表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

第10話 全てを捨てた覚悟


 5日目の夜が明けた。


「ムルラ……大丈夫? ムルラ?」

 エトラスは目を覚ますとすぐ、彼女の様子をうかがった。


 相変わらず息は弱く、意識がもうろうとしている。


「ムルラ、私の声が聞こえるか?」

「……エトラス、ごめんなさい。私を置いて行って……」


 あの真っ赤に染まっていた唇は、今では青白く寒さに小刻みに震えていた。


((これは休んでも治らない。どうすればいいんだ。シュミーレは、いやターズは何と言っていた? 全てを思い出せ!))

 彼は、ムルラを抱きかかえながら、言われていた一語一句を思い出していた。


『これは神山に限っての話ではない、俺たちの生きる術の一つになる。だから伝えておくが、もし神山で頭が痛くなったら、すぐに降りる判断をしろ!』


 ターズの話では、彼女は空気が薄いことで起こる病気に冒されている。


『運が良ければ降りるだけで回復する。だが、その時は登るか下山するかの判断が必要になる。分かったか!』


(((とにかく、降りよう!!!)))

 エトラスは必要最低限の荷物だけを鞄に詰めると、ムルラを背負って今まで登ってきた尾根の道を降りていった。


 *§*


 6日目の朝。


 昨日はひたすら下山を続けていった。7合目と6合目の合間で体力の限界を超えたため、その場で一度休み、再びムルラを背負って降り続けた。


 ムルラの調子はまだ悪い、か弱い声で「ごめんなさい……」とだけ何度も言葉にしていたが、彼は「気にしないでいい」とだけ答えていた。


 エトラスの願いは、とにかく彼女を助けたい。

 ただ、その思いだけで進み続けている。


 そうして、日が暮れていくと休める場所を探して夜を越えた。


 *§*


 7日目。

 もう、どこまで降りてきたのかは分からない。


 ムルラの様子はだいぶ顔色が良くなってきた。それは、下山して空気の薄さが和らいだ結果だった。


「……エトラス、なんで私を捨てなかったの?」

「「私は騎士として育てられた。騎士は絶対に仲間を捨てない!」」


 相変わらず弱気なムルラに言い聞かせて、再び背負って降りることにする。


 *§*


 8日目。

 氷河の手前まで降りることができた。


 この先は氷の谷間を越えなければならず、背負って進むのは不可能だった。だから彼女が完全回復するまで、この場にとどまることを決める。


「……ねえ、もういいの? 氷龍様に会わないといけないんでしょ?」

 彼女は、あの時の強さは感じさせず、ただのか弱い少女と化している。


「私はもう、必要ないでしょ……捨てて一人で登って……」

 体力の低下が影響しているのか、自暴自棄になっている。


「ムルラ……これも試練なんだ。たとえ一人で氷龍に会ったとしても、絶対に涙は得られない。だから、この困難を乗り越えることが大事だと思っている!」


 とはいっても、エトラスも“涙狩りの試練”の成否など、どうでもよくなっていた。


 今は進むことも戻ることもできない。だから、誰ひとりいない絶景に囲まれた大地で、二人で生き延びることだけを考えていた。


 *§*


 10日目。


 あれから二日が過ぎた。

 彼女の顔色はかなり良くなり、静かに眠っている。


 空を見渡すと、まだ青空が広がり目的地である山頂も近くに見える。だが、その近いと感じる幻想そのものが150年の間、騎士を拒み続ける壁だと感じていた。


 エトラスはこの場所で、一日三回、固形燃料で湯を沸かし、ムルラの好物である黒くて甘い菓子を溶かしてスープを作った。


「飲める?」

「うん」

 そして、彼女の唇に近づけてゆっくりと飲ませていった。


 おそらく、ムルラは助かるだろう。

 では、この先どうする?


 安全に帰ることができる期限まであと4日、覚悟を決めて登るか、諦めて帰還して敗者としての人生を送り続けるのか?


