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灯火の名残・前

 雨がパラパラと屋根を叩き、軒からは幾筋もの雨だれが音をたてて滑り落ちている。


 お天道様が隠れているぶん暑さは和らいでいたが、体にのしかかるような湿気が、じっとりと肌にまとわりつく。

 日中でも家の中は薄暗い。

 エツと千太は板間に座り込んで、目を凝らして黙々と草鞋や籠を編んでいた。


 時折、風がびゅっと鋭く吹き付け、ガタガタと戸を鳴らした。

 千太は立ち上がり、戸口の間から薄闇に煙る坂の方を見やる。


「今日も、おいでんなぁ…」


 慈慧の姿は、もうしばらく見ていない。


「外ばっかり見とらんと、はようこっち来い。今日中に、仕上げてまわんならん」


 苛立ったように千太を促し、エツは編みあがった草鞋をぞんざいに投げ置いた。

 千太はばつが悪そうに、エツに向き合って座りなおす。

 

「かかさまやって、待っておいでるくせに」


 千太は編みかけの草鞋を手に取りなおし、当てつけのようにエツに言った。


「さっきから、風で戸がガタガタいうたびに、そっちの方気にしておいでるやないか」


 エツは何も答えなかった。草鞋を編み上げてしまうまで黙っていたが、


「あの方は…もう、おいでんかもしれんよ」


 と、ぽつりと零した。

 目をあげると、母はうつむいたまま、寂しそうに笑んでいた。


「………いんや、来るよ。慈慧様は、来ると言ったら必ず来る。そういうお方やと思う」


 まだ会って間もないのに知ったような口を利くなと言われるかと思ったが、エツは薄い笑みを浮かべたまま、ただ黙って、こくりとひとつ頷いた。


 その表情に、千太はかすかに目を瞠った。


 今にも消え入りそうだった母が、慈慧と会ったこのわずか数日の間に、いくぶんか生気を取り戻したように見えた。


 あの夜、母の手を握りながら、千太は父と対峙した。

 夢か現か分からぬまま、たしかに間近に気配を感じた。

 そして、決別した――。もしこれから、父が現れたとしても、もう怖くはない、そんな不思議な実感だった。

 しかし、母は未だに、夜ごとうなされている。やはり、そう簡単にはいくはずもないのだ。


 だが、今の母は以前とは違う。前はなかった灯が、その目に宿っているように見える。

 複雑な心境ではあったが、それは慈慧によってもたらされたものかもしれない。

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