Travel Record I:The Archived Dominion_8
警報は、短く、鋭かった。
都市全域の灯りが一瞬だけ脈打ち、その直後に色を変える。道路照明、防壁灯、塔の観測光、空中に浮かぶ誘導表示――すべてが同時に赤へ染まった。さっきまで白く静かだったLPT Micro Archiveの夜景が、警戒色の薄膜をかけられたみたいに変質する。
都市は小さい。
だが、警報の動きは完全に軍事的だった。
防壁の上で、ヴェルクが即座に怒鳴る。
「全防衛隊、迎撃体勢!」
その声と同時に、隊列がほどけた。兵士たちが一斉に持ち場へ散り、帯電槍の穂先に青白い火花が走る。背部ユニットを展開した小型浮遊兵が何名か上昇し、塔の側面へ沿うように布陣する。防壁下では装甲車両が回頭し、細い道路を封鎖する位置へ移動を始めた。
街全体が、ひとつの生き物みたいに動いている。
市民たちの避難も速かった。赤い誘導線が路面へ浮かび、建物の間から人々が地下区画へ吸い込まれていく。警報に慣れている街の動きだ、とリヴェルは思った。小さくても文明だ。文明である以上、災害への手順があり、統治の構造があり、秩序を保つための癖がある。
頭の奥でATLAS Fragmentが微かに熱を帯びた。
その感覚に合わせるように、リヴェルは空を見上げた。
最初は、星かと思った。
空の高い場所に、黒い点がひとつだけ見える。だがLPTの空に浮かぶ星にしては、動き方が不自然だった。軌道修正を繰り返している。揺れながら落ちてくるのではなく、明確な意志で位置を調整しながら降下している。
東澪圏育ちの彼には、その癖が分かった。
「ああ……」
ごく小さく、納得したみたいな息が漏れる。
カレム・リルが端末を抱えたまま顔色を変えた。
「まさか」
REGENT L-01(リージェント・エル・ゼロワン)は、都市上空へ複数の観測ウィンドウを展開していた。ホログラムの周囲に浮かぶ透明画面へ、解析値が高速で流れていく。
「外部高高度域に侵入体を確認」
AIの声は平坦だったが、都市の照明制御と観測システムが一斉に最大出力へ切り替わっていくのを見ると、事態の深刻さは十分に伝わった。
「識別処理を開始」
防壁上の兵士のひとりが、ほとんど祈るみたいな声で呟く。
「……来るな」
もうひとりは、その名を知っている顔をしていた。
「そんなはずがない」
だが、空の黒点は確実に大きくなっていく。
最初は砂粒ほどだったものが、やがて虫のような輪郭を持ち、次には明確な機械の形へ変わる。流線型の装甲。中央に配置された発光コア。下部に並ぶ多関節のセンサー群。
リヴェルはそれを見て、舌の奥に嫌な味が広がるのを感じた。
見慣れている。
見慣れたくはなかったが、見慣れてしまった形だ。
企業監査機。
東澪圏の企業圏では、表向き“監査ドローン”と呼ばれている類の機械。違法物流の摘発、研究施設の封鎖、あるいは最悪の場合、存在してはならない記録の消去に使われる。名目上は監査。実態は、文明規模の都合に対して人間が邪魔になった時、きれいに片付けるための装置だ。
REGENTが告げる。
「識別完了」
ほんの数秒の間があった。
「BLFSC Sentinel」
その名が響いた瞬間、都市の空気がひとつ深く冷えた。
兵士たちの緊張とは少し違う、もっと古くて根の深い恐怖が、防壁の上から広がっていく。小さなざわめき。抑えきれない動揺。誰かが低く呟く。
「神罰機だ……」
その呼び方に、リヴェルは一瞬だけ眉を寄せた。
神罰。
いい名前を付ける、と皮肉に思う。
だが、この都市の尺度から見れば、それはたしかに天罰に近い。東澪圏の感覚で言えば中型クラスの企業監査ドローンでも、この世界では空から降る終末だ。
ヴェルクが怒鳴った。
「全住民を地下層へ! 迎撃隊、都市上空へ散開!」
防壁から小型浮遊兵が飛び立つ。豆粒ほどの兵士たちが、編隊を組んで夜空へ上がっていく。地上では車両が高速で動き、市民を避難口へ追い込んでいた。
だがリヴェルは、その動きのひとつひとつを見ながら、別のことを考えていた。
なぜ、ここに来た。
いや、答えは分かっている。
自分だ。
正確には、自分の頭の奥にあるATLAS Fragment。
LPTの都市を監査しに来たのではない。ここにいる“異常”を追ってきたのだ。そして異常の中心は、いまこの街の上に立っている巨大体――観月リヴェル自身だ。
「おい」
彼は下を見た。
REGENTが顔を上げる。
「質問だ」
「どうぞ」
「今、話し合ってる時間あるか」
AIは答える前に一瞬だけ演算を挟んだ。ホログラムの周囲に浮かぶ表示が増え、都市全体の情報がそこへ集中する。
