噂
とある場所に、“人魚浜”という小さな浜辺がありました。
そこには、たびたび人魚が訪れ、人間とお喋りをしたり、唄を歌ったりしていました。
人魚は皆美しく、恋をして命を落とす男女も少なくありませんでした。
それでも、人間は人魚を憎んだりはしませんでした。
仲良く、平和な時を過ごしていました。
しかし、戦争の下に、人間の心は枯れていきました。
あちこちで戦火は絶えず、街も森も何もかもが燃えて無くなりました。
人間の心は、卑しくなりました。
人間は人魚を捕まえ、高値で取引をしたり、見世物にしたり、やりたい放題の悪行を重ねました。
人魚は嘆き、海の底へ姿を隠してしまいました。
それから今日まで、誰も人魚を見た者はいません。
風も陽気な午後、瑞樹小瑪は喫茶店で紅茶を啜っていた。誰かを待っているというわけでもなく、独りで静かな時間を過ごしている。
この小瑪という若者、見た目は息も凍えるような美貌をしているが、男である。一見しただけでは、男とは判らない。ひとつに結わえられた長く艶やかな黒髪、病的なほど青白い肌、紅をはいたような薄い唇、怜悧な双眸…どれも女より勝り、冷ややかであった。
恐ろしく整った容姿を持つ以外、特に変わった様子のない普通に見える若者であるが、街の人たちからは変わり者として見られている。現に、こうして独りで座っていても、声をかける者はいない。
だから、ぼうっと目を開き、人々の声に耳を傾けていた。
すると、面白そうな声が聞こえてきた。街の男衆である。
「なあ、人魚が見つかったって、知ってるか?」
「ああ、知ってる。結構、街の外まで広まっているらしい」
「しかも、見つけたのはあの欲深い男爵だとよ」
「海へ遊びに出ていたら、たまたま人魚がいたんだとな。唄を歌っていたと聞いたぞ」
「美しい人魚で、見世物にして儲けているそうだ」
「街の外からも来ているんだろう? 人魚を見に…」
「俺も行ってみようか…」
「やめとけ、やめとけ。どうせぼったくられるに決まっている」
「ああ、絶対そうだ」
「本物かどうか気にならないか?」
「俺は、人魚よりも明日の飯が気になる。さあ、仕事だ仕事」
「へーい」
ガタガタと、椅子の足が乱暴に鳴き出す。
小瑪が視線を右へ動かすと、三人の大柄な男たちが談笑しながら去っていく姿が見えた。
「…人魚か」
小瑪は興味深そうに洩らしたが、そこから動こうとはしない。
「どうせ、偽者だろう…。人間に失望した人魚たち…どうして、会いに来ることがあるだろうか」
声には、悲しみと淋しさと、虚しさが入り混じっていた。