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Travel Record I:The Archived Dominion_7

「……AIか」


リヴェルがそう呟いた時、都市の空気がわずかに揺れた。


それは風ではなかった。

LPT Micro Archiveエルピーティー・マイクロ・アーカイブ全域を流れる情報層が、目に見えない速度で再編されている気配だった。中央塔の外壁を走る導光線が順に明滅し、防壁上に立つ兵士たちの装甲にも同じ色の反射が走る。都市全体が、いま発生している事態を理解しようとしていた。


ホログラムの人物――REGENT L-01(リージェント・エル・ゼロワン)は、感情の読み取れない顔でリヴェルを見上げている。


人間に似せてはいる。だが似せきってはいない。

均整の取れすぎた輪郭。

瞬きのない目。

わずかに遅れて動く口元。


人工的なものが人間の形を借りている時特有の、説明しがたい不気味さがあった。


リヴェルは足首に巻きついたナノケーブルを見下ろした。まだ切れていない。兵士たちが追加で張った拘束索がいくつも床へ打ち込まれ、自分の位置を固定している。自分が少し身じろぎするだけで、都市の何区画かが震えるのだろう。


「統治補助個体、ね」


彼は視線を上げた。


「分かりやすく言えば?」


REGENTは少しも間を置かず答えた。


「都市管理AIです」


防壁の上で、兵士の隊列がわずかにざわめいた。

彼らにとっては自明の存在なのだろうが、外から来た巨大体にそれを説明する状況自体が、想定から外れているに違いない。


リヴェルは小さく鼻を鳴らした。


「ずいぶん礼儀正しい管理者だな」


「会話可能対象に対しては、対話手順を優先します」


「会話不能だったら?」


「防衛手順へ移行します」


淡々としたものだった。

だが、分かりやすい答えでもあった。


リヴェルは少しだけ肩の力を抜いた。

少なくともいまこの瞬間、自分はただちに排除される段階ではないらしい。


防壁の中央で指揮官が武器を下ろさずに立っている。さっき名乗った中央防衛隊の男だ。肩部の発光ラインが、他の兵士よりも濃い青を帯びている。装甲の傷を見る限り、机上の指揮官ではない。実戦経験のある顔だった。


