第13話 言葉の力量と循環
天空の大地から見上げる、壮大な夜空。
そこには、何千兆もの世界が浮かび上がっている。
全ては、様々な力によって生まれ、やがて消えていく——
今、二人が寝転がっているこの大地も、いずれそうなる運命だった。
「エトラス……まだ起きている?」
「うん、少し眠りかけていたけど、今目が覚めた」
二人の夜は早く訪れて、とても長い。
何度かウトウトと浅い眠りを挟んだあとは、眠れずにただ空を見上げていた。
「ねえ、聞いていい?」
「うん……いいよ」
ムルラは少し身を起こし、エトラスの表情をそっと見つめる。
そして、みずみずしい唇を開いて、尋ねた。
「ねえ、エトラスは……本当に好きだった人、いなかったの?」
「いなかった……と言ったら嘘になる。初恋は兄の結婚相手だった。彼女は私の幼なじみで、昔から好きだった。次に好きになった相手は、当時の私の世話人だったけど父上の愛人だったし……ただ、享受することがなかっただけだよ……」
「そ、そうなんだ……」
昨日まで抱き合うように寝ていた二人だったが、今夜は少しだけ距離が生まれている。ムルラは、その微妙な変化に反応している様子だった。
「過去とかは関係ないんだ。それに、ムルラの事情を知らなかったし……ただ、私とは違って、様々な人に愛されているのが分かった。だからこそ、帰る理由ができて、どうにかできないかって考えてる。ただ、それだけなんだ……」
ムルラは、突然エトラスの手を強く握った。
「違うの! ねえ……聞いて!」
「うん……」
その彼女の行動に、エトラスは少しだけ驚き、心臓が大きく揺れる。
「私はね、氷龍様とのお話で大切なことを話さなかった! 実はね……貴方のことを知っていた。知っていたからこそ、決勝で勝つことができたの!」
「えっ?」
そのあと、ムルラは思いの全てをエトラスに告げる。
*§*
「「おはよう、ございます氷龍様!」」
次の日。
今日も二人は氷龍の前で座っていた。
((ああ、おはよう……今日は何か示せる話ができたか?))
氷龍は、目を覚ますと二人に向かって首を伸ばした。
「はい、ムルラの話には少し後日談があります。それを聞いて欲しいかと思いまして……」
((構わないぞ……聞いてやろう))
「ムルラ、君の気持ちを全部話して……」
「うん」
*
それは、私が王国内を旅していたときの話でした。
ある街の露店で食べ物を買おうと並んでいると、今年の“涙狩りの騎士”の競技会に、王国の王子様が出るという噂を聞きました。それからの私は、もし“共の戦士”を勝ち取った時、誰が相手になるのかが気になりました。
選考会までは、まだ日にちがあったので、王都に立ち寄ることにしました。
初めて入る王国の巨大な都市は、とても華やかで、常に屋台から美味しい匂いが漂っていましたが、私はその誘惑を振り切って会場に向かいました。
そこは、とても大きな競技場で、沢山の人に揉まれながら席に着くと、候補者による剣術の試合が行われていきました。
大陸の各地から集まった強者たちは、この大会に全てを賭けていて、その場で勝者と敗者が決まっていきました。
色々な人たちが戦っていて、勝って喜ぶ人と、負けて悔しがる人がいました。
その様子を見て、“涙狩りの騎士”に選ばれる人も、沢山の候補者から選ばれる、特別な存在なんだなと実感しました。
ある時、一人の人が現れると、会場は大騒ぎになっていました。
その意味は、王国民ではない私でも分かりました。
綺麗な服を着た、背の高い金髪の人。
一目で、王国の王子様だと分かりました。
華やかな姿に、王国の人々は彼に沸き立っていましたが、私は……彼より、すでに対戦相手に、心が惹かれていたのです。
それは……背が小さくて髪の毛が金色と黒色に混ざった。混血の男の子。
まさしく、私が大好きな物語の主人公そのものでした。
沢山の人で盛り上がる中で試合が始まりましたが、結局は王子様の圧勝でした。でも私は、悔しそうにする彼の姿だけが、気になってしまったのです。
何度も地面を叩いて、負けたことを悔しそうにしている。
私も同じように北から挑戦しに来ました。だからこそ、その姿に心が痛くなるほどの気持ちを感じていたのです。
でも、そのあとに張られた王都の掲示板には、今年はもう一つの試験があって、それがとても重要だと書かれていました。
だから、まだ彼にもチャンスがあると信じていたのです。
そのあとは、私も“共の戦士”の武闘大会があるので、王都を去りました。
ポーラ村に着くと、すでに沢山の候補者が集まっていて、私の試練も始まっていきました。対戦相手は大きな体格の男ばかりでした。でも、思ったより弱くて楽に勝ち上がっていきました。
私の関心は、しだいに“涙狩りの騎士”が誰なのか、あの混血の男の子は、次の試験に出ることができたのか? に変わっていったのです。
おそらく、順当に進めば、あの時の王子様になっているのでしょう。
でも、私はその人と共に神山に挑みたいの?
