雨は必ず降る!
雨が部室の窓にぶつかってぱらぱらと音を響かせている。
雪乃が口を開く。
「部誌を作ろう」
「ええっ!」
「漫画研究会も写真部も天文部もつくっている……部活存続のためにも必要だと思う」
烈火は、なんとなく二人の空間が外部と接続されてしまうような気がしていた。
「それに私たちがいた証がほしい」
「つくりましょうっ!」
と、いうわけで部誌をつくることになった。その内容は学校周辺で起こった怪談や呪物、都市伝説にしようと決まった。
「どんな話を書きますか?」
「『傘の女』という都市伝説は知っている?」
「いえ……まったく……」
「彼女が現れるのは、そう……こんな雨の日。トンネルの近くに出る」
雪乃は囁くように語り始める。
「傘を持った女性が『家まで送りましょうか』と声をかける。
その傘の中に入り、トンネルを進むと二度と帰れなくなる」
窓が風を受けて、がたがたを震える。
「でも、どうしてその話を……」
「目撃証言があるの……この高校の生徒が見たらしい」
「本当なんですかっ!」
「まだ部活で残っている生徒がいるからこれから取材する」
烈火は壁にかかっている時計を見る。18時半を指していた。
「すみませんっ!今日は早く帰りたいんですっ!」
「そうなんだ。どうして?」
「今日、20時からリアタイしたいTVアニメがあるんですっ!」
そして、通学時間は1時間。30分前から心を落ち着けてTVの前に座っていたい。
「リア……タイ……?配信されてないの?」
「サブスクに払うお金は節約したいっ!」
「お金……」
取材はまた後日しようということになり、二人は校舎を出る。
雪乃が傘をさしているのを後ろから見ながら烈火は悩む。烈火は傘を持ってきていなかった。
「俺、自転車なのでっ!またっ!」
雪乃が何か言いかけているのにも気づかず、烈火は駐輪場に走って自転車を漕ぎだした。雨が頬を伝っていく。
周りに人はおらず、薄暗い坂道を下っている。
濡れた落ち葉が滑りやすい。自転車のハンドルをがっちりと掴む。肘を張ってぶれないようにする。タイヤが水たまりを切っていく。ケーブルカーの音が遠くから聞こえた。
そんなときだった。
白い服を着た女性が立っていた。
濡羽色の長髪を肩に垂らし、唐傘を差している。女性の低い声で、
「家まで……」
「ああああっ!」
自転車が勢いよく女性の横を過ぎていく。雨の日は急に止まれない。ブレーキをかけようとして右手をぎゅっと掴む。気づく。右手は前輪のブレーキ。それがよぎったら、すでに地面、
「わああぁ!」
自転車から身体が放り出されて、落ち葉で滑る。自転車が倒れる音がした。
「だ……大丈夫……ですか?」
「大丈夫ですっ!」
後ろからの声に反射的に返事をしてしまう。まつ毛に滴る雨水を右腕で拭いとって振り向く。
先ほどの女性だ。下っているときは分からなかったが、年齢は20代ほどの見た目だ。服から伸びる腕は病的に白く、そして細い。
女性は咳払いをして、
「えっと……家まで送りま、」
「傘に入れてくださいっ!」
烈火は自転車を押していく。
雨の日、白い服、傘。
それでぴん、ときた。さっき話していた、傘の女だ。これは調査すべきだっ!オカルト研究部の存続のためにっ!
烈火は傘の中に入ろうとして躊躇する。
俺には先輩がいるのに。でも、ここで踏み出さなければいけないんだっ!
唐傘の中に入る。女性は傘を右に傾けて、こちらの肩に雨が降らないようにしてくれていた。雨が二人の空間を世界から切り出しているかのような錯覚を与えた。
「好きな子いる?」
「うぇええっ!」
図星なんだ、と言って女性は目を細くする。寂しい目だ。烈火は、その目には自分は映っていないと何となく思った。
先輩の話だと、傘の女はトンネルに誘う。ここにトンネルなんてあるのか。いや……ある。
ケーブルカーのトンネル。
「柵に登ろう?」
烈火たちの目の前には柵越しにはすでに、ケーブルカーの通るトンネルがあった。
「登るんですかっ!」
「ええ……登る」
女性に一片の迷いはなかった。
「傘を持っていて?」
「後ろ支えてますからっ!」
「優しいんだ……君は……」
女性は柵に手をかける。人の高さほどある柵だ。
「うっ」
腕の引き寄せる力が足りず、どうしても柵を越えられない。それをもう三回繰り返していた。
「うわっ」
ついに女性は足をすべらせてしまう。それを烈火が受け止めた。
「私……もう無理かもしれない……」
「あと少しじゃないですかっ!」
「その少しが足りないの……あのときだって……ずっと」
「いいですか、雨は必ず降ります。梅雨ならなおさら。そのときあなたは思い出したいんですかっ!柵を越えられずに逃げ帰った自分のことをっ!
あのとき本気を出していたらもしかしたらやれたかもしれない、なんて甘い可能性に過去にすがる人間になるんですかっ!」
「どうしてそこまで付き合ってくれるの……?」
「確かにっ!確かにアニメが20時からやるから早く帰りたいという気持ちもあるっ!だがっ!」
人が困難にぶち当たっているときに一緒にぶち当たれない人間はっ!自分の壁に気づきもできませんっ!俺は壁にぶち当たれる人間でいたいっ!」
「私は……私は今立ち向かいたい!」
女性は助走をつけて柵に飛びつき、その勢いのまま向こう側まで落ちていった。
「私……できた……」
やったああっ、と烈火が喜ぶ姿を柵越しに女性は見ていた。
「あなた……行って……アニメに間に合いたいんでしょう?」
「すみません……越えられなくて。俺は俺の道しか走れません……」
「傘は持って行って……私にはもう必要ないから」
俺は濡れるの平気ですから、というやり取りを三回繰り返し、また会ったときに返すという結論に至った。烈火が傘を差しながら坂を下っていく。女性は、その後ろ姿が消えていってもずっと眺めていた。
思う。あの人に好きな人がいる。あんな人に想われているなんてどんなに幸せだろう。
目をつむる。雨の音、男の顔、読まれない手紙。昔のことを思い出してしまう。光とトンネルと、そして闇。
濡れた黒髪が左からの光を湛える。その方向へ目をやると、ケーブルカーが見える。少し、笑った。
「一緒に帰りたかったな」
もう強食高校で傘の女の目撃証言が出ることはないはずである。
*
烈火は『出現!傘の女!』という見出しの本文を書いた原稿用紙を雪乃に渡した。
「どうですか……?」
雪乃はページを物凄い速度でめくっていく。
「これ怪談ではないね」
「はい……」
「柵を必死に登ろうとする怪談は怖くないから」
「はい……」
雪乃は口角が上がるのを手で隠して、
「でも私は好き」
烈火が黙っていると、
「顔赤いけど熱?」
「気のせいですっ!」
チャイムが鳴り、二人は解散し、烈火は自転車を漕ぐ。その自転車には唐傘をさしてあった。
あれから雨の日でも晴れの日でも、何となく周囲を見回しながら坂を下っている。
それからずっと烈火の自転車には唐傘がささっていて、クラスメイトはそれをよく面白がっていた。




