いつか、夜叉ヶ池まで
ふたりは、どんぐりに柴栗、ヤマボウシの実…食べられるものを、とにかく手当たり次第に拾い集め、籠へ入れていった。
由良は、となりで黙々とどんぐりを拾い入れる千太の方をちらと見やった。何か考え事をしているのか、口数が少ない。機械的に動いていた手が、時折止まり、どこかあらぬ方をぼんやりと見やっている。由良は心配になった。何より、二十日程前に会った時より、千太はぐっと痩せてしまっている。そして、エツの衰弱ぶりは彼の比ではなかった。
ふと、由良は疑問に思って、
「兄さんとこは、ととさまもおいでるって話しやったけんど、見かけんね」
由良の問いかけに他意はなかったが、千太は露骨に顔を強張らせてこちらを振り向いた。
「……おばばさまから、なんか聞いた?」
「え? ううん、なんも…」
由良が隠し事をしていないことを見てとると、千太はほっとしたように小さく息をついた。
「ちと、今家におらんのんや。山越えた向こうのほうまで、物売りに行っとって」
「へぇ…ほうなんや」
由良はそれ以上何も訊いてはこなかったが、そのわずかな沈黙の裏に、彼女が抱いた小さな疑問を押し込めた気配を感じた。
「手伝うたる。おれ、もう自分の籠いっぱい拾ったで」
由良は話題を変えるようにそう言うと、千太の近くにしゃがみこんで、いっしょにどんぐりを拾い、千太の籠に投げ入れていった。
「すまんな。それより由良、もうちぃと山の奥の方まで、アケビ探しにいかんか」
「アケビ?」
「うん、ととさまの好物なんじゃ。見つけたら干しておいて、次に帰ってきたときに食わせてやろうと思って」
アケビは、採るには少し時期が遅すぎるのではなかろうか。そう思ったけれど、由良はいいよ、と二つ返事で応じた。見つからなかったら見つからなかったで、それでよい。久しぶりに千太とこうして会えるのが嬉しかったのだ。
ふたりは、籠を背負いなおして、地面を覆った落ち葉を踏みしめながら、極彩色の樹々が茂る秋の山中へと入っていく。
「由良、白山中宮様においでる、凪という巫女様のこと、知っとる?」
頭上にアケビがないか見回しながら、千太はおもむろにそう訊いた。
「凪様…凪様…顔は分かるけど、話いたことないなぁ。巫女様は何人もおいでるけど、寄合とかに出てくるのはほとんど有馬様やもの。なんで?」
千太は少しの逡巡の後、先日の夜叉ヶ池での出来事を話した。
話を聞き終えて、由良は少し考えてから、
「なんでやろうな。なんや、気味が悪いな…今度、その凪様本人に訊いてみたら? おれが、橋渡ししようか?」
「え? いや、ええわ…」
凪のあの謎めいた笑みが、千太の脳裏にべったりとまとわりついていて、時折思い出す度に、背筋がすっと寒くなるのだった。戯れにしては意味深な含みをもった笑みだったが、願わくばもう会いたくはなかった。
「兄さは…今も夜叉ヶ池に通っとるの?」
「うん、まぁな。ほとんど毎日…」
そこまで言って、千太は口を噤む。由良も村の子であることを忘れていた。
「このこと、有馬様には言わんといてくれるか」
「言わんよ、言うわけない」
由良は、少し寂しそうに笑った。
「エツさが、昔お百度踏んで、兄さを授かったって…聞いたことある」
「うん。俺ら、白山様に詣でることもできんやろ。村の者らは怖がるけんど、俺らにとっては、龍神様だけが、守り神なんよ」
「おそごうないの? ほら、夜叉ヶ池のまわりって、昼間でも薄暗いし…。前に、村の子らで度胸試しをしたことがあってな。夕方に、くじで順番決めて、道祖神様のところから、御池の鳥居まで行って帰ってくるっていう…。おれ、まさかの一番に当たってまってな。でも、鳥居まで行けずに途中で泣きながら引き返してきたんよ」
その話を聞きながら、千太は思わず吹き出した。
「意気地なしやのぅ、おまん」
「だって、なんか、誰かがずっとこっち見とるみたいな気がしてならなんだの。冷や汗がとまらんようになって、体が固まって、前に進めんのよ」
むくれ面をして必死に弁明する由良が、千太は可笑しくてたまらない。
「もう、笑わんといてよ」
「すまん、すまん。ほんなら、今度、俺が連れて行ってやろうか」
「え?」
「たぶん、日暮れ時なんかに行ったもんで、余計に不気味に感じたんや。昼前に行けば、また雰囲気も違う。それに、俺が付いとれば、おそごうないやろ?」
そこまで言って、千太ははっとした。
この前、有馬たちの祈祷の際に投げ込まれた贄の野兎が、池の水に吸い込まれていく光景が思い出されたのだった。
恐ろしくないと、果たして言い切れるだろうか。野兎が投げ込まれたまさにあの瞬間、水面がぬるりと開き、まるで腕を伸ばしてでも引き寄せるように、野兎の亡骸を呑みこんでいった。
(まるで…池の水が生きとるみたいやった…)
「…兄さ? どうしないた?」
急に黙り込んだ千太を、由良が覗き込む。目が合うと、由良はほほ笑んだ。
「夜叉ヶ池、今度、連れていっておくれる?」
と確認する由良の眼は、悪戯っ子のように輝いていた。
「おそがいけど、なんかぞくぞくするわ。兄さが付いておいでるなら、行ける気がしてきた」
千太は取り繕うように微笑んで、うん、今度な、と曖昧に肯いた。
けれどその胸の奥には、冷たい波のようなざわめきが、まだ残っていた。




