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由良を巡る影

 烏帽子山に入った千太は、由良の名を呼びながら西山の方に向かった。わらびを採りながら迷いこんでしまったのなら、烏帽子山でも、より西山に近いところにいるはずだと思ったのだ。


「由良ーっ、おぉい、聞こえたら返事せえーっ!」


 千太の必死の呼び声は、生い茂る木々の中にむなしくこだまするだけだった。時折物音がしたかと思うと、声に驚いた小さな獣が笹薮の下を走り去っていく音だった。

 そうこうしている間に、あたりの闇が、急速に深く、濃くなっていく。


「由良、おぉい、おぉい!」


 由良の名前を呼びながら山道を彷徨するうち、突然、父が亡くなった日い洞へと駆けていく光景と、あたりのそれが鮮明に一致した。

 まるであの日の瞬間に舞い戻ったかのような既視感を覚え、眩暈がし、その場にしゃがみこんで、呼吸を整えた。

 千太は、自分を飲み込もうとしてくる恐ろしい幻影を断ち切るように首を激しく横にふり、両頬を何度も叩きつけて、きっと前方を睨み据えて立ち上がった。


「今度こそ、絶対に、死なせん」


 自分に言い聞かせるように独り言ちると、再び、由良の名前を呼びながら捜索を開始した。

 由良の名を叫びながら、山道を駆けに駆ける。脳が冴えわたり、一種の躁に近い状態になっていた。自分の耳が、目が、いつもよりも多くのものを素早く認識し、その情報を的確に処理していく不思議な感覚だった。

 その極限までに研ぎ澄まされた耳が、左側の藪の向こうに馬鈴の鳴る音を捉えた。

 ほの暗い闇の中で、火の玉のようなぼんやりとした光が微かに動いているのも見える。人だ。近づいてくる。


(…山賊か?)


 千太は恐怖で体が縮こまった。腰に下げた小刀を握り締めて身構える。しかし、木立の間から顔を出したその人物を視認するや、


「あ…」

 と、短刀から手を放した。

「おまん…!」


 松明の光で、頭に被った唐笠と、その下の、垢と脂にまみれた蓬髪が照らしだされた。着物は恐ろしく薄汚れていて異臭を放っている。その人物は、黒ずんだ指先で伸びきった自身の前髪を簾をのけるようにかき分けると、その間から、小動物のようなまるっこい垂れ目を細めてこちらをうかがい見た。


「千太やないか。なんや、ひょろ長うなったのう」


 そのやせっぽちの少年は、黄ぐすんだ歯を見せて嬉しそうにほほ笑むと、握っていた短刀を収めた。彼は彼で、突然の人の気配に身構えていたらしい。


「蝉丸…!」


 思わず笑みがこぼれる。四年前、門付け芸をしに現れたのが縁で、いつしかただ飯を食いに来る顔馴染みになっていた。芸は下手だが、人懐こく、憎めない——そんな男が、山中で再び目の前に立っている。


元気(まめ)やったか」

「見ての通りや。雪もだいぶ溶けたさけ、そろそろおまんとこに行ってみようと思うて、こうして出てきたんや」 


 積もる話もあったが、今は再会を悠長に喜んでいる場合ではない。


「おい、人を探しとるんや。女の子、見なんだか? わらび採りにいったまま、迷ってまったみたいなんや」


 にわかに血相を変えてにじり寄ってくる千太の顔を凝視したまま、蝉丸は何か考えているようだった。数秒の沈黙の後、


「ああ、見た」と、何ということもないように言い放ったので、えっ、と千太は思わずすっとんきょうな声をあげた。


「見た? どこで?」

「この奥にある沢のあたりや。道に迷うとると思って声をかけてんが、悲鳴をあげて逃げていきよった。ちぃと追いかけてみたけんど、女子のくせに存外足が速うて追いつけなんだ」


 こんな異様ななりの男にいきなり山中で出くわせば、誰でも一目散に逃げるだろう。しかも、本人はよかれと思って追いかけたのが、余計に仇になったに違いない。由良は、おそらく半狂乱になって逃げ惑っているうちに、どんどんとあらぬ方向へと進んでしまったのだ。