 正直、彼の心はまだ諦めきれない。


 これは、“涙狩りの試練”だ。おそらく歴代の騎士たちも、生きるか死ぬか、名誉か自分の身か……の、究極の選択を迫られているのだろう。


 とにかく自分一人の話ではない。彼女の意見を尊重しよう。


 *§*


 11日目の夜。

 ムルラは、まだ歩くことができないが、意識は完全に戻ってきていた。


 エトラスは、最後の黒くて甘い菓子をお湯に溶かして「できたよ、君の好物……」と渡すと、彼女は「ありがとう」と言って、一口ずつ静かにすすった。


 彼女の顔色は完全に戻ってきているし、もう心配することはないだろう。

 ただ、覚悟の時が迫っていることも分かっている。


「ムルラ、そろそろ登るか降りるかを決めないといけない……」

「……エトラスはどうしたいの?」

 

 今から降りれば、確実に助かるだろう。

 だが、逆に登ることは命を捨てることに等しい。


 さらに、もう山頂には雲がかかっていて、この場所も風が強くなっている。登るにしても降りるにしても明日には出発する必要がある。


「正直に言うと今、登れば帰還は難しい。だから君の気持ちを尊重したい」

 もし、エトラス一人だったら迷いもなく登り続けるだろう。だが、彼女には帰る場所があるし、会いたい家族だっている。


「ねえ、私は……死んだと考えてほしい。だからもう、この体は貴方のもの。何をしてもいいんだよ!」


 彼女の青い瞳は潤っていて、黒いスープで濡れた唇は舌で何度も舐める。


「いいのか? 家族と会えなくなるかもしれないんだよ?」

「いいよ、私も栄誉が得られないと帰っても怒られるし、私にも事情があるから……エトラスは、氷龍様に会いたいんでしょ? 私は付いていくよ……」


 彼女は、少し涙を浮かべながら満面の笑みで答えた。


「ありがとう、でも本当にいいのか?」

「いいよ。私の気持ちは貴方と一緒に居る。それだけなの……」


 そうして二人は明日の朝、再び登ることに決める。


 *§*


 12日目の朝。

 彼女の体調は完全に復活していた。


「ごめんね。でも、もう大丈夫!」

 元気に立ち上がると、身体をぐっと伸ばしていた。


「じゃあ、向かおうか……」

「うん、氷龍様に会いに行こう!」


 それからの二人は、軽快に尾根を進んでいった。


 *§*


 13日目。

 今日は、荷物を捨てて引き返した所まで戻ってきた。


 ムルラはすっかり環境に順応したらしく、何の心配もなかったが、この先は雲に覆われ風も強くなってきている。


 つまり、嵐のない2週間は終わりに近づいている。


「今日は、進めるところまで進もう!」

「今度エトラスが倒れたら、私が背負って進むから安心して!」


 二人は地面に落としていた燻製肉を背負い鞄に詰めると、山頂を目指して再び歩き出した


 そうして、日が落ちて暗闇に包まれても、体力が続くまで登っていった。


 *§*


 14日目。


 朝起きると、二人は雪に包まれている。

 辺りは霧と風の世界になっていて、見晴らしは最悪だった。


「行こう……」

「うん!」


 エトラスはムルラの手を握ると、共に尾根を登り続ける。

 何も見えない世界が、永遠に続いていた。


 時折訪れる容赦ない暴風の中、二人は抱き合ってその場にしゃがみ込み、風をやり過ごしていった。


「ムルラ……大丈夫?」

「うん、大丈夫!!」


 エトラスが道を踏み外したらムルラが手を引っ張り、ムルラが崖に落ちかければエトラスが引き上げる。そうして、互いに助け合いながら進み続けた。


 空はゆっくりと闇に包まれていく。 もう昼なのか夜なのかも分からなくなっていたが、それでも二人は身をかがめて慎重に進んでいった。


 強風が吹き荒れると、その場で抱き合って休憩をする。

 そして、嵐が過ぎ去ると、また這うようにして上り続けた。