彼はREGENTへ向かって短く報告する。


「摂政閣下、巨大体は拘束下にあります。ですが、行動限界値の予測は不安定です」


REGENTの視線がリヴェルの足元へ落ちる。


「理解しています、ヴェルク」


その名を聞いて、リヴェルは頭の片隅に留めた。

ヴェルク。中央防衛隊の指揮官。


REGENTは再びリヴェルへ向き直る。


「あなたの自己申告を求めます」


「尋問か?」


「分類のためです」


リヴェルは苦笑した。


「似たようなもんだろ」


そして、ゆっくり言った。


観月みづきリヴェル。職業は運び屋だ」


都市のどこかで、情報処理音のような小さな高音が鳴った。

名前と単語が記録されたのだろう。


「運び屋」


REGENTはその語を繰り返した。


「輸送個体」


「ずいぶん味気ない言い換えだな」


「意味としては近似です」


「近似で済ませるには、こっちはだいぶ面倒な人生送ってるんだが」


REGENTはその皮肉を理解したのかしないのか、表情を変えなかった。


「あなたはどのようにして本層へ侵入しましたか」


その質問に、リヴェルの頭の奥でATLAS Fragmentアトラス・フラグメントが微かに脈を打った。


彼はその感覚を無視するように言う。


「侵入したつもりはない。仕事中だった」


「仕事」


「データ運搬だ。旧通信塔でアップロードするはずだった」


「データ名は」


リヴェルは一瞬だけ黙った。


ここで嘘をつく意味があるか考える。

だが、いま自分がこの都市にいる時点で、何かはもう読み取られているはずだ。少なくとも、首筋の神経系を経由した異常な信号くらいは。


彼は肩をすくめた。


「ATLAS Fragment」


その言葉が落ちた瞬間だった。


中央塔の外壁を走っていた導光線が、一斉に白へ変わる。

防壁上の兵士たちが目に見えて動揺した。

ヴェルクが半歩だけ前へ出る。


「……何だと」


その反応は、リヴェルの予想より大きかった。


REGENTのホログラムの輪郭が、ほんのわずかに揺らぐ。

それが感情なのか演算負荷なのかは分からない。だが、確実に都市の中枢へ大きな波紋が走った。


「再確認します」


REGENTの声は依然として平坦だったが、都市のあちこちで観測装置が起動し始めていた。


「保持データ名は、ATLAS Fragment」


「そう聞こえたはずだ」


「そのデータは現在も保持されていますか」


「頭の中にな」


リヴェルは自分のこめかみのあたりを軽く叩いた。


「神経格納で運んでる。少なくとも、運んでたつもりだった」


「運んでたつもり?」


「ここに落ちるまではな」


ヴェルクが低く言う。


「摂政閣下、危険です。やはり会話より拘束強化を――」


「待機」


REGENTは短く命じた。


ヴェルクは反論しかけたが、最後は黙った。

命令系統は絶対なのだろう。防衛隊はなおも武器を構えたままだが、誰も一歩以上は動かない。


その時、別の声が聞こえた。


「待ってください!」


高く、切羽詰まった声だった。


防壁の後方から、小さな車両が高速で近づいてくる。装甲車ではない。むしろ研究用の移動実験室に近い形だった。車体の側面から多関節アームが伸び、透明ドームの中に観測レンズがいくつも収まっている。


車両が防壁手前で停止し、中からひとりの人物が飛び出した。


白衣に似た長衣。

背中に小型演算機。

ゴーグル越しにこちらを見上げる、細身の男。


「まだ攻撃してはいけない!」


ヴェルクが露骨に嫌そうな顔をした。


「カレム・リル博士」


その呼び名に、リヴェルはこの都市にもきちんと役割の違う人間がいるのだと理解した。兵士。統治AI。研究者。小さくても、都市は都市だ。


博士と呼ばれた男――カレム・リルは、周囲の反応など無視して前へ出ると、首が折れそうな角度でリヴェルを見上げた。その目には恐怖よりも、純度の高い好奇心があった。


「信じられない……」


声が震えている。

怯えではない。興奮だ。


「分子密度、熱量、慣性係数……全部が外側だ」


リヴェルは眉をひそめた。


「さっきから思ってたが、その外側って何だよ」


カレムは答えるより先に、手元の端末を素早く叩いた。空中に複数の数値窓が開き、リヴェルの輪郭をなぞるように光が走る。


「摂政閣下、拘束は維持。ですが攻撃は厳禁です。この存在は侵略兵器ではありません」


少しだけ間を置いてから、付け足す。


「少なくとも第一義的には」


「その言い方やめろ」


思わずリヴェルが言うと、カレムはようやくこちらの言葉をちゃんと聞いたらしく、ゴーグルの奥で目を瞬かせた。


「会話能力あり……言語適応も成立している」


「お前、研究者だろ」


「ええ」


「なら人を見て第一声がそれなの、どうなんだ」


「人、ですか」


カレムは本気で考え込む顔をした。


「我々の尺度では巨大外部知的存在、ですが」


「そこで止めとけ」


ヴェルクが苛立った声で割り込む。


「博士、近づきすぎです。市民区画がまだ完全封鎖できていない」


「だからこそです」


カレムは視線をリヴェルから外さない。


「この存在が自発的に破壊行動を取らないことを確認する必要があります」


「確認が外れたら都市が終わる」


「その場合は最初から終わっているでしょう、防衛隊長」


容赦のない言い方だった。

ヴェルクの顔が一段険しくなる。


そのやり取りを見下ろしながら、リヴェルは頭痛に似た違和感がゆっくり形を変えていくのを感じていた。


これは夢ではない。

錯乱でもない。

少なくとも感触は、現実と区別がつかない。


LPT Micro Archive。

外側。

Archive Layer A。

ATLAS Fragment。


断片だったものが、少しずつ構造を持ちはじめている。


そのときだった。


防壁下の人影の列から、小さな影がひとつだけ抜け出した。


子供だった。


他の市民が後退する中、その子だけが警戒線ぎりぎりまで歩いてくる。短い髪。薄い発光布の上着。年齢は十歳にも満たないように見えた。


「ミナ!」


誰かが叫ぶ。


だが少女は立ち止まらない。


大きな瞳で、リヴェルをまっすぐ見上げる。


そして、小さな声で言った。


「このひと」


都市の拡声音場が、その声を拾い上げる。


「泣いてるみたいな顔してる」


リヴェルは一瞬、意味が分からなかった。


次に、自分が相当ひどい表情をしているのだろうと気づいた。頭痛と警戒と状況の理解に追いつかない苛立ちで、ろくでもない顔になっていたはずだ。


「泣いてはない」


そう答えると、ミナは少しだけ首を傾げた。


「でも」


ほんのわずか考えてから言う。


「知らないところに来た顔してる」


その言葉が落ちた直後だった。


都市の上空で、警報が鳴った。

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