妹
「セシルお姉様」
ミスティに呼び止められ、セシルは肩越しに振り向く。
「ルーシャンは、まだ見つかりませんの?」
不安で身を縮めるミスティ。普段は謎めいた雰囲気を持つ次妹だから、その姿は本当に痛ましい。
「大丈夫よ」
セシルは年長者として安心させるため、柔らかな表情をし、ミスティの肩を抱いた。
「必ず戻ってくるわ。
ルーシャンは後先考えず行動することがよくあるけれど、ちゃんと戻ってきていたでしょう?
今回も、大丈夫よ」
国中がルーシャンを想っている。ルーシャンがすることにいつも口を出していたのは、すべてルーシャンを心配してのことだけど、それが却ってルーシャンには煩わしさになっていた。
ルーシャンの跳ねっ返りな行動の原因はそこにあり、皆を悩ませる結果となっている。
だが、ルーシャンを叱り注意することはあっても、嫌いになることはない。
無事に戻ってきて…と、誰もが願う。
(しかし、無事とはいかない。あの子は“声”を失ってしまったのだから…
皆、それを嘆くかしら…きっと、嘆くわね)
セシルは微苦笑を洩らした。
人魚たちは親身になって、面倒を見てくれる。
(…生きていてくれるだけで、幸せなんだわ。
失ったのは“声”だけだから、生活には困らないもの…)
ミスティが、うっすらと浮いていた泪を指先で拭い、もう平気だということを示すように頬を和ませた。
「そうですわね。ごめんなさい、皆が辛いのに、わたくしったら…」
恥ずかしそうに俯く。
セシルはミスティの頬を撫で、
「きっと疲れているのよ。少し休むといいわ…アレイスも」
アレイスの肩を軽く叩いた。
「私はお父様に用があるから」
「はい。セシルお姉様も、無理はなさらないで下さい」
アレイスが律義に頭を下げたので、セシルはクスクス苦笑する。
妹たちと別れ、回廊を進んだ。
やがて、人気が失せ、王宮の中でも静かな場所に出る。
王宮の最奥、真赭の扉は、謁見の間の扉よりはこぢんまりとしていた。
それは、追憶の間への扉。
追憶の間には、代々の王たちが眠っている。それぞれ、絵の中であったり、像の中であったり…
ぐるりと丸天井の部屋を見渡していて、ふと突き当たりの白壁が細く割れているのに気付く。
「…何、かしら…?」
一筋の光をなぞっていくと、白壁の切れ目が広がった。
セシルは目を瞠り、白壁の向こうに現れたもうひとつの部屋を見る。
半楕円形のそこは、天井が遥か上にあった。そして、何も知らない魚だけが通ることを許される、細く長い窓がひとつだけ。
「お父様…」
部屋の中央に、父である、この国の王がいる。
緩慢に振り向いた父王は、理知的な容貌をしていた。ブロンドの長い髪は、それを引き立てるように波打っている。セシルとアレイスはこの父王に似ていた。
珊瑚や貝で織られた衣に覆われた身体は、がっしりと逞しい。
額には藍玉のサークレット。藍玉は、王の証である。右手には、身の丈もある巻き貝の杖。
「…セシル」
低く流れる声が、腹に響く。
「このような場所があると、私は存じませんでした」
セシルは父王が持つ威厳に圧され、肩を強張らせた。
「ここは、王位を継いだ者しか知らぬ」
「ここは…それは、何ですか?」
父王の背後にあるモノが気になって仕方がない。
純白の像──何かを祈るように瞳を閉ざした人魚。真っ直ぐな髪は清らかで、高貴な美貌に反して唇は苺の如く愛らしい。人魚からは、白いイメージしか伝わってこない。
父王は半身を返し、像を見た。
「…これは、悲劇。人魚が犯してしまった罪のカタチ」
「罪…?」
その言葉の響きが、セシルを困惑させる。
「十一代目国王が御代の時、人間の世界では終戦してまもなく三年が経とうとしていた…」
と、娘に視線を戻し、双眸を細くした。
「この時代、人間の世界がどのように荒れていたかは…知っているな?」
セシルは黙って首肯する。
「人間達は、我等を物のように扱った。人間に捕らえられ、命を落とした者は数え切れぬ…
その頃から、交流は途絶えがちになった」
父王はひとつ瞬き、また像を見た。
「そうして、願ってしまった…人間に劣らぬチカラを。これ以上の死者を出さぬ為に…
その願いの下に生まれたのが、この者…」
「チカラ…」
無意識的に呟くセシル。
「…“声”…」
海に立つ謎の人が、眼裏を掠めた。謎の人は、ただ不気味な微笑を湛えている。