 *§*


 おそらく15日目。


「ねえ……エトラス、起きて!」

 気が付くと、彼は山肌を背に横たわっていた。


「ほら、起きて! 周りを見て!」

 抱き合って寝ていたのは覚えている。ただ、目を開けると、辺りは真っ暗な闇の上に、星空が広がっていた。


「雲から出ている……」

「そう、上を見て! 山頂が見えるよ!」


 彼女が指さした先を見ると、月に照らされた山の頂点が見えた。


「本当だ……もう少しで辿り着ける!」

「やった! やったよ! エトラス!」


 周りには、永遠に続く遙かなる雲海。


「どうする?」

「エトラス、今のうちに登っちゃおう!」

「そうだね、登ろう!」


 二人は立ち上がると手を繋いで、あと少しの道のりを登ることにした。


 確かに空気は薄くて、体は重たい。

 でも二人の心は軽やかで、互いの願いが近づいていた。


「ねえ、エトラス……氷龍様は、どんな感じなのかな? 怖いのかな?」

「分からない、でも神様なんだ……おそらく全知全能だろう!」


「世界には龍が4体いるって知っている?」

「ああ、知っているよ!」


「じゃあ全部言える?」

「氷龍と炎龍、土龍と……あとは何だっけな?」


「雷龍よ!!」 

「そうか、雷龍か……全部、別大陸なんだっけ!」


 気が付けば、あれだけ吹き荒れていた嵐はすっかり消えている。二人は宝石のような光粒の世界の下で、尾根の道を進んでいった。


「今までで分かってきたけど、エトラスは少し抜けてるところがあるのね!」

「まあ、それは否めない。いつも大事なところで失敗していたからね……」


「ふ〜〜ん」

「まあ、だからこそ……こうして、挑戦をしたかったんだ!」


 次第に山頂が近づくと、二人は大陸の屋根に到達しようとしていた。


「でも……それが、いいところなのかも!」

「そうかなあ……それが原因で帰れることが不可能になったんだ!」


 そこに、二人は立っていた。

 今まで目指していた、試練の最終地点。


「でも、達成はしたよ!」

「そうだ! 辿り着くことはできたんだ!」


 周りには、海のような雲海が丸い水平線を描いている。この銀河の一筋と共に大量の星空が広がり、遠くには巨大な月が浮かんでいる。


 登りかけていた太陽が上がっていくと、全ては青紫色に染まっていった。


「ねえエトラス、私……氷龍様に会いに行きたい!」

「ああ、そうだ。もうどうなってもいい。一目会いに行こう!」


 山頂に立った二人は、本来の目的を思い出した。そして、背後の火口のような巨大なクレーターへと向かっていった。


 そこは、なぜか雪は降ってはなく用済みとなった、かんじきを取り外して荷物をしまうと、黒い岩だけの大地の斜面を駆け降りる。


 その中央には小さな岩山があり、洞窟のような巨大な穴が見える。


「あそこが、あれが氷龍様の家じゃない?」

「うん、行こう……」


 この天空の大地には植物が一切生えておらず、人の背丈以上の岩が牙のように突き出して並んでいる。


 それらを避けながら進んでいくと、洞窟の奥が徐々に見えてくる。そしてそこに、透明で透き通った水色の宝石のような、巨大な姿が現れた。


 二本の角に、長い尾っぽ。そして、畳まれた巨大な翼。身体を覆う鱗は七色に煌めきながら、周囲の光を鮮やかに反射している。


 ただ……氷龍は何事もなかったのように静かに眠っている。


「寝ているね……」

「起こすのも悪い。とりあえず、まずは寝床を探そう……」


 二人は対面を諦めて、振り返って進もうとすると——


((涙狩りの騎士、共の戦士。よく来た……長い間、待っておったぞ!))

 と……突然、声が二人の心の中に響き渡ってきた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