できるなら、私は私が望む相手と栄光を掴み取りたい。
だから望まない相手だったら、負けてもいいと思ってました。
それは、ワガママだって分かっています。
でも、全ては……あの二人の物語に憧れた私の答えです。
決勝戦の当日。
私は、静かに精神統一をしていました。
なぜなら“涙狩りの騎士”が、すでにポーラに到着しているらしい。だから、気になって仕方がなかったからです。
あの王子様?
いや……ひょっとしたら、混血の男子?
まったく違う、屈強な騎士?
でも……噂だけは届いていました。
どうやら、今年は騎士のような風貌ではないらしい。
私は目をつぶって静かに感覚を整えていると、何か二人の女性が談笑する声が聞こえたのです。
私は思い切って、まぶたを開いていくと——
目の前に現れたのは、背が低くて髪の毛が金髪と黒髪に混ざる男の子。
「キュゥゥゥゥゥゥゥゥ!」
私の心臓は、そう告げていました。だけど、すぐに暴れ回るくらいに大きく高鳴ったのです。
((今はダメ、この邪念を捨てないとダメ!!))
その時、私の本能が取った行動は、彼を睨んでいました。
なぜって?
絶対に、決勝戦に勝たないといけなくなったから。
だから私の心をかき乱す彼には……すぐにでも立ち去ってほしかったのです。それからは、死に物狂いで戦いました
気がついたら私は勝っていて。いつの間にか、一緒に旅をしていました。
*
「これが……昨日隠していた、お話です。でも私は、あの時の思いがあって勝ち上がることができました。だからこそ、ここまで辿り着けたのです……」
ムルラは少し恥ずかしそうに、話を終える。
「どうでしょうか? “卵”は成長しそうですか?」
エトラスは、即座に氷龍に尋ねる。
((ふむ。よいじゃないか……人間の精神は繊細で、気持ちの揺れが行動を左右する。すでに我が子は、良い反応を示しているぞ!!))
氷龍は体を起こして下にある“卵”を見せると、昨日よりは光が強まっている。
「……でも、まだ足りないですか?」
((まあ焦るな。お前たちはまだ時間があるのだろ? だったら、その時間を使って答えを導き出せばいい。そうじゃないのか?))
「……そうですね、じゃあこれから世間話をしましょう!」
そのあと、二人と氷龍は会話を始めていった。
*§*
真っ青な円形の青空が見える窪地の隅では、アルフォルが本を読んでいる。
この天の地にやってきて行ったことは、一度だけ氷龍の巣を訪れたこと。だから、何もすることがなく、少しの焦りと苛立ちを感じていた。
だが、“邪の民”の居住地であるこの場所から出ることは許されておらず、彼自身もそれに従っていた。
「今さら私の本を読んでいるのか?」
「仕方がないだろ? 私には、これしかすることがないんだ!!」
突然現れた“影”に対して、彼は少し強めな口調で返事をした。
「そうか……まあ、いい機会だ。あの二人の様子を観察しよう! 行くぞ……」
「いいのか? “邪の民”の掟があるのだろ?」
「それは、私が作った掟だから構わない。だが、“涙狩りの騎士”に悟られるなよ!」
「分かった……私はそんなヘマはしないさ!」
そう言うと、彼は本を閉じて立ち上がった。
*
氷龍の巣の周りは、相変わらず何もない。
ただあるのは、突き出る牙のような岩だけで、それだけは沢山あった。
「声は聞こえないが、ここからは見えるな……だが、これ以上は近づくなよ……」
アルフォルは“影”と共に岩の一つに隠れて眺めることになる。そこからは二人と氷龍が何かをしている様子が見える。
「奴らは……何をしているんだ?」
「あれが、“涙狩りの騎士”が涙をもらう一つの手法だよ……」
それは、ただ二人が氷龍の前に座って、談笑しているようにしか見えなかった。
「歴代の騎士たちは、あんなことで“涙”を得ているのか?」
「ハハハ、それは騎士の資質次第だな。残念だが今の王国には私の教えが消えたので、毎回ああやって試行錯誤しないといけないんだよ……」
そうはいっても、国の命を賭けて神山を登ってきて、さらに神に等しい氷龍の前であの様子では、使命感があるのか疑問を持たざるを得なかった。
「お前は全てを知っているんだろ? いい加減答えを教えてくれ。あの二人はどうやって涙を得ようとしていて、私がどうすれば奪える?」
彼は何度も同じことを聞いていたが、“影”は毎回、答えをはぐらしている。
