母の顔
川向こうの小屋へと慈慧を運び込むや、エツはその汚れた僧衣を脱がし、千太といっしょに体を丹念に拭いてやった。その間、ウネと由良がドクダミをはじめとする毒消し用の薬草を調合し、煮だしたものを慈慧の口から注いでやる。飲む力がなく口から吐き出してしまうと、迷わずエツがそれを含み、口移しで飲ませてやった。
「これを煎じて煮だしたものを、朝夕飲ませてやれ。水もたっぷりと。体を温めて、汗をたくさんかかせることじゃ。明日、また様子を見に来るでの」
そう言い残して、ウネは由良を連れて村へと帰った。去り際、家の前まで見送りに来た千太の指先を由良がそっと握りながら、彼の肩越しに、小屋の中へと視線を送る。
「……千太、どうもない?」
由良は、エツが慈慧に向けるまなざしを見て、なにかを察したらしかった。そして千太の顔を、そっと覗き込んだ。千太は努めて口元を引き上げて、首を振ってみせる。
「どうもないよ、俺ももう十五じゃ。子供でなし」
「そう言うても……おまんの心は、そんな簡単には収まらんやろ?」
千太は由良の手を握り返し、心配してくれたことへの礼を述べた。
「慈慧様は、俺に名をくださった大事なお方じゃ。それに…慈慧様がおいでることで、かかさまが少しでもようなればええと思っとる。さあ、俺のことはどうもない。ウネさが待っとる、はよ行け」
由良は何度もこちらを振り返りながら、ウネといっしょに坂道の向こうへと消えた。
強がってはいたが、由良に指摘されるまでもなく、千太の心中は複雑だった。だがそれ以上に、まずは慈慧に回復してもらいたいという気持ちが強かった。千太は桶を抱え、ひとり川へ向かって駆け下りた。冷たい水が、胸のざわつきを押し流してくれるような気がして。
それから三日三晩、エツは憑りつかれたように慈慧の傍を離れず、ひたすらに看病した。
夜中も、かすかなうめき声で布団から跳ね起き、汗を拭いてやったり、水を飲ませてやったりした。そう思えば、彼の傍で手を合わせ、夜通しぼそぼそと祈っていることもあった。
千太も看病を手伝いながら、一心不乱に慈慧に尽くす母を前に、戸惑い、胸の中で砂がかき回されるようだった。ウネと由良が家に来てくれると、心からほっとした。ともすれば見知らぬ女のように見える母と、狭い空間を常に共にしなければならないことが息苦しかったのだ。しかしふたりが帰ると、また、いつの間にか女の香りを纏った母と相対せねばならない。
そんな折、四日目の朝に、慈慧が目を覚ました。
しばらくの間、朧げな視線を漂わせていたが、その視線がぴたりとエツに定まると、弱弱しい笑みを浮かべた。掠れた声で名を呼ばれると、エツは滂沱の涙を流し、慈慧の胸に突っ伏して嗚咽した。その様子をどこか不思議そうに眺めてから、慈慧は次に脇にいる千太に気づくと、手を伸ばした。千太は迷わずその手を掴む。
安心とともに、胸が潰れそうになった。
千太はゆっくりと慈慧の手を布団の上に置くようにしてから離し、静かに言った。
「慈慧様、御無事で何よりでございます。俺は、今から何か滋養のあるものを採りに行って参ります。日が暮れるまでは決して戻りません」
慈慧は、何か言いたげに眉根を寄せた。その揺れる視線から顔をそむけるようにして頭を下げ、筵をあげて外へ出た。
軒先から出ると、ジーワジーワと蝉の音が耳をつく。
そのまま家に背を向け、しばらく立ち尽くしていたが、弾かれたように走り出し、坂道を下って行った。




