ再会と“声”が使われていることに、ルーシャンは戸惑いを隠せず、詰まりながら口を動かした。
「そんなに驚くことはないでしょう? 貴女は私と取引したんですから。この“声”をどうしようが、貴女にはもう関係ありませんよ」
謎の人は喉元を押さえ、軽やかに微笑んだ。
「それに、これはもともと私の“声”です」
『貴方…の?』
「はい。たまたま、貴女の中に宿っただけです」
ルーシャンは訳が判らず、瞳を彷徨わせる。
『―――貴方、の? なら、私の……』
ならば、ルーシャン自身の“声”は、どこにあるのか…
謎の人はルーシャンの呟きに答えず、肩を竦めた。
「──っ」
と、傍らの小瑪が一層苦しみ出し、肩を激しく上下した。
『小瑪!?』
ルーシャンはハッとして、小瑪を見、
「…楽に、なりたいですか?」
『?』
謎の人の言葉に不審を抱き、また謎の人を振り仰いだ。
『!!』
そうして、謎の人の右手にある短剣を目にする。
仰天している間に、謎の人はそれを突き出してきた。
『―――ダメ!!』
本能的に身体を張り、小瑪を庇うルーシャン。
短剣がかすめ、亜麻色の髪がハラハラと落ちた。
差し迫った死に戦きながらも、ルーシャンは謎の人をきつく睨む。
『何て事するの!!』
「貴女を傷つけるつもりはありません。貴女を姉君の元へ帰すと約束しましたから」
キャスケットの下、色の悪い唇は無感情だった。
「その者を庇う理由がないでしょう? どきなさい…でなければ、貴女を傷つけてしまうかもしれません。私は万能ではありませんから、邪魔する者は避けられません」
『構わない! 小瑪が殺されそうになっているのに、見逃せるはずがない…私は、小瑪の盾になる!』
伏した小瑪を背後に、ルーシャンは両腕を広げる。恐怖を捩じ伏せ、胸を張った。
『だって、私は、小瑪が愛しい……愛する人を、殺させはしない!』
すべてを呑み込む強さを宿した翡翠の瞳を向けられ、謎の人は鼻白み、一旦短剣を下げる。
ややして、くつくつ笑い出した。
扱う者によって、これ程印象が変わってしまうのか…“声”はひどく禍々しく、ドロドロした憎悪が詰まっていた。
「人間を…よりにもよって、その者を愛したのですか、姫様」
捩じ伏せたはずの恐怖に挫けそうになり、ルーシャンは歯を食いしばる。
「…それを見ても、まだ愛はありますか?」
謎の人は唇を歪め、短剣の切っ先をルーシャンの肩越しに向けた。
小瑪を…小瑪の、鎖骨の中心を。
『?』
ルーシャンは柳眉を寄せ、小瑪を横目にする。
小瑪の喉元は、先の攻撃により服が裂けていた。
『小瑪!』
怪我をしたのではないかと蒼白になり、
『小瑪、ケガは…!?』
小瑪に覆い被さるようにして屈み、血が流れていないことに安堵した。
だが───