 千太は、蝉丸の腕を力いっぱい握った。その腕にこめた力には、少なからず、事態を余計にややこしくした蝉丸に対する苛立ちもこもっていた。


「その沢まで、案内しろ」


 面倒ごとはごめんだ、というように頭をぽりぽりとやる蝉丸の胸ぐらをつかんで、なおも千太が食い下がろうとした、その時、雑木の向こうから数人の話し声と松明の灯りが見えた。


 千太と蝉丸はすぐさま松明を消し、岩場の影に身を隠した。


 話し声から推測して、三人だ。こちらに近づいてくるにつれ、その会話が明瞭に聞こえてくる。ひとつは聞き覚えのある声だった。松明の灯りに照らされたその顔を認めるや、千太はぐっと胃の奥を掴まれたような不快感を覚えた。


「わらび採りよったなら、西山の方を探した方がええんでないんかな」


 喜助が気だるそうにつぶやいた。


「なあ源兄、西山の方に戻ろまい。こんな寂しい山に俺らだけで入って、熊に襲われでもしたら…」

「嫌なら、おまんひとりで戻ればええが」


 喜助の進言を、ぴしゃりと切り捨てた男の顔を、千太は目を凝らして見る。


 この男が、由良が話していた源助だと分かった。眼光がひときわ鋭く、体格もずばぬけていて、なにより利発そうな顔つきをしていた。そこらの村の子供らとは一線を画している風貌だった。


「西山の方は、昼間っから村総出で探したけんど、見つからなんだ」と源助は言う。「ほんなら、絶対こっちの方に迷い込んどるに決まっとる」


 喜助は肩を落として、隣の与一の腕をこついた。


「おい、おまんからも、源兄になんか言え」


 出っ歯の与一は首を振る。


「源兄は人一倍聞かずやで、何言っても無駄じゃ。あんまり言いすぎると、へそ曲げて、ひとりで西山に戻らされるぞ」

「おい、聞こえとるぞ」


 源助の低い声に、ふたりは肩をそびやかした。


 一連の会話を聞きながら、この男ならいっしょに由良を探してくれるかもしれない、と千太は期待した。人出は多い方がいいのだから、頼んでみる価値はありそうだ。


 千太が立ち上がって、出て行こうとすると、


「源兄、なんでここまでするんや。由良のこと好いとるんか」

「は? そんなわけないやろ、誰があんな不細工」


 千太は我が耳を疑った。


「由良は、名主様の外孫や。それを見つけて連れて帰ったら、名主様に恩が売れるやろ。ほれに、褒美がもらえるかもしれん。村の者からも、傑やといって、そりゃあもう、もてはやされるぞ」


 喜助と与一は、村の英雄になってちやほやされたうえに、褒美までもらえると聞いて、俄然やる気をだした。


「よぅし、由良を絶対に探しだそまい!」


 人が変わったようにいきり立って源助の後に続く取り巻き立ちが見えなくなってから、千太はそっと半身を伸ばし、火打石を取り出して松明を付けた。その目は、源助たちが立ち去った方の暗闇を睨み据えていた。


「今の、村のガキどもか」


 生返事をする千太の表情を、蝉丸は横目で見ながら、火打石を打つ。


「知り合いか?」

「いんや」

「ふうん」と、蝉丸が好奇の目を輝かせる。「知り合いでないんなら、なんでそんな泣きそうな顔しとるんじゃ」

「…別に、そんな顔しとらん」

「ふぅん」と蝉丸は探るような目で千太を見やる。「今あいつらの話しに出とった、由良いうんが、おまんが今探しとるやつけ?」


 蝉丸はくくくっと笑い、松明を手に立ち上がる。


「善は急げじゃ。千太、はよ行くぞ」


 先ほどの面倒くさそうな態度はいずこへやら、蝉丸は捜索にすっかり乗り気だ。


「…おまん、さっきとはえらい違いやな」

「うん。そらぁ、あの村のガキどもと、由良をどっちが先に見つけるかってんやろ。なんかおもろそうやさけ、手伝うたる。こっちや」

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