第3話 “共の戦士”の選出
エトラスは、ポーラ村の入り口に立っていた。
無数の石を積み上げただけの原始的な外壁が、今まで進んできた道を遮るように建ち並んでいる。その門の奥には、伝統技法で築かれた立派な建物が何棟も並び、時代の重さと文化の深さを静かに示していた。
この地域は『タロット自治区』と呼ばれ、王国の領域内でありながら、山岳民族によって自治されている特別区域である。
「今年の“涙狩りの騎士”様、ようこそお越しくださいました」
ポーラ族の民族衣装に身を包んだ一団が現れ、丁重に彼を迎えると、村の奥へと案内する。その道の両脇には村人たちが立ち並び、歓迎の中を進んでいた。
「“共の戦士”は、今日の夜に行われる決勝戦で決まります。それまでは、こちらでお身体をお休めください……」
一人の老婆が先導し、建物の中へとエトラスを導いた。
漆塗りの床が奥へと続く空間には、無数の蝋燭が淡く揺らめき、重厚な絨毯がしっとりと足元を覆っていた。
「今年は小柄な子ね……」
「珍しいわね、いつもは屈強な男が来るのに……」
ひそひそと囁く娘たちの声に老婆がすぐ気づき、「こら! 仕事をしなさい!」と叫び、二人は「は〜〜い」と答えて、エトラスの世話をし始めた。
“涙狩りの騎士”には、旅の相棒となる“共の戦士”が用意される。それは初代王の時代から続く、由緒ある伝統である。
かつて初代王は、ポーラ族の戦士とともに神山へと向かい、アシュトラの部族の案内を得て、氷龍のもとへ辿り着いた。
その旅をきっかけに、王国と山岳民族の絆が生まれ、ポーラ村を中心とする区域は自治区として保護下に入り、アシュトラは山岳の国になった。
当初はポーラ族から“共の戦士”が選ばれていたが、次第に自治区全域に枠が広がり、現在では武術大会の優勝者が選ばれることになっている。
二人の娘たちは、胸元の開いた衣装で気を引こうとしながら、食事や酒を運んでくる。ただ、エトラスは彼女たちより“共の戦士”となる人物が気になっていた。
「すみません。今回の候補の二人、見ることはできますか?」
「はい、構いませんよぉ。二人とも、案内してあげて!」
「は〜〜い!」
娘たちは建物の裏手へと彼を案内した。そこでは、一人の男が同族の仲間を相手に、決戦に向けて激しい特訓を続けていた。
「彼の名はギルム。タロットで一番有名な戦士よ。前回、登頂に失敗して帰ってきたから、今回は絶対に登り切るって意気込んでいるみたいね!」
鍛え上げられた身体を持つ若い男は、力強い拳を何度も突き出し、練習相手の掌に当たるたびに「バシッ! バシッ!」と響く音が辺りに鳴り響く。
「格好いい〜〜!」
「ふ〜〜ん、私は好きじゃないかな?」
その様子に一人の娘が興奮している。
「“共の戦士”は、同じ人物が何度も選出されるのですか?」
「うん。次選ばれれば3回目になるわ。神山を登る途中で騎士様が倒れてね。彼を背負って下山したの。だから、タロットでは英雄扱いなのよ!」
「ふ〜〜ん。でも、失敗は失敗でしょ?」
「しょうがないじゃない! 騎士様が倒れたから帰るしかなかったのよ!」
“涙狩りの騎士”は、選ばれるだけでも栄誉とされ、失敗しても失われることはない。だが彼らは、神山での話は語らず“共の戦士”のことも触れない。
そもそも、王国民は山岳民族たちを見下している。なぜなら皆は『民は王の元に生まれて、騎士と共に進む!』と教えられていたからだった。
ゆえに、“共の戦士”が“涙狩りの騎士”を背負って戻ったという事実は、絶対に受け入れられず、人々がそれを認めることもない。
『エトラス、まず最初の選択がポーラで訪れます』
出発を控えた数日間、彼はシュミーレの家に滞在して“涙狩りの試練”について徹底的に学び、必要な装備や道具の準備を進めていた。
『いいですか? ポーラでは二人の候補者が決闘を行い、勝った者が“共の戦士”として貴方の相棒になります。大切なのは貴方の直感です。どちらかに心が動いたのなら、迷わずその人を応援しなさい。それが未来へ繋がります!』
候補の一人は、二度の挫折を経験した戦士……ギルム。
「もう一人は、どこにいますか?」
「こちらですよ。行きましょう」
ギルムに見とれている娘の手を、もう一人が強引に引き、彼らは別の場所へ向かうと、そこには静かに精神統一をしている少女がいた。
「彼女は?」
「王国では珍しいでしょうね。彼女はムルラ……狼獣族よ。最北端の集落、ヤトルからやってきたの。私たちでさえ、彼女のような存在を見るのは滅多にないから、今大会の注目の的なのよ」
少女の頭には、獣のような大きな白い耳が生えていた。透き通るような肌と、灰色の肩までの髪。背は低く、細い体つきにはまだ少女らしさが色濃く残っている。
彼女は目を閉じていたが、耳だけがピクリとこちらを向いた。 しばらくして、静かにまぶたを開くと、驚いた表情のあとで鋭く睨みつけてきた。
「……集中の邪魔をしてしまったようね。戻りましょう」
決戦を控えた彼女は、神経を張り詰めていたのだろう。その場の空気に気まずさを感じた三人は、その場を離れることにした。
*
数時間後、日が沈むと祭りが始まり、娘たちは各村の民族衣装に身を包んで踊り出していて、若い男たちは山で獲った大きな猪を丸焼きにしていた。