「あのなぁ、説明には順序が必要なんだよ……」
「魔力とか魔法とか言われても理解は進まない。ただ私が、どう動けばいいかを言ってくれれば、それに従うだけだ。教えてくれ!」
「まあいい。今の、あの二人が何をしているのかを教えよう。君は言霊という言葉を知っているか?」
「ああ、何度も願えば、それが本当になるという迷信だろ?」
「迷信ではない。言葉には力がある。お前たちには実感がないと思うが、魔法を唱えるには必ず詠唱が必要だ。つまりは言葉に魔力が反応する!」
「ふむ。魔力か……だが、あんな談笑で力は生まれるのか?」
「難しいな……魔力は『魂』を揺らすことによって共鳴をしていく。確かに、言霊は一つの手法なのだが、他の方法より得られる量は少ないからな……」
「では、言葉以外の方法は何があるんだ?」
「そうだな……今までの騎士達は様々な方法で獲得している。ある者は愛する行為を行い、ある者は死闘を繰り広げた。この山を登る覚悟がなぜ生まれたのか、それを氷龍に示し、『魂』から生まれる魔力を捧げる。その見返りとして“氷龍の涙”を受け取る。それだけさ……」
「愛する行為と死闘か……つまりは死や生に関わることをする必要があるのか?」
「それが手っ取り早い。もちろん言葉に重みがあれば、会話でも可能だ。つまりはどれだけの覚悟があるのかが重要だからな……」
「だが、あの状態で魔力は生まれるのか?」
彼が指さす先には、談笑している二人が見える。
*§*
((では、お前たちは愛し合ってはいないのか?))
「そうですね。私たちはまだ会って1ヶ月程度です。その間、共にはしていましたが、まだ互いを深く知りませんし、そういった思いは告げ合っていません」
あれから数時間経つが、二人は氷龍と話を続けている。
((若い男女が登るのは珍しい、特にお前たちは前回の二人に似ている。だから、もし“涙”を得たいなら、愛を示すのが手っ取り早いとは思うぞ!))
「……なるほど。でも正直、私たちはそういった経験がないので、どうやって示せばいいのかが分かりません。実際に、その150年前の二人はどういった雰囲気だったのですか?」
((ふむ……わからん。我は龍だ。人ではないので感情の奥深くなど分からん。だが、あの二人は愛の行為を実践してみせた。『魂』を震わせる行為をな……))
「行為、ですか……」
((そうだ。愛を示す生物的な行動だ。簡単なことだろ?))
その氷龍の言葉に、二人は一瞬だけ視線を交わした。
「決闘……愛の行為、なるほど。何となく分かってきました」
((我としても久々の“涙狩りの騎士”なんだ。ぜひ我が子を成長させたい))
「そろそろ今日は帰ろうと思いますが、最後に一つ聞きたいことがあります」
((ああいいぞ、何でも聞け!))
「昨日、洞窟の裏側で仮面をつけた民を見かけました。彼は何者ですか?」
エトラスの問いに、氷龍はため息のような吐息を洩らす仕草をする。
((ああ、あれは気にするな。我が存在する上での副産物みたいな存在だ。お前たちには危害を加えないから関わらないでほしい……))
「そうですか……この地域に住む部族の一つですか?」
((そうだ、どこかから集まって登ってきた連中だ。だが忠告をしておく。あの中に“影の民”と呼ばれる存在がいる。それには絶対に近づくなよ……))
「それは、仮面の民とは違うのですか?」
((ああ、あれは古くから存在していて、お前たちを惑わす。だから近づかず、何か言われても聞き入れるな……分かったか?))
「はい、分かりました、近づかないようにします。では、また明日来ます」
((ああ、我も楽しみにしているぞ!))
二人は立ち上がって軽くお辞儀をすると、寝床へと戻っていった。
*
「エトラス……私の話はどうだった?」
「うん、君の話で、だいぶ道筋はできたよ……」
帰り道、ムルラは少し恥ずかしそうに問いかけていた。
「ねえ……私たちにも愛の行為が必要なのかな?」
「おそらく気持ちがあっての物事だと思う。まだ時間はあるし、何をすればいいか、ゆっくり考えていこうよ……」
「違うの、私はべつに、それをしたくはない。とかではないから……」
「分かってる。でも、どちらにしろ、いずれ決断をくだす日は来る。だから、その時に間違った判断をしないように、今から考えていかないとね……」
心配そうに聞くムルラに、エトラスは笑顔で答えていた。