Travel Record I:The Archived Dominion_2
品河ポート第九バースは、東澪圏の地図の上ではまだ現役の港湾区画として表示されている。
だが実際に足を踏み入れると、その半分以上は時間から切り離された場所だった。
高架を抜け、物流層の外縁へ入った途端、街の音が変わる。人間の生活音が薄れ、代わりに機械の残響だけが残る。遠くで大型クレーンが稼働している低い唸り。コンテナ自動搬送機の鈍い駆動音。海から吹き込む風が錆びたフェンスを揺らす音。
それらはすべて聞こえているのに、奇妙なくらい静かだった。
港という場所は、本来もっと汚く、もっと喧しく、もっと人間臭いものだとリヴェルは知っている。人が汗を流し、怒鳴り、積み荷のぶつかる音がして、ようやく港らしくなる。だがこの辺りには、そのどれもなかった。
あるのは、使われなくなった設備だけだ。
再開発から外された土地には、都市の本音が出る。
儲からない場所は、綺麗に忘れられる。
品河ポート第九バースもそういう区画だった。
岸壁沿いの倉庫群は塩害で白く曇り、外壁の塗装は何層も剥がれていた。古い搬送レールは途中で途切れたまま止まり、保守用の照明は半分以上が切れている。現役区画の照明は遠くで白く滲んでいるが、この辺りまで来るとその光も弱い。闇が、まだ闇として機能している場所だった。
リヴェルはバイクを高架の影に停め、ヘルメットを外した。
潮の匂いに混じって、油と湿ったコンクリートの臭いがする。海風は冷たかった。雨の名残を含んだ空気がジャケットの襟元から入り込み、首筋のインターフェースをわずかに冷やした。
彼は端末を開き、座標を確認した。
旧冷蔵倉庫。
地図上の赤い点は、岸壁から一本裏へ入った細い搬送路の先にあった。
視線を上げると、すぐにそれと分かる建物があった。高さ二十メートルほどの金属倉庫で、外壁は海風に晒されて艶を失い、ところどころ錆が浮いている。正面の大型シャッターは閉じられ、立入禁止のホロサインが斜めに重なっていた。封鎖テープもある。だが貼り方が雑だ。人を本気で遠ざけるための封鎖というより、形だけの処理に見える。
「やる気ねえな」
リヴェルは小さく呟いた。
もっとも、こういう雑さの方が逆に気持ち悪いこともある。
本当に隠したいものは、綺麗に隠す必要がない。近づいた人間だけ処理すればいいからだ。
彼は正面には向かわず、建物の側面へ回った。
旧式の倉庫は、だいたいどこかに保守用の通路がある。人間が点検することを前提に作られた時代の建築だからだ。今の物流施設みたいに完全自動化されていないぶん、侵入経路も多い。
側面には案の定、細い通路と小さな点検扉があった。
金網フェンス。電子錠。端子口。
リヴェルはしゃがみ込み、ジャケットの袖口から細いプローブを一本抜いた。金属製の細い針にしか見えないが、簡易解析と開錠のための工具だ。正規の保守員が使うより、非正規の人間の方がよく扱う類の機材だった。
端子口へ差し込む。
視界の端に、小さな解析ウィンドウが立ち上がる。
認証形式は古い。企業標準より二世代前。だが、監視トレースだけ妙に丁寧に組まれている。開錠そのものを防ぐより、侵入があった事実を確実に記録する構造だ。
リヴェルはそれを見て、わずかに口の端を下げた。
「雑なようで、変なところだけ真面目だな」
侵入者が来ることを前提にしている。
あるいは、来るべき人間だけが来ることを知っている。
どちらにしても、気分は良くなかった。
数秒後、電子錠が小さく鳴って解除される。
扉が数センチだけ浮いた。
リヴェルは隙間に指をかけ、体を滑り込ませた。
倉庫の中は冷えていた。
冷蔵機能自体はとっくに死んでいるはずだ。だが壁面の断熱材が外気を拒んでいるせいで、空気だけが古びたまま閉じ込められている。湿度が高いのに乾いているような、奇妙な温度感だった。人のいない建物特有の、時間だけが沈殿した空気。
天井には巨大なクレーンレールが走っていた。床には古い搬送ラインと、剥き出しの導線。どれも何年も使われていないはずなのに、中央だけが不自然に整理されている。
リヴェルはゆっくり奥へ進んだ。
足音が、必要以上に大きく響く。
倉庫は広い。何百トンもの冷凍貨物を保管していた時代の容量を、そのまま空虚だけで保っている。人間の気配はない。熱源も少ない。だが完全に死んだ場所の静けさとも違った。何かひとつだけ、ここで生きているものがある。
それはすぐに見つかった。
暗がりの中央。
床面に固定された銀色のケース。
棺にも見えるし、医療用カプセルにも見える。だがどちらでもないことは、表面に走る警告表示を見れば分かる。
保存温度。
開封制限。
外部複製禁止。
認証外アクセス時自己消去。
すべてが企業仕様だ。
その中でも、特に金のかかった仕様だった。
リヴェルはケースの前に立った。
すると表面のパネルが自動で起動し、青い投影UIが空中に展開された。
TRANSFER UNIT LOCKED
AUTHORIZED LIVING STORAGE REQUIRED
リヴェルはその表示を見て、小さく笑った。
「はいはい。そういうことか」
Living Storage。
人間の神経系を一時的な保存領域として使う方式だ。違法データの運搬、追跡回避、あるいは物理媒体そのものを残したくない案件で使われる。
珍しい技術ではない。
だが、ここまで露骨にその方式を前提にしている荷物は珍しかった。
ケース側面から、細い接続ケーブルが一本だけ伸びている。
銀色の線。細いくせに妙に重い。
リヴェルはすぐには手を伸ばさなかった。
代わりに周囲を見回す。
倉庫の四隅。天井クレーンの陰。壁面の保守口。監視カメラらしきものは見当たらない。だが見当たらないから安全とも言えない。見せる必要がないから見せていないだけかもしれない。
彼はポケットから個人用の小型ログを取り出した。古い機種だ。企業ネットワークから完全に切り離されていて、便利さよりも閉鎖性を優先している。
録音を開始する。
「Courier G、案件受領」
自分の声が倉庫に響く。
「場所、品河ポート旧冷蔵倉庫。荷は生体格納型。依頼主匿名。報酬は通常の五倍」
そこで少し止まる。
冷気を吸い込む。
「匂いは最悪」
ログを閉じる。
端末を戻し、リヴェルは改めてケースを見る。
受けるしかない仕事というのは、だいたい受けた瞬間に後悔が始まる。
この仕事も、たぶんそういう類だった。
彼はジャケットの襟を少し下げ、首筋のインターフェースを露出させた。耳の後ろから鎖骨のあたりへ走る細い金属ライン。その途中に、小さな接続ポートがある。
ケースから伸びたケーブルを手に取る。
金属は冷たい。
冷たすぎて、逆に生き物みたいだった。
リヴェルは一度だけ深く息を吸った。
嫌な予感は、たいてい当たる。
「……まあいい」
誰に向けるでもなく言う。
「どうせ、断っても寝覚めは悪い」
そしてケーブルを、首筋の神経ポートへ接続した。