祭りの熱気が次第に高まって最高潮に達すると、村の中央広場では、全員が見守る中で決勝戦が始まった。
エトラスは族長と共に現れ、声援に包まれながら一番手前の席に座っていた。
まずはギルムが呼ばれ、中央に立つと大歓声の中でパンチを繰り返し、これから始まる戦いに向けて集中を高めていく。
次に呼ばれたのはムルラ。彼女は静かに現れると、何もせずにただ立っていた。
二人の体格差は歴然で体重は2倍、いや3倍はあるかもしれない。逆三角形の体型の戦士と、白い耳とフサフサの尾をもつ少女が、今まさに戦おうとしている。
規定により、二人はなるべく軽装だった。
ギルムはパンツ一枚で上半身は裸。ムルラも一枚の布を纏うのみで、胸元には豊かな谷間が覗いていた。
中央には男性の審判が立ち、二人に待てのポーズをしている。
「さて……貴方はどちらを、お求めになりますかな?」
族長は老いた女性で、エトラスの耳元でそっとささやいた。
「私は、勝者と共にするだけです……」
「それは構いませんが、もし貴方がこの先の未来を変えたいならば、貴方が選ぶ人物が勝利を獲得する。それは運命を打開するきっかけとなります!」
彼女は断言するように伝える。
『彼ら山岳民族は、言葉の力を信じています。つまり貴方が決断をして明言をすることで、何かの力が生まれて運命が大きく変わる。だから迷わずに、直感を信じて行動をしてください……それは、とても大切なことになります!』
その時、エトラスはシュミーレの言葉を思い出していた。とはいえ、エトラスは二人のことを詳しくは知らなかった。
片方は経験豊富な屈強な男。もう片方は狼獣族の少女。一見すれば明らかに前者が強そうに見え、少女に勝ち目があるのかはわからない。
「「始め!」」
審判が両手を挙げると、勝負が始まった。
ギルムは一気に間合いを詰め、拳を繰り出す。ムルラはそれを最小限の動きで交わしていく……
その応酬がしばらく続くと、ギルムは彼女の動きを読み始めて一度拳を突き出して即座に引っ込める動作を続ける。
そして突如、彼女が避けると予想される位置へと再び拳を繰り出した!
ムルラはその攻撃をぎりぎりで回避したが、次の瞬間、彼の肘が流れるように繰り出され、彼女の頬を捉えた!
「「ううっ!!」」
打撃音と共に大きく吹き飛ばされたムルラは、空中で体勢を立て直し何とか両足で着地する。しかし、頭を軽く揺らされ、意識が一瞬遠のく。
「「少女! まだ戦い慣れていないな!!」」
ギルムはすかさず間合いを詰め、とどめを刺そうとする。だが、ムルラは逃げ回りながら距離を保ち、まずは意識の完全な回復を優先していた。
「「おい、どうした狼!!」」
「「戦え!! 戦え!!」」
観客席からは野次が飛び始める。
そのあとのムルラは、これまでのように間一髪でかわすのをやめ、大きなステップで大胆に避けるスタイルに変えていった。
「逃げていても勝負は付かないぞ!!」
ギルムも彼女が何かを狙っていることには気づいていた。そのため、安易に間合いに入らないようにして、ヒット・アンド・アウェーを繰り返す。
エトラスには、その時すでに彼女の狙いが見えていた。なぜなら、あの青い瞳が……常にギルムの背後だけを見据えていたからだ。
しかし、その戦法は実を結ばず、ギルムは背後を取らせないように細かく動いて距離を詰めていき、右拳をフェイントにしてムルラを回避させると、その直後に左拳を下から大きく突き上げる!
拳は彼女の腹に直撃して、ムルラの体は大きく吹き飛ばされるが、空中で姿勢を変えて両足で着地すると、地面の摩擦によって慣性を打ち消していった——
「「これで、終わりだ!!」」
ギルムは勝負を決めるべく、大きく跳び上がり拳を振り下ろそうと構えた。
「「「そこだ!!」」」
思わず、エトラスは大きく叫んでしまった。
その瞬間ムルラは動きを変えて、猫のような身のこなしで背後に回り込むと、相手の体を両足で抱え込み、両腕で首元を締め上げる!
彼女は……最初から気絶を狙う戦い方だった。
「そうですか……貴方が選んだのは『剛』ではなく、『柔』ですね」
エトラスの叫びに、族長は小さく微笑みながら呟いた。
気管を塞がれたギルムは呼吸ができず、そのまま地面に倒れる。何度も彼女を振り払おうとするが、狼の少女は絶対に離さない。
周りの観客は、突然の形勢逆転に湧き上がっていった!!
だが、経験豊富な戦士もまだ諦めてはいない。全身の筋肉を使って彼女の体を何度も地面に叩きつけていく!
「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」
それでもムルラは、全身全霊の力で両腕をさらに強く締め上げ、少しでもギルムの呼吸を止めようとした。
「「勝負はついた! 技をほどけ! 死んでしまうぞ!!」」
審判が叫ぶころには、ギルムはすでに泡を吹いて気絶している。声を聞いた彼女は絞め続けていた両腕の力を緩める。
その時、すでに広場は大逆転を果たしたムルラの勝利に沸き返っていた。
「「勝者、ヤトルの民……ムルラ!!」」
こうして今年の“共の戦士”は、狼獣族の少女・ムルラに決まる。