待
◆◇◆◇◆◇◆
その日も、小瑪はエミールに会うため、白い砂浜を歩いていた。
自然のアーチに近付くにつれ、鼓動が高くなる。
今日も、エミールは笑っているだろうか。
「?」
と、アーチ周辺の波だけ荒立っているのが目で確認できた。その空間だけ、狂っている。
小瑪は不審げに眉を寄せた――瞬間、身体が凍えた。
狂乱する波の音に交じって、聞こえる…哀しみに濡れ、怒りに燃え、憎しみに滾る歌声が。
「…エミール?」
ただならぬ気配に、小瑪は金縛り状態から脱した。
走り出したが、眩暈と吐き気に襲われ、ガクッと膝をついてしまう。身体は慄え、言うことを聞かない。
「エ、ミ……」
口許を押さえ、眉間が痛み出し、歯を食いしばった。
「―――っ」
歌声は止まず、小瑪を苦しめる。
「エ、エミール―――!!!!」
小瑪は声の限りに叫んだ。
呼ばなければならない気がした。
独りで、泣いている…
「――…」
歌声がピタリと消え、小瑪は肩で息をする。苦痛から開放されたものの、まだ頭が眩んだ。
「…エミール…」
萎える足を叱咤し、エミールの元へ急ぐ。ひこずった足跡が砂浜に残り、打ち寄せる波に消された。
波は、随分と落ち着いている。
「エミール…」
ソファ形の“椅子”に座るエミールを見て、小瑪は愕然とした。
やはり、エミールは泣いている。いつも綺麗に流れている髪がばらけていた。丸めた身体は震え続け、白蓮の肌はあちこち傷を負い、血が滲んでいる。
反射的に、小瑪は海に飛び込んでいた。
「エミール」
ソファ形の“椅子”に上がり、肘掛部分に腰掛ける。
「…人間か。こんな事をする奴は、他に思い当たらないからな」
エミールの頭を、自分の胸の中に包んだ。
「お前を、捕らえようとしていたのか…」
微かに、エミールが頷く。
「…網を、投げて…きました…私は、怖くて、逃げようとしました…」
「その時に、負った傷か…」
エミールは小瑪の服を掴み、憔悴した様子で瞳を揺らした。
「――小瑪…私は、私はその人間たちを、殺して、しまいました…」
小瑪の背に、冷汗が這う。
先の、あの歌声…あれは、危険だ。
「…私は、我を忘れて…」
エミールは嗚咽を上げ、激しく嘆き、後悔していた。
「…もう、いい。確かに、殺してしまうのはよくない事だろうけど…お前は、何も悪くない」
小瑪は、エミールの髪を梳くように撫でる。
「お前が危ない目に遭っていたのに、側にいてやれなくてすまなかった」
「……貴男は優しいですね」
目を細めて笑んだエミールの瞳から、涙が一粒零れた。
「…貴男こそ、何も悪くありません」
「エミール…」
小瑪は、エミールを上向かせる。
(お前を、誰にも渡したくない。
お前が笑ったり、泣いたりする相手は、俺だけでいい。
誰も、エミールに触るな…!)
エミールの唇を自分のそれで奪った。
乱暴な口接けに、エミールは柳眉を曇らせる。小瑪の背に回した手に力を込め、縋り、容赦ない蹂躙に溺れた。
◆◇◆◇◆◇◆
父王はセシルに視線を定め、微動だにしない。
「そう…歌声は、心を求めては、奪った…
歌声には、闇の力が宿っていた」
ゴクリと唾を飲むセシル。
「お父様…その悲劇と、ルーシャンは関わりがあるのですか?」
「…何故?」
「正確には、ルーシャンの“声”だと思うのですが…」
セシルは躊躇うように、半目を伏せた。
「先日、」
くいと顔を上げ、真っ直ぐ父王を見る。
「ルーシャンを捜しに、海の上へ行きました。そこで、ルーシャンの“声”を持つ者に遇ったのです。
その者は不思議なチカラで海の上に立ち、私に言いました…ルーシャンはその“声”を持たない方が良い…と」
父王の表情は変わらず、セシルの話を聞いていても、驚きも何もしない。
「私が何者かと問うと、代々国を治める者なら知っているだろうと答えました。
お父様、何かご存じなのですか?
歴代の王たちは、一体何を受け継いできたのです?!」
今にも泣き出しそうな娘を見、父王は瞼を落とした。
「…ただの悲しみでしかない。
そして、未だ終わらぬ…終わらぬ限り受け継がれる。
だが、我等は手出しできぬ…待つしかない…」
セシルは理解し兼ねるという顔をする。
伝えられていながら、何もできない…ならば何故、伝えてゆくのか…
(ルーシャン…早く戻ってきて。“声”は仕方がないようだけれど、貴女は無事に戻ってきて…!)
ただ待つ身は辛かった。
セシルも…
王も…
小瑪も…