Travel Record I:The Archived Dominion_3
接続した瞬間、視界の奥で光が弾けた。
神経直結のデータ格納は、観月リヴェルにとって珍しいものではない。むしろ職業上、何度も経験してきた感覚だ。通常のデータ転送なら、頭の奥を薄い水流が通り抜けるような軽い違和感だけで終わる。
だが今回のそれは、明らかに違った。
重い。
量が多いという意味ではない。もっと別の、質の問題だ。
情報が流れ込むというより、何層にも折り畳まれた構造体が神経の奥へ押し込まれてくる感覚。
脳の中に、冷たい雨が降ってくる。
リヴェルは思わず歯を食いしばった。
視界の端に、文字列が走る。
DATA ID : ATLAS Fragment
ENCRYPTION : QUANTUM SEALED
STORAGE MODE : LIVING
量子封印。
その言葉だけで、このデータの価値は大体想像がつく。普通の企業機密ではない。研究機関か、国家レベルの何かだ。もしくは、その両方。
そしてこの都市で、その言葉と結びつく企業はひとつしかない。
Swyft Archive。
さっき高架下で見たロゴが、嫌な形で頭の中に浮かぶ。
ロードは続いていた。
暗号鍵。
構造データ。
圧縮階層。
認証ブロック。
断片的な情報の洪水が、神経回路を通って奥へ沈んでいく。
リヴェルは目を閉じた。
神経格納のコツは簡単だ。
抵抗しないこと。
データの流れを押し返そうとすると、逆に神経へ負荷がかかる。脳は元々、こういう種類の情報処理を想定して作られていない。だから無理に理解しようとすると、単純に壊れる。
ただ通す。
ただ流す。
通過する情報を意味として認識しないこと。
それが運び屋の基本だった。
数秒。
あるいは数十秒。
体感時間は曖昧だった。
そして突然、転送が終わる。
接続ケーブルが自動で外れた。
銀色の線がゆっくり床へ戻り、ケースの表面表示が一瞬で消える。内部メモリが自己消去に入ったのだろう。企業仕様の完全消去だ。再接続しても、もう何も残っていない。
リヴェルはその場でしばらく動かなかった。
頭の奥に、確かな異物感が残っている。
生体格納は慣れている。
だが今入れたものは、ただの情報とは思えなかった。
形がある。
触れると指を切りそうな、硬い構造体。
「……気持ち悪いな」
小さく呟く。
首を軽く回すと、インターフェースの接続部がじんわり熱を持っているのが分かった。負荷はかなり大きかったらしい。
彼はゆっくり倉庫を見回した。
中央のケースはすでに沈黙している。
照明の薄い青い光だけが、空の倉庫を照らしていた。
依頼はこれで半分終わりだ。
残りは、湾環外縁の旧通信塔へデータをアップロードすること。
それで金が振り込まれ、仕事は終わる。
普通なら。
リヴェルは倉庫の出口へ歩き始めた。
扉を抜けると、海風が頬を打つ。
倉庫の中より、外の空気の方がずっと生きている。潮の匂いと遠くの機械音が混ざり、東澪圏の港の夜が戻ってきた。
少しだけ現実に引き戻される。
彼は岸壁の方へ出て、遠くの都市を見た。
黒い水面の向こうに、東澪圏の夜景が広がっている。
丸ノ環の高層群は遠くからでも分かる。都市の中心はいつだって夜景の形で支配を主張する。無数の塔が空へ伸び、その頂部からデータ光が上空の通信層へ接続している。
その一角に、ひときわ高い塔があった。
ガラスと光だけで出来たような建築。
装飾はほとんどない。
だが、その無駄のなさが逆に存在感を強めている。
Swyft Archive 本社塔。
頂部では、青銀色のリング構造がゆっくり回転していた。リングから伸びる細い光が、雲より高いデータ層へ繋がっている。
都市のどこからでも見える企業の中枢。
リヴェルはそれをしばらく眺めてから、小さく毒づいた。
「どうせロクでもない」
その時だった。
頭の奥で、ATLAS Fragmentが微かに脈打った。
ほんの一瞬。
だが確かに、何かが動いた。
リヴェルは眉をひそめた。
神経格納したデータが、格納後に反応することはほとんどない。通常はただの記憶領域として沈黙しているはずだ。
今のは。
まるで。
何かがこちらを覗いたような感覚だった。
リヴェルは少しだけ空を見上げ、それから小さく息を吐いた。
「……気のせいだ」
そう言って、自分を納得させる。
港の暗い道路を歩きながら、彼はポケットから起動キーを取り出した。高架下に停めてある黒い自動バイクが、静かに起動シグナルを受け取る。
エンジンは電動式だ。
都市のセンサーに引っかかりにくい古いモデル。
リヴェルはシートに跨がり、ヘルメットを被った。
湾環外縁。
旧第七通信塔。
そこでデータを流して終わり。
簡単な仕事のはずだった。
だがアクセルを開ける瞬間、彼はもう一度だけ振り返った。
港湾の向こう。
東澪圏の夜景。
そして。
Swyft Archiveの塔。
リング構造がゆっくり回り続けている。
その光景は、どこかで見た装置に似ていた。
巨大な観測機。
リヴェルは首を振った。
「考えすぎだ」
バイクが走り出す。
港の灯りが後ろへ流れていく。
そしてこの数分後、観月リヴェルはまだ知らない。
自分が運んでいるデータが、ただの企業機密ではないことを。
それが。
文明の観測装置そのものの断片であることを。




