紫陽花の木の下には……
紫陽花の木の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。
と雪乃は4階の教室から、高校に植わっている紫陽花を眺めながら考えていた。
「雪乃」
瑞穂の声で視線を窓から教室へ移す。
「なにか見える?」
「何も」
「なんかミステリアスぅ」
瑞穂はからかうように笑った。すらっとした目を細めている。
「今日はあんまり食べてないね。いつもが多いんだけど」
「まあなんとなく」
珍しい、と瑞穂は驚く。そして、あっと気づいて、
「ヘアピン可愛い!どこで買ったの?」
「お母さんがプレゼントしてくれた」
雪乃はその事実が恥ずかしくて、その長い黒髪に手櫛で梳く。
「えーめっちゃ似合ってる!」
雪乃は笑い返す。瑞穂はおしゃれだ。自分がおしゃれについて考えるようになったのは最近のことだったので羨望を抱く。休みがちだったために自分だけが鳥かごの中に入れられて、周りがどんどん成長していくのが少し怖かった。大学生になって制服に頼れなくなったらどうすればいいんだろう。
「何の話ー?」
友香が雪乃の机の横について、腕を乗っけて話に入る。瑞穂がそっちを向いて、
「えー何でもない話」
「教えてくれてもいいじゃん」
「雪のヘアピン、可愛いねって」
「私も思ってた!」
友香はおしゃれになりたくて瑞穂のアンテナに引っかかったものをいつも肯定していた。
雪乃は世界史一問一答をバッグから取り出して、
「『約240万年前に』」
「原人!」
友香が答える。瑞穂は驚いて、
「早っ!まだなんも言ってないよ」
「もう覚えてるの」
「うわっ。でも最初だけでしょ」
「せいか~い!やる気出たら参考書の最初だけやって力尽きちゃうんだよね」
「あるある~」
雪乃は二人の会話を微笑みながら聞く。でも意識は窓にいっている。窓越しに見える紫陽花。
1か所だけ赤い。
紫陽花の色は土壌の水素イオン指数で決まる。酸性なら青色、アルカリ性なら赤色。人間の血液が弱アルカリ性のため、赤い紫陽花の下には屍体が埋まっている、なんて言われる。いつかのオカルト研究部の題材として使おうか。
「ねえ、ひどくない?」
友香が怒りのこもった声でこちらに共感を求めている。
見ると、瑞穂が別のグループへ行ったらしかった。別クラスの人と廊下へ出ていくのが見える。
「そうかも」
曖昧に返事をする。八方美人みたいで自分を嫌になる。
「真由って、瑞穂の近くにいるだけで自分までおしゃれになったと思ってさ」
自虐かと思う。
「でも私が瑞穂の一番の友達なんだ~」
「なんで?」
言葉を間違った、と雪乃は思った。しかし友香は気に留めず、
「筆箱に私がプレゼントしたシャーペン。ずっと使っててくれてて!
それに真由が渡してたハンカチもう使ってないし」
雪乃は思う。自分を消極的な八方美人だとしたら、瑞穂は積極的な八方美人だ。どちらのほうが罪が重いのだろう。スリラー映画ならどちらが襲われるのだろうか。
昼休み終了のチャイムが鳴る。
英語の教科書を出す。瑞穂が教室へ入ってきて、自分の席、つまり雪乃の前の席に座る。こちらを振り向いて、
「ごめんね~途中で抜けちゃって」
「友香にも言ってあげて」
瑞穂は目を細めて笑った。
「そうだね」
その声は滑り込むように入ってきた運動部の男子たちによってかき消されて、雪乃の耳には入らなかった。だが、なにか言っていることだけは口から分かって、また曖昧に笑った。
6時間目は古文。移動教室で特別棟に行く。空は灰色で、気分が上がることはない。
紫陽花はいつもの校舎と特別棟との間にある。三人は歩きながら、それを見ると立ち止まって、
「風流ですなぁ~」
友香はもう古文の世界に浸っているようだ。瑞穂はそれに少し笑って、
「あそこの。赤い」
「ほんとだ」
「知ってる?赤い紫陽花の下には、」
「屍体が埋まっている」
雪乃が言葉を重ねた。
友香が、その低い声にけたけたと笑って、
「雪は好きだね~殺人事件」
「私が好きなのはオカルト、怪異、」
「あっ」
友香が周りに示すように大声を出す。
「なに?」
「プリント!教室に忘れた」
「付いていく?」
「二人は先行ってて!」
友香は風のように教室へ戻っていった。
「元気だね」
瑞穂の言葉に、うん、と返す。
「紫陽花の下に埋めたい人、いる?」
唐突な問いに雪乃は当惑する。
「いや、いない」
「そっか……」
「埋めたい人いるの?」
「秘密」
「なにそれ」
2人は歩き始める。特別棟に入って、階段をのぼりながら友香が、
「前貰ったお守り、ずっとバッグに結んでる」
「見えてる。後ろの席だから」
「ご利益は、えっと……」
「消化器系健康」
「それ!すごくニッチ!」
笑うたび友香の、色素の薄い前髪がまつ毛にかかって、それを薬指で流している。
「でも白いレースがかかってるのが珍しいよね。すごく綺麗」
「気に入ってくれて嬉しい」
「私、雪と話してるときが一番気が楽……自分の世界を持っているっていうか、流されないところ」
「そうかな」
「友香には秘密ね?」
瑞穂は秘密をいっぱい持っている。こういうことを別の人にも、友香にだって言っているだろう。
「追いついた!」
友香はくちゃくちゃのプリントをノートに挟んでいた。
その姿を見て、瑞穂は肩を揺らして笑っていた。
放課後。校門前。ケーブルカー乗り場へ向かう。
今日、部活はない。理由は疲れたからだ。ああいう会話は疲れる。それも板挟みのようになっている。
「先輩っ!」
烈火が自転車を漕ぎながら後ろから声をかける。
こういう人は今日みたいな人間関係で悩むことなんてないんだろう、と雪乃は思う。
「烈火くん、後ろ乗せて?」
「本当ですかっ!」
「私の家、あの喫茶店だから。場所覚えてる?」
「当然ですっ!」
いつ聞いても暑苦しい声が、今日は羨ましい。
自転車のリアキャリアに座る。
「……ケーブルカー、あれから怖いですか」
「今日はあの日だから」
烈火は意味が分からずに、ペダルに足をかけたまま止まっていた。だが、急に察してあっ、と声を出す。大変ですよね、なんて言っている。ちゃんと掴まっていてください、と烈火は自転車を漕ぎだした。顔が見えないが、真っ赤に染まっているのだと簡単に分かる。
坂を下る。後ろに座っていても風が当たって髪がなびく。視界の8割は黒で覆われる。景色なんて見えない。だが、それでも雪乃は気持ちがよかった。
本当は、あの日なんかじゃない。
烈火くんには悪いことをした、と思う。
今日は摩耗して誰にも会わずに帰ろうと決めていた。だがさっき会ったとき一緒に帰りたいと思ってしまったのだ。それだったら部活休みなんてしなければよかったのに。
「やっぱり烈火くんは面白いね」
「ええっ!俺なにも言ってませんよ……」
雪乃は穏やかに笑う。黒髪から透ける、ブラウスの白が今日一番爽やかな色だと思った。でも、それに抱き着いたら紫陽花みたいに赤く染まりそうでリアキャリアに掴まったまま風を受けていた。