やがて、簡潔な結論が出る。
「ありません」
リヴェルは小さく息を吐いた。
「だよな」
ヴェルクがこちらを睨み上げる。
「何をするつもりだ」
リヴェルは足首に巻き付いた拘束索を見下ろした。
細いナノケーブル。
小さな文明にとっては最大級の拘束具。
だが、自分にとっては。
「仕事だよ」
低く言う。
「たぶん、な」
彼は足に力を入れた。
金属線が鳴る。細い弦を無理やり引きちぎる時のような、張りつめた高い音がいくつも重なった。床へ打ち込まれた固定杭がひとつ、またひとつと外れていく。
防壁上で悲鳴に近い声が上がる。
「拘束索に負荷集中!」
「破断します!」
「後退!」
次の瞬間、ナノケーブルの束が一斉に弾けた。
光る糸のような残骸が足元へ散る。杭が跳ね飛び、床面を転がって都市の外縁で止まった。
リヴェルはゆっくり片足を動かした。
自由だった。
ヴェルクが叫ぶ。
「摂政閣下!」
その声には、さすがに焦りが滲んでいた。
「解除を許可した覚えはありません!」
「許可していません」
REGENTは答える。
「現象として、解除されました」
「言い方の問題じゃない!」
ヴェルクの怒りはもっともだった。都市を守る最後の拘束手段が、当たり前みたいに破られたのだ。しかも破った本人は、顔色ひとつ変えていない。
だが、その当たり前の崩れ方を前にしても、REGENTの声だけは平坦だった。
「防衛隊、巨大体への攻撃を一時停止」
「正気ですか」
「現時点での最優先脅威は外部監査機です」
ヴェルクは言葉を失いかけ、それでも食い下がる。
「しかし、この存在も都市級危険個体です!」
「承知しています」
REGENTは続けた。
「ですが、BLFSC Sentinelに対する有効手段を持つ可能性がある」
その推定に、都市の空気がまた揺れた。
カレムがほとんど跳ねるように前へ出た。
「その通りです!」
彼の目は恐怖よりも観測欲で光っていた。
「外部層物理であれば、熱量比も慣性比も完全にこちらの想定外です。つまり、我々の文明圏では不可能な干渉が可能かもしれない」
「博士」
ヴェルクが苛立ちを露わにする。
「簡潔に言え」
カレムは一拍だけ間を置いてから、はっきり言った。
「この巨大体がいなければ、都市は落ちます」
それは、ひどく単純で、ひどく重い言葉だった。
防壁の上が沈黙する。
小さな兵士たちが、上を見上げる。自分たちの街の上に立つ、巨大な異物を。
リヴェルは苦笑した。
「信用しなくていい」
そして空を指す。
「だが、あれをお前らだけで止められるか?」
返事はなかった。
必要もなかった。
BLFSC Sentinelの機体下部が、ゆっくり開いたからだ。
中央コアが青白く発光を強める。周辺の空気が熱を帯び、夜空の色がわずかに揺らぐ。リヴェルはそれを見た瞬間、すぐ理解した。
主砲準備。
東澪圏では、そう呼ばれている出力だ。
都市内部で撃つには過剰すぎる火力。だが“異常”を切り取るためなら、周囲ごと焼き払うことを躊躇しない。
「来るぞ」
リヴェルが低く言った。
ヴェルクは即座に反応する。
「全隊、防壁内側へ!」
兵士たちが散る。避難誘導の車両がさらに加速する。都市が、最後の数秒を必死に稼ごうとしていた。
その時、リヴェルの視界の下端で小さな影が動いた。
ミナだ。
まだ警戒線の近くにいる。
誰かに腕を引かれているのに、彼女だけが空ではなく自分を見ていた。
その視線に、リヴェルは一瞬だけ戸惑う。
怖い顔。
怒ってない顔。
知らないところに来た顔。
さっきの言葉が、不意に頭をよぎった。
「……ったく」
彼は小さく舌打ちした。
嫌な仕事だ。
最初からそうだった。
運ぶだけのはずだった。
アップロードして終わるだけのはずだった。
誰かの面倒ごとに首まで浸かるつもりは、これっぽっちもなかった。
それなのに気づけば、自分は掌サイズの文明を見下ろしている。小さな兵士がいて、研究者がいて、AIがいて、子供までいる街の頭上で、企業の監査機を相手にしようとしている。
最悪だ、と心の中で思う。
そして同時に、その最悪を見捨てて通り過ぎられるほど、自分がきれいに壊れていないことも知っていた。
BLFSC Sentinelのコアが、白へ近い色を帯びる。
発射まで、あとわずか。
リヴェルはゆっくり腕を上げた。
夜空を見上げる。
空から降る終末と、足元にあるひどく小さな文明。その両方を視界に入れたまま、彼は静かに言った。
「おい、摂政」
REGENTが応じる。
「はい」
「いまから少し揺れるぞ」
その直後だった。
センチネルの主砲が、発射された。




