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泥の味は勝利の味!

 オカルト研究部部室の教壇に赤峰烈火は立っていた。その周りには氷室雪乃と白鷺浩一郎が椅子に座っていて教壇のほうを向いている。椅子の後ろには雪乃の友達である瑞穂と友香。筋肉痛だった高橋も、冷え性の佐藤も、関節リウマチで悩んでいた鈴木もいた。城ケ崎美咲は烈火の横で黒板に背をもたせている。


 つまり、この教室には9人いる。


 9人いる!


 それがどういうことか分かるかっ!


「野球をするということだっ!」


 部室に動揺が伝わる。だが、浩一郎はこういう状況が怒ることに慣れてきていた。


「……誰と戦うんだ?」


「野球部とだっ!」


「ま、まさか……!」


「ふっふっふっ……! この試合に勝てばUFOでもなんでも呼べるっ!」


 烈火はその試合の交換条件、もしこちらが負けたら烈火が野球部に転部することを言わなかった。余計なことを言って心配させたくなかった。それに試合前に勝つこと以外を考えている奴は勝てないっ!


「私野球したことなーい、瑞穂もだよね」


 友香の言葉に皆は首肯していた。ここには烈火以外、野球経験者はいなかった。城ケ崎はドラマの影響で軟式のバットを持っていたが、一週間素振りしたあと相手がいないので玄関に置いて使わなくなっていた。そういう9人が集まっているのだ。


「だから今から特訓だっ!」

 

 だが試合まで2日しかない。


 いや、2日しかないからこそ今から特訓するんだっ!


  *


「だ……だめですぅ、泥の味がするぅ……」


 初めにへばったのは冷え性の佐藤である。その弱弱しい声を最後に5キロのグローブに吸われていくように地べたに這いつくばった。自分の汗でできた泥水が唇についてしまう。それを皮切りに、瑞穂も友香も筋肉痛も関節リウマチも倒れこんでしまった。雪乃の脚は小鹿のように震え、浩一郎だって膝に手を置いて目にたまる汗で瞼を開けられなくなっていた。

 

 そうなるのは当然である。


 運動習慣のない人間を集めて真夏の太陽の下、5キログローブキャッチボールと10キロバットの素振りを繰り返させているからだ。特訓がバットの握り方やボールの投げ方から始まったことを考えると大した成長速度である。


「そこでへばるのか! お前ら!」


 城ケ崎はバットの素振りを続けていた。金髪の頭からだらだらと汗が流れている。


「先生だけ……ただの軟式用のバットじゃないですか……」


 雪乃はそう言い残し倒れた。砂ぼこりがたつ。周りの砂の色が濃くなる。


「あれを見ろ!」


 城ケ崎が指差した先にいたのは、烈火だった。


 汗と涙を垂れ流しながら階段を上っている。腕いっぱいのリストウェイトと脚いっぱいのアンクルウェイト、頭には5本もペットボトルを乗せて、それに整地ローラーを引っ張っている。烈火の走った跡には川が流れていた。

 

 こんなの無茶だ。見た人は誰しもが思うだろう。


 しかし、烈火は確かに走っていた。


「確かにお前たちは野球経験がないだろうし! 運動神経だってよくないし! 成績だって下のほうだし!」


「フリの部分だったらどんな悪口を言ってもいいんですか!」

 

 城ケ崎は浩一郎に言われて、コホンと咳払いをする。夕日が背中を照らしていた。

 

「だから根性しかないんだ! 泥水をすすれ! ありがたくすすれ! それが勝利の味だ!」

 

「そんなの無茶苦茶じゃないか!」


「この勝負、無茶が通らなければ勝利には辿り着かない!」


「な……なに!」


 皆、納得してしまっていた。いや、頭では理解してない。仮にも進学校の高校生である。そこまで馬鹿じゃない。だが、理解と納得は別物なのである。心がそうでもしなければ勝てないと感じ取ってしまったのだ。


 一番深く感じてしまったのは浩一郎である。奥歯をぎりぎりと噛みしめて、頭の血管が爆発しそうな痛みに耐えていた。思う。自分は烈火よりも甘ちゃんなんだ。追い込まれたときに立ち止まる人間と、進む人間がいる。今、自分は前者で、烈火は後者だ。だがな。自分が甘ちゃんだと自覚できた人間は、お前よりも数段先をいっているんだ。無知の知だからな!


 足を引きずりながら一歩前へ踏み出した。


 や、やった……!


 かすれた声が口からこぼれた。


  *


「まだやってたのか」


 烈火がその声をたどると、野球部部長がいた。あたりは暗く、ナイター照明が煌々と光って、日焼けした肌を照らしていた。


「当然ですっ! 勝つために戦いますからっ!」


 野球部部長がスポーツバッグから水を取り出して渡す。ごつごつとした大きな手だった。ありがとうございますっ! と烈火は口をボトルに触れないように、上から水を口へ注ぐ。ねっとりと汗が流れる。夜だというのに空気がぬるい。

 

「なんで野球をやめたんだ?」


「オカルト研究部に入るためですよ」


「じゃあなんで一年のとき帰宅部なんだ。僕があんなに勧誘したのに」


「……」


「来年の野球部を甲子園に連れて行ってほしい……僕が見せられなかった景色を後輩に……」


「俺だって見たかった……っ」


 烈火は俯いて、その表情がわからない。

 

「俺はこの試合を野球人生のはなむけにしますから」


「それって……」


 野球部部長は感じていた。自分が避け続けていた覚悟を。僕は大学に行っても野球を続ける。その後だって休日に草野球を励むだろう。自分には野球を終わらせるという覚悟を持って試合に挑んだことはない。小学校最後の試合も、中学校最後の試合も、高校最後の試合だって、次こそはと考えていた。


 赤峰烈火はもう投げられないんだ。

 

「だから、必ず勝ちますっ!」


 烈火が顔を上げる。真っすぐ見通されるような眼。その瞳には熱が帯びていた。

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