Travel Record I:The Archived Dominion_4
湾環外縁へ向かう道路は、都市の中心とは別の顔をしている。
東澪圏の中心部は、光と広告で満ちている。ネオン、企業ロゴ、投影広告、金融データの帯。どれも人間の目を離さないための光だ。だが都市の外側へ行くほど、その光は剥がれていく。
まず広告が消える。
次に人の気配が減る。
最後に残るのは、都市を動かすための機械の光だけだ。
リヴェルのバイクは、その光の帯の上を滑っていた。
道路は広い。
広すぎるほどに。
かつてこの辺りには、人間が運転する大型トラックが何百台も並んでいた時代がある。港と都市を結ぶ物流動脈。だが今は違う。輸送のほとんどは自動化され、人間が運転する必要のない道路だけが残った。
高架の上では、無人貨物列車が滑るように走っている。
空では配送ドローンの編隊が音もなく移動していた。
都市は今も動いている。
ただ、その中心に人間はいない。
リヴェルはバイクを少し減速させた。
「……静かだな」
独り言だった。
ヘルメット越しに聞こえるのは、電動モーターの低い唸りと風の音だけだ。港の方から潮の匂いが流れてくる。都市の中心にいると忘れがちだが、ここはまだ海に近い。
湾環外縁。
都市の縁。
企業の管理網が一段薄くなる場所。
そこには、東澪圏が巨大化する前の設備がいくつも残っている。古い通信塔。旧型の気象観測施設。停止したままの物流ターミナル。
旧第七通信塔も、その一つだった。
やがて前方に影が見えてくる。
鉄骨の塔。
高さは百メートルほど。
細い支柱が夜空に突き刺さるように伸び、途中から何本ものアンテナが枝のように広がっている。今の通信設備と比べれば、ずいぶん原始的な構造だ。だがその古さが、逆に異様な存在感を持っていた。
都市の外縁に立つ、忘れられた骨格。
リヴェルは塔の下へバイクを滑り込ませ、エンジンを落とした。
周囲は静かだった。
静かすぎる。
遠くで風が鳴る。
錆びた金属がわずかに軋む。
それ以外、何もない。
リヴェルはヘルメットを外した。
冷たい空気が顔に当たる。
海風は港よりも強い。高架や建物に遮られていないせいだろう。
彼は通信塔を見上げた。
昔の通信設備というのは、だいたい巨大だ。電波という見えないものを扱う装置は、なぜか人間にとって安心できる形をしていない。無駄に高く、無駄に広く、無駄に空を掴もうとしている。
この塔もそうだった。
夜空の中で、骨組みだけが黒い影として浮かんでいる。
「ここでアップロード、ね」
誰に聞かせるでもなく呟く。
頭の奥。
ATLAS Fragmentの存在を、彼はもう一度確かめた。
まだいる。
脳の奥の深い場所に、冷たい塊が沈んでいる。
ただのデータとは思えない感触だった。
情報ではなく、構造物。
触れると指を切りそうな硬さ。
「……気持ち悪いな」
リヴェルは軽く首を回した。
インターフェースがわずかに熱を持っている。
神経格納の負荷が完全には抜けていない。
普通のデータなら、ここまで残らない。
彼はそれ以上考えないようにして、塔の入口へ歩いた。
鉄の扉。
半分開いている。
リヴェルはその前で立ち止まった。
「親切だな」
当然、信用はしない。
扉の隙間から中を覗く。
暗い。
だが完全な闇ではない。壁面の古い保守灯が、青白い光を灯している。床には太いケーブル束が走り、壁には古い通信機器の残骸が並んでいた。
人の気配はない。
熱源も少ない。
ただ、空気が妙に冷えている。
人が長くいない建物特有の、時間だけが沈殿した温度。
リヴェルは静かに中へ入った。
塔の内部は空洞だった。
中央にエレベータシャフトがあり、その周囲を螺旋階段が取り巻いている。だがエレベータはとっくに止まっているらしい。電源が生きている気配がない。
彼は階段を見上げた。
最上階まで、だいたい二十階分。
「……歩くしかないか」
リヴェルは階段を上り始めた。
鉄の階段が足音に合わせて鳴る。
カン。
カン。
カン。
音は塔の内部で反響し、必要以上に大きく聞こえた。
三階。
五階。
八階。
途中で一度立ち止まり、下を見下ろす。
暗いシャフトの底に、入口の光が小さく見える。
誰も追ってくる気配はない。
それでもリヴェルは無意識に、周囲の音を拾っていた。
職業病だった。
運び屋という仕事は、基本的に誰かに追われる可能性を前提にしている。依頼主。企業。監査AI。あるいはもっと面倒な相手。
静かすぎる場所ほど、警戒は強くなる。
やがて最上階へ辿り着いた。
制御室の扉は開いていた。
中へ入る。
部屋は思ったより広い。
中央には古い通信中継台が残されていた。蜘蛛の巣のようにケーブルが伸び、機械の骨格だけが残っている。何十年も前の装置だろう。
だが。
ひとつだけ新しいものがあった。
中央の接続端子。
最近取り付けられたものだ。
リヴェルは台座の前に立った。
その瞬間。
スクリーンが起動する。
暗い部屋の中央に、白い文字が浮かび上がる。
UPLOAD READY
CONNECT LIVING STORAGE
リヴェルは周囲を見回した。
罠らしいものはない。
熱源もない。
監視ドローンの反応もない。
だが、それが逆に不自然だった。
「……静かすぎる」
塔の外では、風が鳴っている。
だがこの部屋には、その音すらほとんど届かない。
リヴェルはしばらく台座を見つめていた。
頭の奥。
ATLAS Fragmentが、ほんのわずかに脈打つ。
それは、まるで。
何かが、この場所を知っているような反応だった。
リヴェルは小さく息を吐いた。
「考えすぎだ」
誰に言うでもなく呟く。
そして首筋の神経ポートへ手を伸ばした。
接続ケーブルを手に取る。
冷たい金属。
彼は端子をポートへ差し込んだ。
その瞬間。
スクリーンの表示が、白く跳ねた。




